おしゃべりなクルマたち vol.83 人間はみな運転できる

 運転というのは運転してこそ上手くなるもの。初めから上手な人間はいない。免許を取ってスタートラインに立ち、そこからどれくらい走るか、たくさん走ってこそ、上達する、それが運転だと思う。

 もちろん例外はある。つまりスタートラインに立てぬ人間がいるーー、わかっているつもりだったが、我が娘がこの“例外”の範疇に入ると知った時は驚愕した。この世に他人事は存在せぬ。

 教習所の意向で、83歳の天才教官、ペペに個別指導を受ける(そうでなければ免許は差し上げられないと言われた)ことになった娘の話を先月、記したが、あれからひと月、レッスンが佳境を迎えている。娘は教習所から明るく戻ってくるが内容を尋ねるとその反応はイマイチ。上達したか、よくわからないと言う。特別な教え方をするのか?と尋ねても、うーんと首をかしげるばかり。「ペペはこうしろ、ああしろとは言わないよ。言うのは巻き寿司って美味しいね、大好きだってそればっかり」 真面目にやっているのか。あー、見に行きたいくらいだ、私が嘆くと、フランスの“緩さ”を知る息子が耳打ちした。「寿司、作って届けろよ。せっかくいらしたんだから今日は同乗なさるといいってそういう展開になるぜ」 実際、その通りになった。20本の巻き寿司を作って教習所に届けると、たいそう喜んだペペが「おかーさん、せっかく此処までいらしたのだから、同乗なさるといい」、こう言ったのである。

 教習所から話し合いに来てくれと電話をもらったとき、この世にどれくらいこういう連絡を受けたヒトがいるだろうかと考えたが、それでいけばこの世に娘が運転する教習車に乗ったことがある親がどのくらいいるだろうと思わずにはいられない。いや、教習所に寿司を付け届けした親は世界に何人いるのか。それでも貴重な体験をした、これは間違いない。

 この日、私はペペと色んな話をした。最も知りたかった、娘に何が欠如しているのか、この点について、ずばり“車両感覚”だとペペは言った。これは思いも寄らぬことだった。私は意欲不足と考え、息子は勘が悪いと分析していた。「意欲、ありますよ」、ペペは言い、「初めて運転するんだから勘、あったらオバケだ」こう笑ったのだった。ハンドルの揺れもペダルの踏み加減の唐突さも、前後左右、クルマの大きさが把握できれば解消されるとペペは言う。彼が娘に車両幅ギリギリの一通や橋や狭いトンネルや葉っぱが車体に触れる森を走らせることが不思議だったが、すべて車両幅を掴む訓練だったのだ。

 「運転が好きか嫌いか、それはね、個人の嗜好だから私が介入することではない。言えるのは、人間は運転が出来るようにつくられた生き物だってことです。クルマが運転できる動物は人間だけ。だから、免許とって運転してごらんなさいって私はいつも勧めるんだな」

 私はペペが大好きになった。それは娘も同じだそうで、ペペのために免許を取る、彼女はいま、こう言っている。

文・松本 葉

Yo Matsumoto

コラムニスト。鎌倉生まれ鎌倉育ち。『NAVI』(二玄社)の編集者を経て、80年代の終わりに、単身イタリアへ渡る。イタリア在住中に、クルマのデザイナーであるご主人と出会い、現在は南仏で、一男一女の子育てと執筆活動に勤しんでいる。著書:『愛しのティーナ』『どこにいたってフツウの生活』(二玄社)など。

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