編集前記 Vol.29 アラ還からの侘びと寂び

文・ 神尾 成

「マニュアルの方がゆっくり走れるんだよ」先日、同世代の友人から出た言葉だ。

 彼曰く、ATは低速時にレスポンスがボヤけるのでアクセルを踏み過ぎてしまい運転が荒くなるというのだ。「マニュアルの魅力をスポーツ性だけで語るのはナンセンス。クルマはクラッチとギアを操作しながら、できるだけゆっくり、そして丁寧に走らせる方が今はおもしろいんだ」と。

 「マッチのマーチ」からロータス エリーゼ 111Rまで、30台近いクルマと40台以上のバイクを乗り継いできた現在の彼の愛車は、アバルト 595のMTとフィアット バルケッタのMT、そしてバイクはファンティックのキャバレロだ。しかし還暦を迎えて早々に仕事をリタイアしたこともあり、複数台の所有は経済的に難しいと、近い将来クルマもバイクも整理してコペンのMTに乗り替えるらしい。この友人とは40代の前半まで一緒に筑波サーキットへ通い詰めてサンデーレースや走行会で全国を飛び回った。それにチームメイトとして、もてぎの7耐やTI(現、岡山国際)の3時間耐久に参加したこともあるのでバイクを手放すと聞いて少し寂しさを覚えた。

 とはいえ若い頃は速く走ることに夢中だったせいか、こういう話はしなかったので新たな共通の趣味を見つけたようにも感じたのである。実はバイクをコントロールする喜びを如何に深める・・・かがサーキット走行をやめたあとのテーマだったからだ。「ブレーキのリリースで向きを変える」、「アクセルは小指で握る」など、微妙な操作に対するバイクの動きの変化を探究してきたのだ。また見栄やスペックよりも“シンクロ率が高い”ことが車両選びの絶対条件になっていた。

 年齢と共にクルマやバイクに求める価値は変わっていくが、アラ還からは、どのように枯れるかというこれまでにない課題も加わってくる。その一方で完全に若者ではなくなった現実の自分を受容した先に、侘びや寂びを伴う奥深い世界が広がっているように思う。この感覚を捉えることができればクルマだとかバイクであるだとかは、ほとんど意味を成さないはずだ。

神尾 成/Sei Kamio

2007年11月からaheadに参画、企画全般を担当している。2010年から7年間編集長を務め、後進に席を譲ったが、2023年1月号より編集長に復帰。朝日新聞社のプレスライダー、ライコランドの開発室主任、神戸ユニコーンのカスタムバイクの企画などに携わってきた。1964年生まれ60歳。

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