Cars Make Life Stories~クルマは人生のストーリーを描く

ほとんどの部品が削り出しで構成されるブラフシューペリア ロレンスのエンジン部分

クルマやバイクに思いを巡らせているときに人は自分が主人公の物語を描いている。

そしてその時間は子供の頃と同じように夢を膨らませているはずだ。しかしいつのまにか現実と情報に振り回されてしまい、価格と体裁に支配されて自分が主人公であることを忘れてしまっているのではないか。クルマやバイクに乗るというのは自分の物語を未来へ描いていくということなのである。

RIDER : SEI KAMIO・ARAI HELMET/ HYOD PRODUCTS /JAPEX(GAERNE)

還暦からのブラフシューペリア

文・神尾 成/写真・増井貴光

 先月号の編集前記や「アラビアのロレンスとは何か」という記事で触れた「ブラフシューペリア」の現代モデルを撮影する機会を得た。このバイクは、〝二輪のロールス・ロイス〟といわれるだけあって、日本での販売価格は約1,400万円となる。しかしVツインの1,000㏄とはいえ、最高出力は102馬力と特筆するほどではなく、サーキットをとんでもなく速く走れる訳でもない。またホンダ ゴールドウイングみたいな豪華な快適装備を持たず、ハーレーのように世界的に有名で誰もが知るブランドということでもない。普通に考えると、このバイクに1,000万円を超える大金を出す理由や意味をすぐに見つけることは難しい。

 そもそもブラフシューペリアとは1919年から1940年にかけてイギリスに存在していた戦前のバイクメーカーだ。当時から二輪のロールス・ロイスと呼ばれ、郊外に家が買えるほど高価なバイクだった。オーダーメイドで注文を受けてから制作をはじめ、品質へのこだわりとブランドに対するプライドから、完成後の走行テストで目標の最高速度を上回らない限り納車しなかったといわれている。生産期間が21年と短かったので出荷台数は3,000台ほどしかなく、クラシック市場に出てくることは、ほぼないが、2019年にイギリスのオークションで日本円にして5,600万円で落札された記録がある。

 そんなブラフシューペリアが2013年に突如復活した。しかしイギリスではなくフランス南西部のトゥルーズ近郊でのことだ。トゥールーズは世界最大級の航空機メーカーであるエアバスの本社と組み立て工場があり、航空宇宙産業の関連企業や研究機関も多く、欧州ハイテク産業のサプライチェーンが確立されたまちなのである。ではなぜこの場所でブラフシューペリアは復活したのか。それにはトゥールーズで生まれたバイクデザイナーのティエリー・アンリエットの存在があった。

 デザイン会社「ヴォクサーデザイン」を牽引し、ドゥカティやアプリリアのコンセプトモデルを手掛けた彼はブラフシューペリアにも造詣が深く、哲学的ともいえるバイク作りに敬意を持っていた。彼自身もオフィシャルサイトで「モーターサイクルとは、単なる移動のための道具でも、商品という概念に収まる存在でもありません。それは、哲学の通った構造体であり、造形美の結晶であり、感性と精神の触媒とも呼べる存在だったのです(原文ママ)」と語っており、さらに「モーターサイクルを形成する各部品を一つひとつ取り外し、テーブルの上に並べたとしても、なおそれが技術的に完璧であり、かつ美しいものでなければならない」と、自分の求めるバイクのあり方ついても述べている。こういった理想を持つティエリー・アンリエットが、クラシックバイクの蒐集家からブラフシューペリアの復活の話を持ち掛けられたのは、まさに運命だった。彼はカワサキワークスのスーパーバイクエンジンの開発や、ヤマハやKTMとも技術提携しているフランスの「AKIRAテクノロジーズ」の協力を得て、ブラフシューペリアの〝物語〟を再始動させたのである。

 こうして現代に蘇ったブラフシューペリアは、ある意味で乗り手を選ぶバイクになっていた。それは運転技術云々の話ではない。むしろこの2台はフレンドリーさが特徴でもある。現代のブラフシューペリアを乗るには、各部に散りばめられた芸術性を理解するのは当然として、彼らの歴史に参加する意識が必要になるからだ。その自覚を持てないと、このバイクに乗る意義を見出すのは難しいだろう。しかし逆に考えれば、これまでバイクに人生を捧げてきたような人は、自分の〝バイク物語〟の集大成として、ブラフシューペリアの哲学を取り込むことができるはずだ。買える買えないは別として、ハーレーやBMW、国産旧車以外でゴールを想像できるバイクが出てきたことは、還暦を超えたライダーには朗報である。

ブラフシューペリア S.S.100(世界限定300台)

今から100年以上前に100マイルを達成した初代S.S.100をオマージュしたモデル。過去のスタイルを踏襲しているがチタンフレームやリンク式のフロントサスなど現代の技術をふんだんに取り込んでいる。やや前傾なポジションでカフェレーサー的な位置付けとなる。

エンジン:水冷4ストロークDOHC4バルブV型2気筒 997cc
最高出力:102bhp(75kW)/9600rpm
最大トルク:87Nm/7300rpm
販売価格:13,926,000円 (税込)

ブラフシューペリア ロレンス(世界限定188台)

「アラビアのロレンス」として有名なT・E・ロレンスをトリビュートしたモデル。今までにないラグジュアリーで唯一無二なデザインだが、走りを純粋に楽しめるバイクとして仕上がっている。各部の作り込みや造形を見ているだけでも満足感が得られるはずだ。

エンジン:水冷4ストロークDOHC4バルブV型2気筒 997cc
最高出力:75kW(102hp)/9,600rpm
最大トルク:87Nm/7,300rpm
販売価格:13,926,000円(税込)

神尾 成/Sei Kamio

2007年11月からaheadに参画、企画全般を担当している。2010年から7年間編集長を務め、後進に席を譲ったが、2023年1月号より編集長に復帰。朝日新聞社のプレスライダー、ライコランドの開発室主任、神戸ユニコーンのカスタムバイクの企画などに携わってきた。1964年生まれ61歳。

「濱口 弘のクルマ哲学」の担当編集者として感じたこと

文・若林葉子

 連載「濱口 弘のクルマ哲学」が、今号の64回をもって幕を下ろす。
 毎号ページを開くたび、華やかなクルマの数々に目を見張った読者も少なくなかっただろう。しかもそれらのうちの多くは、メーカーから借りた広報車ではなく、彼自身が実際に所有し、日常のなかで使い、走らせてきたクルマでもあった。

 彼の経歴を少し振り返っておくと、バスケットボールのプロを目指して18歳で渡米。怪我などで思うように結果を出せず3年で断念するが、大学の友人らと、才能あるスポーツ選手とそれを求めるチームとをインターネット上でマッチングするシステムを構築し、起業する。事業を軌道に載せたのち、米国の投資会社に売却、帰国する。起業家として活動を始める一方で、あるレーシングドライバーと知り合ったことをきっかけに、32歳のときにモータースポーツの世界に入り、その才能を開花させた。ポルシェ カレラ カップやスーパーGTなど国内のレースを経験したのち、GT3シリーズでアジアからヨーロッパへと活躍の場を広げ、2019年にヨーロッパのGT3最高峰レースでシリーズチャンピオンを獲得。誰もが認めるトップアマチュアレーサーでもある。

 経歴だけを見ても、濱口 弘は明らかに「数%側」の人だろう。日本の中で、フェラーリやランボルギーニやマクラーレンを何台も所有し、ル・マンを走り、スキー場やサーキットの構想まで手がける人は、そうはいない。

 だからこそ、彼にしか見えないクルマの世界がある。この6年の連載は、その特別な世界を、誌面を通してほんの少し覗かせてもらう時間でもあった。

 私はこれまでスーパーカーやラグリュアリーカーについて書かれた文章を多少は読んできた。伝説的な車種の来歴、ブランドの神話、エンジニアたちの執念。そうした話にはたしかに豊かな物語があり、心を動かされることもある。

 しかし大抵の場合、読み終えたあとに残るのは、「へぇ、そうなんだ。すごいんだね」という感嘆だけ。どこまでも、自分とは関係のない遠い世界の存在でしかなかった。だから彼の原稿にも最初は距離があった、と思う。ところが不思議なことに、これまでまったく手触り感のなかったそれらのクルマが、 彼の原稿によって、次第に自分の中で輪郭を描くようになっていった。

 それはおそらく彼が1台のクルマを、常にいくつもの観点から見ていることが大きい。まず、ビジネスマンとしての観点がある。たとえばフェラーリを語るとき、単に夢の対象として称揚するのではなく、そのブランドが市場のなかで何を許容し、何を許容しないのか、どこまで変化し、どこで踏みとどまるべきなのかを見ている。

 また、レーシングドライバーとしての観点もある。サスペンションの動き、重心の低さ、足回りの不足、限界域での挙動。そうした記述には、レースで極限の世界に身を置いてきた身体の記憶が宿っている。

 そしてもちろん、生活者としての観点もある。クルマがどんな場に似合い、どんな時間と結びつき、どんな日常に寄り添ってくれるのか

 そうした幾つもの観点がただ並んでいるのではなく、彼のクルマ愛と長年培ってきたクルマに対する哲学によって1本の線に束ねられている。そこがもっとも重要なことかもしれない。

 だから彼の原稿に登場するクルマたちは(もちろん登場したのはスーパーカーだけではない)単なるスペックの集合にも、価格という記号にも、成功の象徴にもならない。そのクルマがどんな背景から生まれ、何を背負い、どんな人間の感覚に応えるものなのか。その輪郭が少しずつ立ち上がってくる。

 彼の原稿によって、私の中で無機質だったクルマたちが、1台ずつ物語を獲得していったのだと思う。

 とりわけフェラーリをめぐる原稿は、私には面白かった。

 幼い頃から憧れ続けたFR12気筒への思い、父とアメリカに買い付けに行った330GTC、自ら手にした550マラネロ、そして「フェラーリとの和解」へと至る過程。

 そこには、夢のクルマへの憧れだけでなく、納車しても満足できず手放した経験も、足回りに自ら手を入れていく過程も含まれている。フェラーリというスーパーカーと長年にわたって付き合いながら、時には距離を取り、折り合いをつけ、理解しようとする。彼自身の感情の揺れや葛藤が文章の中に見え隠れし、フェラーリさえも、血の通った存在として感じられるようになった。

 彼が2025年7月に戸狩温泉のスキー場のオーナーになったことは、記事を通じて読者もご存知だろう。雪山を整備する、ドイツの圧雪車「ピステン・ブーリー」を操りながら、「1,846Nmのトルクは驚くほど重さを消して進む。クルマに近い乗り心地だが、莫大なトルクの出力は見た目に反してジェントルで滑らか、クルマで言うと12気筒のベントレーに近似する」なんていうくだりは間違いなく彼にしか書けず、読んでいてわくわくしたものだ。

 このスキー場について彼はこう書いている。「私がスキー場を買った動機の1つに、全国のスキー場リフト券の値上げ問題があった。愛する雪山遊びが誰にでも自由で身近なものであるよう、ターゲットはローカルの日本人とし、リフト券価格を現状維持と決めていた。しかし維持は価格だけで、設備は全面的に刷新すると決め、就任当日から着手した」

 スキー場は、山を大きく2つに分けており、左側が一般用、右側が会員専用になっている。右側のThe Club Togariは、会員制のスキーリゾートとして、会員専用ゲレンデやクラブハウス、ヴィラ、車両保管サービスまでを備える。

 ジャンボジェット機の利益の大部分をファーストクラスとビジネスクラスが賄い、その売り上げを支えているように、彼のスキー場もパブリックとプライベート、2つの経済構造を1つの山のなかに共存させることで、多くの人に開かれた場を提供しようとしているのだ。「他のスキー場のリフト券が8千円とか9千円のところをうちが5千500円にできているのは、会員券を買ったり、ヴィラを買ったりしてくれる人がいるからなんです。5千500円のリフト券を10万枚売っても、リフトを動かすコストはカバーできない。富裕層の方の予算を使わせてもらわないと山をアップデートできない時代なんです。だけど僕は一般の方は思い切り、右側の山の人たちに甘えて、楽しんで欲しい。それが世の中のバランスだと思うんですよね」

 彼にとってそれはクルマの世界も同じこと。経済格差によって二極化が進む中、クルマが富裕層だけの遊びにはなって欲しくない。クルマを愛する人がクルマを楽しめる世界であってほしいとそう思っている。

 彼は「最高に苦しかったけど、最高に楽しい6年間だった」とこの連載を振り返った。「僕のクルマに対する思いは誰にも負けないぞと思っていて、それを1つの形にできたこと。何よりそれを読んでくれる人がいると思えることは自分の宝になりました。

 それに、これまで自分の中だけで完結していたクルマとのコミュニケーションを文章として人に伝えようとすると、より深く自分が理解しなきゃいけないので、ものすごく勉強したし、もっとよくクルマを知ろうとした。結果、これまで以上にクルマをリスペクトできるようになりました」

 毎回120パーセントのエネルギーで原稿に向き合ってきたからこその苦しさであったに違いない。編集者としては、いつかもう少し肩の力を抜き、80パーセントくらいのエネルギーで書けるようになったら、またぜひ書いてもらいたいと思う。

 自分にとって縁遠いクルマでも、豊かな物語を与えられると、そのクルマは色をまとい、輪郭をもって、いきいきと動き出す。クルマ好きにとって、これほど楽しい瞬間はない。私にとっても楽しい6年間だった。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。スーパーGTでの優勝を経て、欧州最高峰GTシリーズであるヨーロピアン・ル・マン・シリーズ2024年度シリーズチャンピオンを獲得。ル・マン24時間出場。フィアットからマクラーレンまで所有車両は幅広い。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

Yoko Wakabayashi

OLを経て、2005年からahead編集部在籍。2017年1月から3年半、編集長を務める。2009年から計6回ラリーレイドモンゴルに出場し全て完走。2015年にはダカールラリーにHINO TEAM SUGAWARAのナビとして参戦した。現在はフリーランスで活動しながら、再び、aheadの編集にも関わっている。

「Cars Make Life Stories
~クルマは人生のストーリーを描く」の続きは本誌で

もう一度クルマにストーリーを描けるか 山田弘樹
バックミラーに自由の轍を残して 夢野忠則
還暦からのブラフシューペリア 神尾 成
「濱口 弘のクルマ哲学」の担当編集者として感じたこと 若林葉子


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