濱口 弘のクルマ哲学 Vol.63 終わりの始まりを繋いで

文・濱口 弘

目の前のランチアのデルタインテグラーレ・エボリッツィオーネⅡを見ながら、私の来た道を振り返る。

 多くの邂逅の真ん中に、イタリアがいつもいることを思い、あぁ、運命だったのか、と遥かなる思いに口元が緩んだ。

 8歳、小学生だった私は288GTOに見惚れた。しかし、見惚れたそのクルマが288GTOだとは、10歳になるまで知らなかった。ローマ始皇帝アウグストゥスの筋肉のように、ブーストアップされたそのボディ形状は、レオナルド・フィオラバンテのデザインによるもので、幼かった私にも強いアピール性を感じさせた。他方、この年に初代のフィアット・パンダが、イタリアのインダストリアル・デザインのマエストロである、ジョルジェット・ジウジアーロから生み出された。流線的なフィオラバンテと、直線的なジウジアーロが、競うように名車をリリースした、流れ星のような年だった。

 11歳、地を這うように走るロッソ・コルサのフェラーリF40に目を奪われた。その夜、カーグラフィックTVで放送された、イタリアの石畳の街を滑るように走るF40や、レーシングカーのように、スピードを殺さず峠道を攻めるF40に、私は衝撃と興奮で震えた。インタビューを受けるエンツォ・フェラーリを見て、この人の作ったフェラーリにいつか乗る、と心に刻んだ。

 19歳。アメリカに留学し、大学、バスケ、SUVに満たされていたが、実用に振ったアメリカン・ファッションは、イッセイミヤケに構築美を見出していた私にとって、どうしても運動着であった。そこへ突如、社会的地位の象徴であったメンズスーツから、肩パッドと裏地を抜き取り、海風になびく、しなやかなスーツをアルマーニが発表したことは、衝撃であった。いまは冷静に書いているが、当時の私のアルマーニへの傾倒ぶりは、相当なものであった。アルマーニのその軽やかな解放とエレガンスの変革に、10代の私は強く影響を受け、多様な文化が混ざり、独自のこだわりへと導かれていった。

 そして20歳、デルタとの巡り合わせが始まる。当時住んでいたアメリカでは販売されていなかった、デルタインテグラーレ・エボリッツィオーネⅡを、父の幼馴染が所有していると聞き、見に行った。赤い真四角のボディは、ジウジアーロ・デザインの様式美を継承し、異常なまでにフェンダーが張り出ている。そして小さくも雄々しく、WRCラリーカーのベースマシンとしての、氏素性を醸し出していた。すぐに、アメリカから日本に本帰国する際には、このデルタを譲ってもらうことをお願いした。それから5年後、25歳の時に譲り受け、私の日本帰国1号車として、長く続くデルタライフがスタートした。

 デルタは、ヨーロッパの狭い道を難なく走る、小さなハッチバックである。210馬力ではあったが、乗っていて楽しいクルマだった。全輪駆動での安定感と、クニャクニャとした不思議な乗り心地を、当時の日本のモータージャーナリストたちは、粘っこい走り、と評していていた。この表現が当時から私は好きではなかった。サスペンションのストローク幅が大きいことと、エンジンの重心位置も低くないこと、シャーシ剛性が低いことなどが、ステアリングを切って、荷重が左右前後に移動したときの初動として感じる遅れが生まれる。これに対して、16インチの純正ホイールに、当時で言う扁平タイヤとの組み合わせが跳ね返りを起こし、捻れとなってドライバーに伝わる。捻れて倒れかけそうなのに、トラクションを失なわずにグリップする、という裏切りが、粘っこさという表現になっただろうが、本質をとらえていないと思っていた。

 車体が小さく、軽いから誤魔化せてはいるが、ターマックのSSセクションを、ドリフトしながら快走するイメージからは、程遠い乗り味だ。でも、それが気持ち悪いこともなく、楽しくない、と感じるわけでもない。癖になる感覚が、エンジンからも、ステアリングからもあるのが、デルタの説明できない魅力であった。

 デザインが抜群でライトなハッチバックは、都内での足として有用で、このデルタ以降、3台を乗り継いだ。32歳では黄色のジアラを、39歳では擦過傷1つもないパール・ホワイトのデルタを迎え入れた。そこへ、上記した理由で不安を感じる部分に、チューニングを入れた。エンジンチューンはせずに、排気だけいじって、車高調整サスを入れ、インチアップした扁平タイヤを履かせ、ブレーキも強化した。タワーバーも前後に入れたが、ボディが緩くバランスが取れなかった。理想は遠く行き詰まり、私はデルタに妥協を覚えた。

 そして2020年9月、4台目となる本国220台限定エディション、ランチア・デルタ・インテグラーレ・エボリッツィオーネⅡ・ジアラを購入した。私はこの車に、ある命題を持たせるために探し、買ってきたのだ。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。スーパーGTでの優勝を経て、欧州最高峰GTシリーズであるヨーロピアン・ル・マン・シリーズ2024年度シリーズチャンピオンを獲得。ル・マン24時間出場。フィアットからマクラーレンまで所有車両は幅広い。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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