前編では、阪神・淡路大震災によって失われたもの、変わったもの、遺されたものを辿った。
後編では、神戸の街が震災の記憶をどのようにして未来へつなごうとしているか。その取り組みについて紹介するとともに、震災復興再開発事業の最後の住宅事業として建設された『ASMACI 神戸新長田』が、これからの地域医療と防災、そして暮らしのあり方にどのようなヒントを示しているかを探る。
前号の北淡震災記念公園やメリケンパークに続いて、取材2日目の朝には、「人と防災未来センター」に足を運んだ。ここは阪神・淡路大震災の経験を記録し、その教訓を次世代へ継承するとともに、防災・減災を実現するために必要な情報を発信する施設だ。
見学経路の最初に置かれているのは1.17シアター。「被災体験をお持ちの方や体調が良くない方方はお申し出ください」との説明の後、「5:46の衝撃」という、7分間の再現映像が流された。
この映像はタイトルが示すとおりで、まるで自分があの日、あの時、あの場所に立っているかのようなリアルさ。途中で観ているのが苦しくなったほどだ。後から調べると、監督は川北紘一、特撮美術監督は三池敏夫、制作は東宝映像美術が担当。地震発生時の記録映像が全くない中、「現実に起きたことを忠実に描く」方針で、建築の知識をもとに倒壊のメカニズムを推定し、ミニチュアの設計・破壊の仕掛けまでを現実に即してつくったという。
映像を見た後、別の展示フロアで、被災体験者であるボランティアの説明員の方に、「途中で目を塞いでしまいたいと思うほどでした」と話した。すると、その方は「そうやねぇ。そやけどあれは全部ほんまのことやからねぇ」と静かに言った。その言葉に、私は改めてはっとさせられた。映像から受け取ったあの震災の凄まじさ。あれが実際に起こったことなのだと。
とは言え、この施設が目指すのは、震災の記録を残しつつも、その体験と教訓をこれからの防災と減災に繋げていくことにある。各フロアでは自然災害のメカニズムや防災について「体を動かしながら楽しく学べる」工夫が数多く取り入れられており、家族連れの姿も多く見られた。この施設の展示は、来館者を過去から未来へと導いている。

人と防災未来センター



―― 記憶を未来へつなぐ。
その方法はさまざまあるに違いないが、震災の記憶を暮らしの仕組みへと昇華したのが、『ASMACI神戸新長田』ではないかと思う。
ASMACI神戸新長田は、2023年1月に竣工した病院と住宅の複合施設。1~5階が特定医療法人一輝会 荻原記念病院、6~14階が分譲マンションだ。阪神・淡路大震災によって甚大な被害を受けたJR新長田駅南地区の震災復興再開発事業における、最後の住宅事業として建設されたが、同時に、復興後の地域をどう持続させるかという課題に対する、次の段階の事業でもあった。
新長田駅南地区は、阪神・淡路大震災で大きな被害を受けた地域だ。1997年から第二種市街地再開発事業として再建が進められてきた。共同住宅を整備することは当初から計画に含まれていた。しかし、時間の経過とともに、単独の分譲マンション事業としては成立しにくい土地になっていた。
一方、一輝会は神戸市内で経営する2つの病院を再編・統合する計画を温めていた。その建て替え先の最有力候補にあがっていたのが新長田駅南地区の土地だった。しかし140床規模の病院には広すぎるうえに、市の公募にあたっては住宅整備が義務付けられていた。そこで相談を持ち掛けたのがPLT(プライム ライフ テクノロジーズ)グループの一員であるミサワホームだった。
それぞれの地域が抱える社会課題を官民などと連携しながら、持続可能な地域社会に育てていくことを使命とするミサワホームは、すでに病院と賃貸住宅等から構成される複合型施設(『ASMACI浦安』)の実績もあり、一輝会に対して病院と住宅の複合開発を提案。行政との協議を経て事業化された。
とは言え、同じ建物の同じ柱と梁の上に病院と住宅という2つの用途を重ねることには工夫も必要だった。たとえば、病院と住宅では求められる空間の寸法が違う。病院には病院の、住宅には住宅の基準があり、病院で必要な柱のピッチと、住宅で快適な部屋を作るためのピッチは、わずかに異なる。このズレをどう調整するか。病院の構造条件と住宅の居住性を両立させるための協議が重ねられ、結果、一般的なマンションとは異なるワイドスパンを生かし、南向きにLDKを連続させるなどの間取りが採用されている。
病院とマンションの複合施設というと、まず高齢者にとっての利便性を思い浮かべるかもしれない。しかし、階下に降りるだけで医療機関にアクセスできる安心感は、小さな子どもを育てる家庭にとっても大きい。実際、ここには子育て世代を含む多様な世代が入居している。


そしてASMACI神戸新長田をもっとも象徴するものが、建物北側に広がるオーバルパークだ。隣接する1階のリハビリテーション室からアクセスでき、歩行訓練の場として活用されている。一方で、敷地内でありながら、大通りから続く緑の小径「ガーデンテラス」を通じて地域にも開かれている。外の空気に触れ、庭に咲く花を眺め、犬を連れた人と言葉を交わす。そんな何気ない体験が、患者さんの「良くなろう」という意欲につながるなど、好循環も生まれているという。
病院の広報担当者は、SNSの発信や地域イベントも手がける。「病院が関わるイベントは、高齢者の集まりで認知症予防について話をしてほしいと頼まれるなど、依頼があって初めて動くのが一般的です。でも、今は老若男女を問わずいろいろな人に、私たちが企画したイベントに参加してもらえるようになりました。病院が新しくなったことで、組織風土がよくなり、医療のことばかり考えていた頭が少しやわらかくなって、いいアイデアが浮かんでくるようになった気がします」と話す。「病院がいかに地域とつながるか」という観点で、病院が主体となって防災イベントを開催するなど、積極的に地域の中へ入っていく試みを重ねている。

実はこの場所にはもう一つの役割がある。私有地でありながら、災害時には地域の防災拠点として神戸市に提供する協定が結ばれているのだ。
防災のための広場というと、かまどベンチや防災井戸、備蓄倉庫などの設備を思い浮かべるが、ここでは住民による維持管理の負担を考え、かまどベンチは採用されなかった。防災のための設備を増やすことが、必ずしも正解とは限らないからだ。代わりに、ここで重視されたのは、普段から使われる開かれた空間である。災害時に人が集まる場所は、平時から人が集まる場所であるほうが、いざというときにも機能しやすい。
地域との接点を失いつつある医療機関も少なくない中、担当者は「この仕組みが日本全国に広がればいい」と語った。ASMACI神戸新長田は、病院と住宅を一つの建物に重ね、広場を地域に開き、普段の健康と交流の中に防災を組み込んだ。これは自然災害の多い日本のどの地域でも、条件さえ整えば応用可能な考え方だろう。

ASMACI神戸新長田

この取材の最後に、私は鉄人28号像を見に行った。奇しくもこの巨大なモニュメントは病院から南西方向に約400m、徒歩5分ほどの若松公園に立っている。地元の人たちの震災復興への思いを背負い、空に向かって大きく右手を差し出したその足元の日陰には、数人の男の子たちが、自転車を止めて遊んでいた。彼らが、このモニュメントに込められた意味を知らなくても、いつか、なぜ鉄人28号がここに立っているのかを知る日が来るだろう。
神戸にはたくさんの「遺されたもの」「託されたもの」がある。神戸の人たちの震災の記憶と未来への希望は、確かに次の世代へと引き継がれていくと、私は思う。


鉄人28号
Yoko Wakabayashi
