いま知ってほしい物語 4選

今こそ知ってほしいロータリーエンジン物語

文・今尾直樹

 マツダがドイツのNSUとヴァンケル型ロータリー・エンジン(RE)のライセンス契約を結んだのは1961年のことだった。フェリックス・ヴァンケルが考案したREは、まゆ型のハウジングのなかを三角形のおむすび型ローターが1回転するたびに吸入・圧縮・燃焼・排気を繰り返す内燃機関で、シリンダーのなかをピストンが往復するレシプロ・エンジンよりも高出力でスムーズ、静粛性に富み、そのうえ部品点数が少なく、軽量コンパクト、という多くの利点を持っていた。

 「夢のエンジンの開発に成功!」とNSUが世界に向けて喧伝し、ライセンス契約を募ったのももっともで、極東の広島で時代遅れになりつつあるオート3輪のトップ・メーカーだった東洋工業(現在のマツダ)はこの夢のエンジンに飛びついた。そして、NSUもメルセデス・ベンツもGMもシトロエンも日産もできなかったREの量産化を、世界でゆいいつ成し遂げ、こんにちに至っている。

 開発は苦難の連続だった。ライセンス契約の成立後、NSUから送られてきたKM400ロータリー・エンジンは信頼性も耐久性も皆無だった。連続運転していると白煙をもうもうと吹き出し、200時間で壊れた。それでも諦めるをことを知らぬ東洋工業は、1963年4月、社内の若手エンジニアを集めて「ロータリーエンジン研究部」を設け、軽自動車などの開発の中心を担っていた山本健一を部長に据えて、本格的な開発を開始する。『マツダ・ロータリーエンジンの歴史』(グランプリ出版)によると、調査、設計、試験、材料研究の4課からなる部員は総勢47人で、発足に際して山本部長はこう檄をとばした。

 「今日から我々四十七士は研究室を我が家と思い、完成までは寝ても覚めても、REのことを考えて欲しい。苦しいときは赤穂浪士のことを思い出して頑張って欲しい」

 現代では冗談かパワハラみたいだけれど、これが当時の日本人共通の感覚だった……かもしれない。長谷川一夫が大石内蔵助を演じたNHKの大河ドラマ「赤穂浪士」は1964年の放映で、討ち入りの回は最高瞬間視聴率53%を記録した。「おのおのがた、討ち入りでござる」という長谷川一夫のセリフは流行語になった。ロータリー四十七士は、それを1年先駆けていた。

 最初の難関は、一定時間運転するとローター・ハウジングの内側に発生するチャター・マーク、「悪魔の爪痕」と呼ばれた波状の摩耗だった。解決するために、おむすび型ローターの三角形の頂点に取り付けて機密を保つアペックス・シールの材質と構造の改良が必要だった。「あらゆる材質のアペックスシールを作り、挙げ句には馬や牛の骨まで試してみたものの、チャターマーク解決の糸口は、いっこうに見つかりませんでした。学会や業界ではロータリーエンジンの実用化を疑問視する声が高まり、社内でも『予算の無駄遣い』と冷ややかな視線を浴びる日々。不安と焦燥に苛まれながら、四十七士たちはひたすら実用化を信じて耐えるのみでした」 マツダのホームページの「ロータリーエンジン開発物語」の項には、神話のようにそう書かれている。

 四十七士の奮闘努力により独自の2ローターのREが完成し、これを搭載したRE専用スポーツカーのコスモスポーツが1966年10月の東京モーターショーで華々しくデビュー、翌年5月に発売となる。1968年には大衆車のファミリアにREを搭載、以後、ルーチェ、カペラ、そしてサバンナと、RE搭載車を1年毎に投入する「ロータリーゼーション」を展開し、大きな成功をおさめる。1960年代末にアメリカからはじまった排ガス規制は、もともとNOxの排出量が少ないREにとっては福音で、1973年2月、ホンダのCVCCエンジンについでアメリカ連邦環境保護庁(EPA)の規制をパスした第2号車となる。

 マツダは、スポーティで革新的なブランドである。という評判を勝ち取ったその直後、といっていい。オイル・ショックが世界を襲った。REはレシプロ・エンジン車に比して燃費が5割も劣っている。EPAのこの発表によって、REの生産を月2万台にまで拡大していた東洋工業は苦境に追い込まれる。やむなくレシプロ・エンジン車に軸足を移すも、REの研究・開発は続行し、40%の燃費改善を達成、1975年、コスモAPでREを復活させる。さらに1978年にREを搭載したスポーツカー、サバンナRX-7を発売。アフォーダブルなスポーツカーとして世界的なヒットを記録する。低いボンネット内の、フロントの車軸よりも後方にエンジンを配置するフロント・ミドシップ方式は、コンパクトなREならではのパッケージだった。

 昨年11月、マツダ独自のPHEVとして発売されたMX-30ロータリーEVでREは何度目かの復活を遂げた。発電機として用いる。という発想は、これまた小型軽量というREの特性から生まれた。

 それにしても、なぜ夢のエンジンの量産化に、世界でマツダだけが成功し得たのか? そのことについて、ひとことだけ述べておきたい。東洋工業は戦前からオート3輪をつくる広島最大の企業で、実質上の創業社長である松田重次郎の長男の松田恒次が社長をつとめていた。REのような前途不明の技術に挑む組織として大き過ぎず、かといって小さ過ぎない規模だった。タイミングも適切だった。松田ファミリーには地元・広島の暮らしを支えているという自負も使命感もあった。そしてなにより、広島は原爆という、人類史上、繰り返してはならない悲劇に見舞われた都市だった。それゆえ、なおさら夢と希望が求められてもいた。と筆者は想像する。

 ロータリー四十七士の本望は先の大戦の仇討ちにあった。忠臣蔵以上に語り継がれるべき物語ではあるまいか。

コスモスポーツ/初代( 1967)

ファミリア/2代目(1968)

ルーチェ(1969)

カペラ/初代(1970)

コスモ AP( 1975)

サバンナRX-7/初代(1978)

787B(1991)

MX-30 Rotary-EV(2023)

今尾直樹/Naoki Imao

1960年岐阜生まれ。早稲田大学卒業。『NAVI』副編集長、『ENGINE』副編集長、『GQ JAPAN』シニアエディターなどを歴任。その見識は幅広く、現在はフリーランスのライターとしてクルマのみならず他分野で健筆を振るう。

今こそ知ってほしいロータリーエンジン物語
文・今尾直樹

いま知ってほしい物語 4選 続きは本誌で

風船に込められた想いを実現したレーシングドライバー まるも亜希子
今こそ知ってほしいロータリーエンジン物語 今尾直樹
空間認知能力をサポートするナビシステムを作りたい 若林葉子
油冷に次ぐ名機GSX-R1000K5エンジン 鈴木大五郎


定期購読はFujisanで