「Who are you ?(何者だ?)」長い長いこの映画の真ん中ちょっと、2時間を過ぎたところで発せられるこのセリフに、『アラビアのロレンス』のエッセンスが詰まっている。
1916年、アラブへ派遣された英国軍のロレンス少尉は、敵対する部族同士を一時的にも協力させ、過酷な砂漠を渡って背後からトルコ軍の要衝である港を攻める奇襲作戦に出る。不可能と思われた作戦を成功させたロレンスだが、通信設備が破壊され、英国軍に報告するため遠くカイロへとラクダを走らせることに。冒頭の引用は、ロレンスが大きな犠牲を払ってスエズ運河に辿り着いた場面だ。砂漠の中に突如大きな船が現われ、広大な運河が映し出される印象的な場面で、対岸にいた英国兵がアラブの衣装を身に纏ったロレンスに問う。「お前は何者だ」と。ロレンスが英雄となる前半から、疲弊してアイデンティティを失っていく後半への転換を告げる重要なセリフだ。
映画はアラブから英国に戻ったロレンスの死から始まる。スピードに取り憑かれていた彼は、ブラフシューペリアのバイクをこよなく愛し、乗り回すことを日課にしていた。だがその日、時代が変わるように砂利から舗装となった道へ出た彼は、スピードを上げたところで自転車の少年を避けて道を外れ、46年の短い生涯を終える。英雄の思わぬ死に、葬儀の参列者は故人の業績を讃えるが、一方で記者が生前の彼の人となりを尋ねても誰も知らない。「何者だ」は冒頭から提示される作品のテーマなのだ。この映画は実在したT.E.ロレンスの伝記ではあるし、劇中描かれる出来事は史実に基づいてはいるのだが、それだけでは映画史上のマスターピースにはなり得ない。あるときは英国とアラブの間で、あるときは英雄願望と無名願望の間で葛藤し、矛盾を抱え続けたロレンスの栄光と挫折を通じ、自分は何者なのか、という普遍的な問いを描いているからこそ、時代を超えた名作なのだ。
ロレンスの活躍は、部族間の抗争を繰り返してばかりのアラブに国家という概念を与えた一方、英国の三枚舌外交を進める結果となり、現在まで続く中東諸国と欧米、イスラエルとの確執を生む要因になった。その意味でもこの映画は今こそ見直すべき作品なのだが、それ以上に、良くも悪くも自分を見失っている人たちにこそ見てほしい映画なのだ。
「スピードの中で精神は肉体を超越する」。ロレンスが語ったとされるこの言葉は、伝説的な劇画『ケンタウロスの伝説』を通じてバイク愛好家に広まり、精神的な支柱となった。実際に、ロレンスはバイクとの一体感や、スピードが魂を揺さぶる瞬間について、著書の中で詩的に、哲学的に多くのことを書き残している。彼が生涯愛したバイク、ブラフシューペリアは“二輪のロールスロイス”と呼ばれるほど高価だったが、彼はそれをステータス誇示のためでなく、ただ走るために8台乗り継いだ。彼にとってそのバイクは道楽ではなく、生きるために必要なものだったからだ。性能はもちろんのこと、1台1台手作業で作られるこのマシンは、唯一無二であるが故に彼が求める孤高と自由、そしてこうありたいという自分自身の象徴でもあったのだ。アラブと英国の間で英雄と持ち上げられ、いいように使われた自分の肉体を追い越して、本当の自分に出会うための自由の翼。それを与えてくれるのがブラフシューペリアであり、そのスピードだったのだ。
その先に、何かがある。スケールは違えども、自分であろうとしながら、自分が何者なのか疑問を抱え続けたロレンスの苦悩に共感する。バイクに乗ったり、スピードを求めたりするのは、それが知りたいからだ。肉体を越え、魂を越えたその先に、もっと大きな何かがある。そう信じるからアクセルを捻るのだ。

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山下敦史/Atsushi Yamashita
