F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 PLUS vol.22 チャンピオンが渇望するもの

文・世良耕太

 メルセデスAMGペトロナスのニコ・ロズベルグが、2016年のF1チャンピオンになった。

 ’14年、’15年はチームメイトでゴーカート時代からの幼なじみであるルイス・ハミルトンの後塵を拝していた。それだけに、感慨もひとしおだったことだろう。ロズベルグは’15年シーズンの終盤に3連勝すると、’16年は開幕から4戦続けて勝利を飾り、勢いに乗った。終盤はハミルトンが4連勝してロズベルグを追い詰めたが、ときに大胆に、ときに冷静なレース運びで着実にポイントを積み重ね、わずか5ポイント差ながらタイトルをもぎ取った。

 1985年生まれの31歳。まだまだこれからである。所属チームは’17年シーズンの活躍を期待していたことだろう。契約は’18年末まで結んである。

 ところが、最終戦アブダビGPのタイトル獲得劇から5日後、ロズベルグは突如として引退を発表した。理由をひと言で説明すれば、「長年の夢が叶った」からだ。ロズベルグは自身の口から、ファンに向けてメッセージを発した。

 「レース人生を送ったこの25年間、僕の夢はたったひとつしかなかった。それは、F1ワールドチャンピオンになることだ。苦痛を感じることもあったし、犠牲を払うこともあったけど、懸命にやってきてようやく目標に到達することができた。僕は山を登り切ったんだ。頂点に立ったんだよ」

 この先F1ドライバーを続けて、これ以上何が手に入るのか、と言いたげなメッセージだ。第17戦日本GPで、ロズベルグはシーズン9勝目を挙げた。この時点でハミルトンに自力優勝のチャンスがなくなったことで、「チャンピオンになったら引退する」ことを考えるようになったという。最終的には最終戦の朝に決断した。

 チャンピオンになったドライバーがそのシーズンで引退するのは、 M・ホーソン、J・スチュワート、N・マンセル、A・プロストに次ぎ、F1史上5人目だ。過去4人は心や体、あるいは政治的な問題を抱えて現役を退くことにしたが、表面上ハッピーエンドなのはロズベルグが初めてだ。

 頂点に立ったドライバーやライダーだからこそ、足元に広がる深い底が見えるようになるのだろう。それまでは、頂点を見上げていれさえすればよかった。ところが、チャンピオンになった後はそうはいかない。ロズベルグのメッセージには、家族の献身的な犠牲に支えられて夢を達成できたことへの感謝があふれている。その犠牲を今後も強いなければいけないのか、と。ロズベルグの引退は、自分の欲と家族の愛情をはかりに掛けたうえでの、潔い決断に思える。

 絶頂期で引退を決断した例に、MotoGPで活躍したケーシー・ストーナーがいる。’11年、26歳で2回目のチャンピオンになったが、その翌年に引退を表明した。彼の引退はロズベルグと同じとは言えないが、人間らしい生活を求めたという意味では同じだ。

過去2年の「負け」が気持ちを奮い立たせたと、ロズベルグは振り返っている。ただし、強敵ハミルトンが立ちはだかったため道のりは平坦ではなく、だからこそ、妻ヴィヴィアンに負担を強いた責任を感じているよう。自分がレースに集中できるよう献身的に見守ってくれたことや、その合間に幼い娘の面倒を見てくれたことに対し、「十分な言葉が見つからない」という表現で、感謝の言葉を贈っている。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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