クルマと共に生きてきた ~ 1964年生まれの対談:嶋田智之 vs 神尾 成

今月で131回目を迎える「埋もれちゃいけない名車たち」を執筆している嶋田智之氏と本誌編集長の神尾は昭和39年生まれで今年59歳になる。

クルマに関わってきたこれまでの人生を振り返りながら、これからのクルマとの付き合い方を考えていきたい。

『Tipo』というクルマ雑誌

神尾先月号に続いて今回も「OVER50のクルマの楽しみ方」について考えていきたいのですが、様々なクルマの遊び方を提案してきた自動車雑誌『Tipo』に嶋田さんは、どれくらいの期間携わってこられたんですか。

嶋田僕が『Tipo』に関わったのが’89年から’09年になるのでちょうど20年になります。

神尾バブルが頂点を迎える直前からリーマンショックの翌年までということですね。

嶋田そうなりますね。クルマ雑誌に限らず、雑誌というメディアが華やかで、何でも挑戦できたし、若い編集者に色んな体験をさせることもできた。良い時代にクルマ雑誌をやらせてもらえたと思っています。

神尾その頃と今とを比べると何が違うと思いますか。

嶋田まずお金があったということです。これはおもしろそうだと考えたことが何でもできました。ランボルギーニでもクラシックカーでも一堂に集めて思う存分走らせることができたし、気になることがあれば海外に行って取材することも容易だった。ひとつの取材に多くの人とお金をかけることができたんです。丼勘定が許された時代だったんですよ。

神尾日本の経済が潤っていて、雑誌にチカラがあったということですね。

嶋田確かにそうなんですけど、インターネットが今ほど普及してなかったので、自分たちで調べてみるしかなかったということもあります。プリウスとヨタハチ(トヨタS800)と超軽量モデルのスーパーセブンで一番燃費の良いクルマはどれか、みたいなことをやってプリウスはすごいなとか。クルマについて知ることや楽しむことに貪欲になれたんです。

神尾そういう意味では、スマホ片手に何でも答えが出てしまうのは便利なようでつまらないですね。それに自分で体験したことは忘れないだろうし。

嶋田そこが大事なんですよ。経験していることが多いから『Tipo』出身者はクルマ業界で強いんです。皆それぞれの得意分野を持って生き残っているじゃないですか。

神尾確かに嶋田さんを筆頭に先月号で対談した山田弘樹さん、長年連載を続けてくれている、まるも亜希子さん、石井昌道さん、橋本洋平さん、直接『Tipo』の編集に携わってはいませんが池田直渡さん、と本誌は『Tipo』出身の人たちに支えられています。aheadのコンセプトである「クルマやバイクに乗る意義を見出したい人へ」を文章で具現化してくれる方々ですから。

トミカとスーパーカーブーム

神尾先月号の編集前記でも触れたんですが、嶋田さんは僕と同じ昭和39年(1964年)生まれの同学年でクルマに強い影響を受けてきた年代ですよね。

嶋田確かにそうです。物心ついた時にはクルマに興味があった。

神尾それまでは、商売をしている家のトラックや“ライトバン”しか乗ったことがなかったのに、カローラやサニーが発売(1966年)されて、一般的な家庭にマイカーがやってきた。小学生の頃には、クルマでドライブに行くことがレジャーになっていきました。

嶋田あと「トミカ」が発売(1970年)されたことも大きかった。それまで一括りに“自動車”としていたのにクルマに名前があることを知ったんです。

トミカ(’70~)

1970年、ミニカーは1/43の外国製が主流だった時代に「国産車で子どもの手のひらサイズ」というコンセプトで「トミカ」は発売された。子ども向けとはいえ、重量感のあるダイキャストや焼き付け塗装を採用。さらに精巧なサスペンションや走行性能も良いことから大ヒットした。また身近なクルマが多かったことから、クルマの名前を覚えるきっかけにもなった。

スーパーカーブーム(’75~’77)

1977年にスーパーカーブームがピークを迎える。後楽園球場を始め、全国で“スーパーカーショー”が開催されたのもこの年。スーパーカーの写真を撮ることが流行し、写真の「スーパーカーカード」なども発売される。テレビではスーパーカーの知識を競う『対決!スーパーカークイズ』なる番組まで登場した。

F1イン・ジャパン(’76)

1976年の秋に日本で初めてF1が開催される。『F1イン・ジャパン』と名付けられたこの大会で「マクラーレンM23」や6輪車のタイレル(ティレル)P34」、「星野一義」などの存在が知れ渡った。このレースは2014年に日本公開された映画『ラッシュ/プライドと友情』のクライマックスで再現されるほど歴史的なレースとなる。
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神尾大人になったら乗りたい“憧れのクルマ”ができたということですね。

嶋田そしてそれが、小学校高学年の頃に沸き起こった「スーパーカーブーム」(1975~1977年頃)に行き着くんです。それまでの常識の枠を飛び越えた憧れの対象に出会うんですよ。

神尾スーパーカーブームの影響は計り知れませんね。多くの人がクルマを生涯に渡って好きになるきっかけになったのではないでしょうか。

嶋田僕はまさしくそうです。スーパーカーブームの頃に憧れたクルマに乗ってみたいという気持ちがあったからクルマの世界でやってこれた。子供の頃に蓄えた知識が正しかったのかを実際に確かめてみたかったというのもありました。

神尾嶋田さんの場合は、職業にまでしたのですから相当なハマり方ですが、仕事の内容に関わらず同世代のクルマ好きは、必ず憧れのスーパーカーを今でも心の奥に持ち続けています。多少のノスタルジーを含んでのことでしょうけど、食玩のミニカーや高級なスケールモデルを衝動買いするのも僕たちの年代だと聞いています。

嶋田我々はクルマを実際に運転する前に、一概にクルマを好きになっていた世代なんですよ。大人になることと、クルマに乗れるようになることが同じことだと捉えていましたから。

クルマの前にバイクがあった

神尾では実際に免許を取ってクルマを運転し始めたころの話をしましょう。

嶋田イヤ、その前に自分たちには、バイクがありました。原付でも中型(現普通二輪免許)でもクルマに乗る前にバイクと過ごした時間があるんです。

神尾嶋田さんはヨンフォア(CB400Four)やGS(400E)に乗ってたんですもんね。バイクがクルマの手前にあったというのは、どういう意味があると思いますか。

嶋田まず高校生になった段階で免許が取れて“早く走り出せた”ということがあります。バイクに乗っていたから、いろんな道を覚えることができたし、片岡義男さんの小説の世界に浸ることもできた。

神尾あの頃は、まずバイクから始めてクルマに移行するというのが一般的でした。クラッチをつなぐ感覚だとか、警察が味方ではなく敵になるんだとか、先に公道デビューしていろんなことに慣れることができました。率直にいうと段階を踏めたんですよね。

嶋田バイクに乗った経験があったから実際にクルマに乗って走り始めることがスムーズだったのは確かですね。それと多感な時期に走り出せたことで乗り物にロマンがあることを知ったんです。

神尾今はクルマとバイクが離れていて、特に若い人たちはクルマに乗る人はクルマだけ、バイクに乗りたい人はバイクの免許しか取らないらしいです。経済的な時代背景が影響しているからなのでしょうが、若いころにしか経験したり感じたりできないことも多いので少しもったいないような気もします。

嶋田僕たちのころはクルマもバイクも“交じり合って”ましたから、より深くクルマやバイクを理解ができたのかも知れません。

AE86とヴィンテージイヤー

神尾自分たちが高校を卒業した春(1983年)にAE86がデビューしました。僕の周りには、レビンの APEXとGTVが何台もいましたね。

嶋田良いタイミングで出てきたんです。

神尾みんな赤の3ドアでした。学生でも最長のローンを組めば頭金なしで買えるスポーツカーだったということが購入の決め手だったようです。

嶋田いわゆる“テンロク”(1,600㏄)の時代ですよ。

神尾2リッターを腕しだいで打ち負かせる1,600㏄は、10代のニューカマーにとって大事な存在でした。

嶋田腕を磨くということにおいてテンロクは最高です。特にFRのAE86があったことでレースやラリーが盛り上がった。こういうクルマが手に入れやすい価格で買えたというのは、ものすごくラッキーだったんです。

ヤマハ RZ250(’80~’82)

80年代の“空前のバイクブーム”を牽引したのがヤマハ RZ250だ。絶滅寸前だった2サイクルエンジンを採用した「レーサーレプリカ」の元祖と言える存在で、多くの部品が市販レーサーTZ250と共有できた。発売された当初は、注文してから納車されるまで半年近く掛かるほどの人気ぶりだった。

トヨタ カローラ レビン(AE86)(’83~’87)

AE86型の「カローラ レビン」(写真)とリトラクタブルヘッドライトの「スプリンター トレノ」が1983年にデビューした。大学生でも簡単にクレジット審査が通る時代だったこともあって大ヒットした。発売された当初は、レビンに人気が集中していたが、漫画『頭文字D』に登場以降、トレノの人気が急上昇することになる。現行の「トヨタ86」は、このAE86に由来している。

フジテレビF1中継(’87)

1987年は10年ぶりに「F1日本GP」が鈴鹿サーキットで開催されることと、「中嶋 悟」の日本人初F1レギュラー参戦が決定、フジテレビが全戦をテレビ中継することになった。「アイルトン・セナ」、「ホンダF1」、「鈴鹿サーキット」といった単語が一般化する。同年、二輪の世界GP(現モトGP)も20年ぶりに鈴鹿で開催した。

神尾そして平成元年(1989年)、25歳になる年がヴィンテージイヤーです。レースを席巻したGTRの復活(R32)、ユーノス・ロードスター、レクサス誕生と、日本車が世界に認められました。

嶋田特にロードスターの成功は凄いことでした。絶滅していた「オープンツーシーター」というカテゴリーを復活させたのですから。ロードスターがヒットしたことで本家イギリスのロータスやMG、そしてBMW、ポルシェまでもがこのカテゴリーに参入してきたんです。

神尾日本車が世界を動かしたということですね。

嶋田そうです。それと発売は翌年(1990年)になりますが、ホンダNSXも世界のスーパーカーの基準を変えたといえるでしょう。それまでフェラーリやランボルギーニに快適性はなかったんです。しかしNSXの登場で、スーパーカーであっても普段使いできることが求められるようになった。

神尾日本車と同じように商品としてのクオリティが必要になってきたということですね。

嶋田様々なカタチでヴィンテージイヤーの日本のクルマが、その後の世界のクルマに大きな影響を与えたことは間違いありません。

これまでの考え方を切り替える

嶋田こうやって振り返ると、我々は日本のクルマと共に成長してきた年代だったんですね。

神尾その自分たち世代が今クルマに興味をなくしはじめているんです。

嶋田僕の周りはそんなことはないように思いますけど。

神尾もちろん今でもクルマに熱中している方が多いのは分かります。けれど将来に対する経済的な不安からか、長いローンを組んでまで高いクルマを買うというモチベーションが全体的に下がっているように見えるのです。

嶋田確かに高級なクルマ“だけ”を求めていく時代ではなくなってきています。僕の昔からの友人はN-BOXを買ったことがきっかけでキャンプにハマりました。今ではN-BOXを完全なキャンプ仕様に仕立てて、テントを張らずに焚き火を楽しんでいる。

神尾何かきっかけがあったんでしょうか。

嶋田ひょんなことからクルマに泊まることになっておもしろさに目覚めたらしいんです。きっかけといえば、若い頃に父親を亡くして20代で会社を受け継いだ友人が、3年前にコロナに感染してしまったんです。まだワクチンもない頃で死ぬ直前までいっちゃったんですよ。根が真面目なタイプで国産車にしか乗ってこなかったんですが、いきなり電話してきてJEEPがほしい、前から憧れていたと言うんで驚きました。一度死んだ人生、好きなことをしようって考えたみたいなんです。

神尾今まで家族や会社のために我慢してきたということですね。

嶋田そうかもしれません。これくらいの年齢になると、いろいろあるのが当たり前でしょう。しかし2人ともクルマをきっかけにして人生を前に進めてますよ。

神尾ときにクルマは生きるための原動力になりますから。

日産スカイラインGT-R(BNR32)(’89~’94)

バブルがピークへと向かう1989年、R32型GT-Rはデビューする。197台しか生産されなかったケンメリGT-R以来、16年ぶりの「スカイラインGT-R」の復活となる。後継のR33、R34よりもR32に拘るGT-Rファンは多い。生産中止から30年以上経った今でもバブル世代の愛車として大切に乗り続けられている個体が多い。

ユーノス ロードスター(NA)(’89~’97)

32GT-Rがデビューした平成元年、スペック至上主義の真っ只中に突如現れた「ユーノス(ロードスター)」は、「クルマを愉しむために本当に必要なものは何か」を問いかけた。同年バイクも「カワサキ ゼファー」が登場、クルマやバイクの「テイスト」がクローズアップされた。ロードスターの成功は世界を震撼させることになる。

ホンダ NSX(’90~’05)

NSXは、「ニュー、スポーツカー、X(未知数)」を意味しており、「our dreams come true」をキャッチコピーに1990年に登場した。“ホンダF1”を象徴するモデルとして開発され、市販車初のオールアルミモノコックボディを採用して世界から注目を集めた。トヨタ2000GT以来の日本製スーパーカーと呼ばれる存在。

クルマvs子供と孫

神尾僕の周りではクルマではなく、子供や孫にお金を掛けたいという友人もいます。

嶋田その気持ちを理解することはできますし、それが普通だと思います。以前なら還暦に近い年齢ともなると孫とのんびり過ごすことだけを考えればよかったのかもしれませんが、現代はこの先が長い。

神尾クルマで楽しむことを諦めてしまうのは、まだ早いですね。

嶋田これまでは、よりグレードの高いクルマにステップアップしていくことがクルマ趣味だと思われてきたかもしれませんが、考え方を少し変えれば、まだまだクルマを楽しめると思います。

神尾先の話のように車中泊のキャンプ仕様を仕立てるとか、昔から好きだったクルマに乗り換えるということですか。

嶋田それができれば一番なんですけど、中々簡単にできることではありません。

神尾でしたら今乗っているクルマのタイヤ空気圧を上げてみることから始めてみるのがイイと思いませんか。

嶋田それはおもしろい。そういうことなら次のオイル交換の際に、奮発して高級なオイルにしてみるのもアリかもしれません。それだけでクルマは大きく変わります。

神尾確かにそうですね。ハンドリングが変化して、エンジンフィーリングがよくなればクルマへの愛着は倍増します。

嶋田僕たちの世代はクルマの運転が上手くなることがステイタスだったので、大なり小なり、みんな努力してきた。その分クルマの変化を感じ取るセンサーが発達しているんですよ。

神尾クルマの運転が上手いことがモテる条件だった時代ですから。

嶋田それといきたかった場所にクルマで行くことをお勧めします。新幹線や飛行機を使った方が費用や時間効率がよかったとしてもです。必ずクルマ好きだった自分に気づくはずですから。僕は年に数回、関西に通っているのですが、時間のある時は必ずクルマで行くようにしています。

神尾なるほど、まずはクルマで買い物に出かけた時に遠回りしてみるのもアリですね。それと久しぶりに夜の海岸線を走ってみるのもイイんじゃないでしょうか。

嶋田とりあえずやってみて、少しでもクルマに憧れた頃の気持ちを思い出すことができたら、クルマはいつまでも人生における大切な存在でいてくれるんです。僕たちは、クルマに縁の深かった世代なんですから、クルマから離れて生きて行くのはもったいないことだと思います。


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