14世紀、フィレンツェから始まったルネッサンスは、イタリア芸術の起源として、のちにレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの巨匠を生み出し、イタリア発祥の世界的文化となった。
フェラーリの名将モンテゼーモロ氏は、高品質で速いが、ルネッサンスをルーツとした芸術性を456GT、F355、550マラネロに落とし込み、今となっては陳腐化した、ラグジュアリーという言葉の誠の部分が濃密なクルマを生んだ。氏が社長在任中にフェラーリの売り上げは10倍に上がり、それまでフラジャイルなポジションだった同社を、一躍トップ・ブランドに押し上げた、と私は記憶している。製品と芸術どちらも採択した名将が、2014年に去ってからのフェラーリを振り返ると、私はフェラーリが好きだったのではなく、モンテゼーモロ氏の作品が好きだったのかもしれない。
そんなことを感じながら、私は羽田に向かう海沿いの道を、モードを変えながらフェラーリ296GTSを走らせている。この型より機構は変わったが、系譜はV8ミッドシップ488、F8であり、PHEV機構同士と条件が揃ったので、F296とマクラーレン・アルトゥーラ・スパイダーを比べてみた。両車ともにブレーキ性能と加速性能は、この公道では試せないほどの実力だ。どちらも6気筒らしいフィーリングだが、フェラーリのそれは90年代の355や360Modenaに積まれた、最後のアナログV8エンジンの感覚に近い。実用速度域のトルクは、マクラーレンに軍配は上がるが、五感を使ったエンジンフィールやエンジン音の演出は、フェラーリの方がわかりやすい。アクセルレスポンスも軽く、音も乾いていて少し甲高い。ターボ車であることを、忘れてしまいそうな雰囲気を演出してくれる。296の重心の低さ、パワートレイン、ストロークの少ない足の動きを見れば、本気で走ったら、度肝を抜く速さであることはすぐにわかる。フライバイワイヤーのステアリングフィールは、この連載で何度も繰り返し書いているが、反応がわかりにくく、アナログなマクラーレンを私は好む。車内内装に目を落とす。フェラーリが内装のクオリティを誇ったのは過去、今や両車ほぼ同じだ。ほんの少し、フェラーリのレザー縫製技術は高いが、SF90に比べると296はコストを抑えている印象だ。

今号のメイン、PHEVについて触れよう。フェラーリのようなトップ・ブランドが作るPHEVに、期待と興味があった私だが、乗って間もなく、はっきりとマクラーレンに軍配が上がった。エンジンサイズ、エンジンシリンダー数、エンジン搭載位置、車両サイズ、重量、8速デュアルクラッチ式トランスミッション、ほぼ同じスペック、同じセグメントと両車のスペックが似ていたので、読者の皆様も比較は簡単であろう。EVでの走行性能を比較すると、マクラーレンは31キロのEV走行が可能、一方F296は25キロと開きがあるが、70馬力以上EVモーターの力が強いフェラーリはモーターでの加速は力強い。マクラーレンは走行自体に問題はないが、EVで速く走るのは現実的ではない、と感じる。しかし、ユーザーインターフェイスは、マクラーレンが押しのけた。マクラーレンは物理的なストークレバーを引くと、任意でEV走行と内燃機構走行に変えられるが、F296で同じように機構の切り替えを行うには、反応の鈍いステアリング上の、小さなタッチパネルを確実に押す必要がある。これが運転時の機構切り替えを、限定的にさせた。
性能がわかった上で、フェラーリが660万円高いことについて考えた。マクラーレンの新車販売価格が現実的なのもあるが、1年程度の中古車市場価格を見ると、296GTSは新車比25%ほどのリセール価格ダウン、アルトゥーラスパイダーは10%ダウン程度だ。そこにはフェラーリのバッテリー問題が、市場から拒否されていると考える。バッテリー問題とは、マクラーレンのハイブリッドシステムは、動力になるリチウムイオンバッテリーが、常にエンジンのセルモーターを回すバッテリーと繋がっているため、エンジン始動のバッテリーは常に充電され、1ヵ月程度の未始動でもバッテリーが上がることはない。一方、フェラーリは動力用とエンジン始動用のバッテリーは繋がっておらず、後者の電池がなくなると、システム全てが死んでしまい、復旧にかかる作業と費用は莫大な経費負担となっている。

それでもF296は伝統的なピッコロフェラーリ。サーキットを走ったら、他のどの量産モデルよりも速い。スーパーカーはミッドシップで軽量、走るためのフェラーリだ。PHEVを外せない昨今、走りを楽しむには、V8から6気筒にする選択肢しか残っていなかっただろう。総合的に楽しい、いいクルマなのだが、あと少しだけ、イタリアの情熱を反映させたデザインであって欲しかった、と無国籍なデザインを惜しむのだった。

Hiroshi Hamaguchi
