濱口弘のクルマ哲学 Vol.46 オフロード遊びの真髄

文・濱口 弘/写真・シャシン株式会社

 うろこ雲と青い空しか視界には見えなかった。

 急峻な斜面の真ん中で、重力を両肩、背中全面に感じ、タイヤが空転し泥を搔く音を聞きながら、私はいびつに傾いたダッシュボード越しの景色をどう直すか運転席で考えていた。

 その時、バンバン!と私のディフェンダーのボディが叩かれ「ちょっと待ってて!」友人が掛け声をかける。そして、立ち往生している私のためにオフロードコースの外から探して来た、ボウリングの玉のような石をタイヤの下に放り入れた。「オッケー!」私はステアリングと右足に意識を集中しながら、友人に大声で返事をする。ガイドされながらアクセルを踏みトラクションをかけ、フロントがシーソーのように大きく沈み込み、4輪が着地した。それとともにガイドのために地面に這いつくばっていた友人たちが顔を上げると、私の搔いた泥を盛大にかぶってしまっている。その顔をみんなで見合って一斉に、都内ではなかなか出せない声量で爆笑した。

 1年に1回の楽しみだ。普段サーキット走行を楽しむ仲間たちと、オフロードを楽しむ時間を作っている。私は用途の違うディフェンダーを3台持ち込み、オフロード車両を所有していない友人も乗れるようにアレンジし、この日を心待ちにしていた。今日はその他に2台のディフェンダー、ジープ・ルビコン、スズキ・ジムニーシエラの合計7台が、埼玉県秩父にあるオフロードパークに集合。私が持ち込んだディフェンダーは全てラダーフレームを使っている旧型で、このうち1台は映画007・スペクターの劇中で使用された実車で、撮影環境に合わせフル・オフロード仕様になっている。車高を含め、大型タイヤやツインサスペンションなど、ルックスは誘蛾灯のようだが本気で作られたクルマだ。人間が手足を使ってもよじ登ることができない斜度も難なく登り、左右高さの違う斜面でも、沼でトラクションがなくても、タイヤの通る場所と接地面と向きさえ間違わなければ、前に進めない道はない。ファイナルをローギア・モードに入れ、ギアも1速でアイドリングのみ。時速2キロ程でゆっくりと進むクルマには、アクセルもブレーキも触れないことが鉄則だ。

 今回の参加車輌の中でジープ・ルビコンが印象に残った。旧式ディフェンダーで汗を掻き、四苦八苦しながらなんとか通過した悪路も、最新のオフロードデバイスである電子デフ、トラクションコントロール、ヒルクライム装置を搭載するルビコンを運転する友人は、忙しく操縦することもなくアメリカン・オフローダーを颯爽と転がしていた。サーキットでもオフロードでも近代デバイスの発展は著しく、人間がやらなければいけないことは年々減っていくが、航路の決定や最終的な操作判断を人間が行う事は変わり無い。

 以前もこの連載でオフロードについて書いたことがあるが、私にとって、オフロードもオンロードもクルマを上手く前に進めるという点で、共通要素は多いと思っている。どの場面にせよ、ドライバーは加速時も減速時も曲がる時も、タイヤが地面に対して一番仕事をしやすい状況を作ることに尽きる。トラクションをいかに掛けられるかが重要なのは、速度が速くても遅くても、路面が岩場でも泥でもアスファルトでも同じこと。加えて、クルマが滑り出すことにも共通点はあり、それがオーバースピードで滑るのか、泥で滑るのか、傾斜で滑るのか、いずれにせよ滑る前の予測と滑った後の対応も、どちらの場面でも同じである。

 走行面において似ている部分は多いが、サーキットとの一番の違いは、クルマが好きな人たちと同じ空間で、その瞬間を同時に楽しめることだ。オフロードコースは走行するクルマをすぐ近くで見られ、走行速度も遅いことから、ドライバーも周りとコミュニケーションをとりながら運転できる。悪路で前に進めない場合は周りにいる仲間たちからアドバイスをもらい、それでも進めなければ、石や木をタイヤの下に敷いて助けてもらう。それをしてもなお悪路を脱出できなければ、ウィンチ搭載車が救世主となる。助け合いながらクルマを走らせることは、オフロードを楽しむ真髄だ。ここでは地図は要らない、既存の地図にはいま必要なことはなにも書いていないからだ。今いる位置を覚え、後ろを振り返り、自分の足元と座標を探り探り少しずつ前に進む。この山に勝ちも負けもない。自然のなかでクルマが好きな友人たちと道なき道を見出す時間が、すでに待ち遠しい。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。スーパーGTでの優勝を経て、欧州最高峰GTシリーズであるヨーロピアン・ル・マン・シリーズ2024年度シリーズチャンピオンを獲得。ル・マン24時間出場。フィアットからマクラーレンまで所有車両は幅広い。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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