F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 Vol.58 ドライバー人事の背景

 ’92年以来、23年ぶりに復活するマクラーレン・ホンダのドライバーラインアップは、F・アロンソとJ・バトンに決まった。

 フェラーリから移籍したアロンソは、ルノーで2年連続チャンピオンを獲得した後、’07年にマクラーレンに移籍した。当時はマクラーレンの薫陶を受けてきた若手成長株のL・ハミルトンを中心にチームが回っており、そのムードに嫌気が差して1年限りで離脱。古巣のルノーに戻った経緯がある。

 ’08年にルノーに戻ったのは居心地の良さゆえだったが、8年ぶりにマクラーレンに復帰するのはどういうわけだろうか。マクラーレンに請われたのはもちろんだが、アロンソ本人が価値を認めたからに違いない。チャンピオンを獲得してからのアロンソは、思い通りの条件が手に入らなければ首を縦に振らない人間になった。その「条件」にはマシンのパフォーマンスも含まれている。マクラーレンとホンダのタッグが相応のパフォーマンスを生み出す保証を、何らかの形で受け取っているはずだ。

 ’07年と同じ思いをしないためにも、アロンソはチームメイトの選定に関しても口を挟んでいるはず。バトンが残留したため、’14年にデビューイヤーを過ごしたK・マグヌッセンがテスト兼リザーブドライバーに退くことになった。この人事に関しても少なからぬ影響をおよぼしたに違いない。自分中心にチームが回り、最高のパフォーマンスが発揮できるようにするために。

 アロンソが抜けたフェラーリには、レッドブルからS・ベッテルが移籍し、K・ライコネンとコンビを組むことになった。ベッテルといえばレッドブルの申し子である。’10年から’13年まで4年連続でチャンピオンを獲得することができたのも、レッドブルの強力なサポートがあってこそだった。’14年のチームランキングは2位だったが、低迷著しいフェラーリに比べれば望みはあり、ポテンシャルを判断材料にチームを選べば、必ずしもフェラーリという選択にはならなかったはずである。

 それでもベッテルは、フェラーリに行きたかったのだ。いや、ベッテルに限らず(アロンソだってそうだ)、レーシングドライバーというもの、一度はフェラーリの一員になってみたいのだ。イタリアの本拠地近くにあるテストコースで初めてフェラーリのF1マシンを運転したベッテルは、興奮まじりにこう語った。

 「子供の頃、フェンスの向こうで首を伸ばし、マイケル(シューマッハ)の走りを見ようとした日のことを今でも覚えている。それだけに、おとぎ話が現実になったようだ」

 成績が低迷すると、後先を考えずチーム首脳陣の首をすげ替えるのはフェラーリのお家芸。見通しは明るいとは言えないが、夢を現実にしたベッテルは意に介していないようだ。

フェラーリは2013年第5戦スペインGPで優勝して以来、33戦連続で勝利から見放されている。‘90年〜’94年の58戦、‘85年〜’87年の37戦に次ぐ低迷ぶり。低迷が長引くと、首脳陣を大胆に更迭して新しい血を入れるのもフェラーリの伝統。チーム代表に加え、パワーユニット開発責任者も追い出された。元ブリヂストンの技術者、浜島裕英氏もチームを去ったひとり。ハミルトンに王座を明け渡したためカーナンバー「1」を付けられなくなったベッテルは、「5」を固有ナンバーに選んで新シーズンに臨む。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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