リベンジ 伊丹孝裕のPIKES PEAKパイクスピークへの挑戦

VOL.1   2輪部門、日本人初表彰台を目指せ!

  決勝143台中143位。それが2013年のパイクスピークで僕が残したリザルトだ。要するに最下位に名前が刻まれるという極めて不名誉なものだった。

  本誌にその模様を連載していた時のタイトルに『2輪部門、日本人初表彰台を目指せ!』などと掲げていただけに、今読み返すと恥ずかしさ倍増である。

  そうなってしまった理由は転倒によるリタイヤだ。協力してくれたサプライヤーの多くのパーツとメカニックの技術がたっぷりと詰まった車両だったが、スタートからわずか2分程の地点で転倒後にコースアウト。滑落防止用のネットに絡め獲られるようにして走行不能状態に陥り、バイクは全損した。

  さすがにしばらくは「なぜ?」という思いが繰り返しよぎったが、今はもう納得している。そういう巡り合わせを引き寄せてしまったのは誰でもなく自分であり、レースというものは多かれ少なかれ必ず誰かがふるいに掛けられる。よりによって、なにもそれがアメリカでなくとも……という思いはあるが。ともかく、そんなモヤモヤを解消するためにも、僕は今年もまたパイクスピークの山頂を目指すことにしたのだ。

  再挑戦の直接的なモチベーションはいわゆる「リベンジ」だが、自分に課したもうひとつのテーマに「継続」がある。レースを直接生活の糧にしていないにもかかわらず、それに参戦し続けるという行為は、家族を持つ身としては本来あまり許されない。それでも少なくともあと数年、もしくはあと数回はその場にいたいと思っているのだ。

  それは42歳という今の年齢が無関係ではない。特に最近は、「人生のうちであと何度なにかにチャレンジできるだろう」と、考えることが多くなってきた。寿命で言えば折り返し地点を過ぎ、レース人生で言えば終盤も終盤で、冷静に見れば延命しているに過ぎないが、まだなにかが残せると信じている。フィジカルと時間、そしてコスト面では日々の生活(と家族)に負荷を掛けることになるが、パイクスピークの山頂は今の自分が目指せる最高峰なのだ。

車両製作は横浜のMVアグスタディーラー「TIO」が、少ない時間の中で仕上げてくれた。現地でのメカニックは広島のディーラーである「モトエスエックス」が担当。


  おそらく目標がなんであれ、一度きりならあらゆるモノを切り捨ててでも、どんな大借金を背負ってでも突き進めると思う。自分の事に関して言えば、かつて参戦したマン島TTレースがまさにそう。あの頃の僕を動かしていたのは、’06年のレースで命を落とした前田 淳選手との約束だった。その前年、取材者として初めてその島に訪れていた僕は、そのレースの様にあまりの衝撃を受け、軽々しくも「いつか自分もライダーとしてここに来ます」と、そんな風なことを口走っていた。

  しかし、前田選手はのぼせ上ったシロートの戯言だと聞き流さなかったばかりか、彼のレースをコーディネイトしていたマネージャーに「伊丹さんって人がTTに出たいって。なにかあったら相談にのってあげて」と頼んでくれていたのだ。それを聞いたのは前田選手が亡くなった後のことで、以来僕は「約束は守らなきゃ」という一心で動き始めることになる。たぶん前田選手が生きていたら、永遠に「いつか」を繰り返していただろう。結果的に、最初の訪島から5年が掛かったものの、’10年に初参戦へとこぎつけることができたのだ。

  そんなマン島では、この上なく幸せな瞬間を幾度も経験したが、それ以上に疲弊もしていた。

  なにより困窮を極めた金銭事情がそうだったし、それと前後して、あまりにも多くの友人や知人が次々とバイクで死んでいったことも影響していただろう。応援してくれた多くの人々には失礼ながら、レースウィークが始まる半月程前、マン島に辿り着いた時点である種の達成感を覚えていたとも言える。

  バイクと工具とスペアパーツ、それに生活道具の一切を乗せたトランポを日本から送り、ロンドンからリヴァプール、そしてフェリーでマン島へ。そうやってグランドスタンドに立った瞬間、脳裏に駆け巡った、まさに走馬灯のような5年分の想いやシーンは忘れられない。あの時、僕は確かに前田選手を傍に感じて涙が止まらなくなった。今にして思えば、そこで僕のマン島TTレースは完結したのだろう。訊ねられると「いつかまた」と口にしてみるものの、今のところ2度目の予定は立っていない。

ステップは「ベビーフェイス」製をチョイスした。剛性とホールド感に優れ、パイクスピークのような荒れた路面であってもコントロールの精度を損なわない。マフラーはフルパワーモデル用を使用する。


  一方でパイクスピークは、なにかに突き動かされているというよりも自分の居場所を切り開いていっている感が強い。もちろん多くのメーカーや企業、ショップから個人に至るまで、様々なサポーターが応援してくださり、誌面やネット、SNSを通じて多くの方々から声援をもらっていることもある。だからこそ継続し、目に見える形で結果を残すことを欲している。

  そのために選んだ今年の参戦車両がMVアグスタのF3 800だ。その車名の数字が示すように800ccの3気筒エンジンを搭載したイタリアンスポーツで、148ps(本国STD仕様)を発揮する高回転型ユニットを抱える。車体はわずか173㎏に過ぎない。

  このパワーバランスがもたらすハンドリングを強みに標高4300mのゴールに挑む。今年の決勝レースは3日間に渡る予選の後、6月29日に開催される。

文・伊丹孝裕
写真・山下 剛

今年もまた多くのメーカーやショップに協力頂いた。協賛各社のステッカーを車体に貼付する時間は有難く、なにより身の引き締まる思いだ。

車体や工具、スペアパーツはひと足早く、5月中旬に船便にてアメリカに向かった。開催地のコロラド州まで航路と陸路を併せて、約1ヵ月弱の行程となる。


Takahiro Itami

2輪専門誌の編集長を務めた後、’07年にフリーのライターとして独立。同時にレーシングライダーとしても活動も開始し、マン島TTや鈴鹿8耐、そしてパイクスピーク等に参戦している。参戦2年目の今年のパイクスピークではMVアグスタ・ジャパンの協力の元、そのディーラーである「TIO」と「モトエスエックス」との混成チームを結成。昨年のリベンジと表彰台を狙っている。


撮影協力
MVアグスタ・ジャパン TEL0538-23-0861 www.mv-agusta.jp/
TIO TEL045-722-8020 www.tio-bike.jp/
モトエスエックス TEL082-962-1760 www.motosx.com/

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