マン島TTやパイクス・ピーク、鈴鹿8耐にも参戦した
モータージャーナリストの伊丹孝裕が最後のバイクとして選んだのは、思い出深いSR400のファイナルエディションだった。
SR400がやってきた。2台目なので「長年憧れ続けてようやく」という一途な心情ではなく、だからといって「またあの頃のように」という思い出補正でもなく、気持ちは静かだ。キーを回す。キックペダルを軽く踏む。デコンプレバーを引いて少し踏み足す。そしてペダルを戻し、今度はやや勢いをつけて踏み抜く。すると、カタタタッとエンジンが始動。静かなはずの気持ちも、この時ばかりはいつだって跳ねる。
1台目は23年前、31歳の時だった。出版社の事務職から2輪誌へ異動になり、初仕事がSRの発売25周年を記念した冊子作りだったことが大きい。自分の記事が誌面になって書店に並ぶ。それは思っていたよりもずっと手応えのある成果で、編集後記に「SR欲しい」と書き残している。実際すぐにニューブラックブルーの新車を手に入れたが、会社を離れることになった4年後に手放している。さしたる蓄えもなく始まったフリーランス人生を前に、家賃2ヶ月分ほどの買取額と引き換えてしまった。
今度は長く、もしかするとずっと続くかもしれない2度目のSR生活は、昔そうしたように、とてつもない距離を一気に走ったり、ブロックタイヤを履いて林道へ分け入ったり、あれこれとカスタムパーツを試すようなものではない。時々近場を数十キロ、たまの旅でせいぜい数百キロ走るくらい。街並みや山あいにSRを置き、その控え目な佇まいと急ぎようもないスペックを楽しみたい。
きっかけは、まったくひょんなことだった。調べもののため、ヤマハのウェブサイトでパーツリストを眺めていた時のことだ。たまたまSRの初期型、つまり’78年型のミラーが未だメーカーに在庫されていて、発注すれば当たり前に手に入ることを知った。発売から半世紀近く経ってなお、部品供給を続けているメーカーの姿勢にちょっと感動し、用もないのについ買ってしまった。数日で届いた最初期の純正ミラー。それは手工芸品さながらの見事さだった。鏡面裏にはうっすらとさりげなく音叉マークが刻まれ、その不均一にゆらいだ線には惚れ惚れと眺めていられる流麗さがあった。
ここで満足するはずだったが、「そういえば」とSRそのもののことも気になって中古車サイトを覗いてみると、車両の状態と価格がそれなりに釣り合ってきていた。’21年にファイナルエディションが出た頃は争奪戦の様相で、新車価格の3倍超えで売りに出しているショップもあったが今では随分と落ち着いている。ファイナルという魅惑に踊らされたはいいものの、発売から5年、2回目の車検を前に冷めてしまったユーザーが多いのでは、と想像する。「キック面倒」「高速つらい」。そんな理由で持て余されたとおぼしき個体が結構存在し、走行距離が600キロ程に過ぎない1台を保護することにした。
都度、最適化されてきたとはいえ、素性は48年前のモデルである。大部分は鉄とアルミから成り、樹脂は最低限。他モデルとの共用部品もほとんどなく、生産後期にはひとりの職人がエンジン一基の組み立てをすべて担い、全工程を含めてもわずか数人の手で一台一台送り出された。効率化ともモジュール化とも無縁を貫き、環境性能や安全基準は受け入れつつも、最後は無理な延命処置を施すことなく、その使命を全うしている。
最後まで変わらなかったSRは、だから最後まで古くもならず、その意味でジムニーやロードスターよりも筋金が入っている。今の時代に同じような手触りを望むのは難しく、それを嘆いてもどうにもならないのだけれど、他に代替を求める必要もない。なぜなら、SRにはまだ間に合う。誰にとっても等しくそこに在って、十分に手が届くからだ。いつかまた、SRの価値が見直される、何度目かの波がやってくる。その時になって、「こんなの俺が若かった頃は」とため息をもらしたり、悪態をついても仕方がないのである。
YAMAHA SR400

’78 初期型

’79 キャストホイール仕様

’83 スポークホイール復活

’85 ドラムブレーキ仕様登場

’93 電装関係アップデート

’96 ステップ、ハンドル変更

’01 新型ディスクブレーキ

’10 インジェクションモデル

’21ファイナルエディション

’21ファイナルエディションリミテッド
伊丹孝裕/Takahiro Itami
