今年も戦争を振り返る時期がきた。
昨年は終戦80年の節目の年だったことから、数回に渡り「戦後80周年企画」と題したドライブ記事を展開した。一夜にして長崎の原爆を上回る犠牲者を出した東京大空襲の足跡を辿り、艦船と基地の町の呉で今も続く戦争に思いを馳せ、戦後の復興に尽力した白洲次郎の邸宅を訪ねたのだ。中でも反響が大きかったのは2回に分けて掲載した鹿児島の特攻隊史料館を巡る企画だった。
初日は鹿児島空港からクルマで薩摩半島南部の知覧へ向かい、全国的に有名な「知覧特攻平和会館」をはじめ、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメの「ホタル館 富屋食堂」や、「子犬を抱いた少年兵」が撮られた万世飛行場の跡地にある「万世特攻平和祈念館」に赴いた。指宿で宿泊した翌日はフェリーで大隅半島に渡り、最も多くの特攻機が出撃した『永遠の0』の舞台でもある「鹿屋航基地史料館」を取材したのだ。東京からでも飛行機とレンタカーを駆使すれば、一泊二日で鹿児島の特攻隊史料館を周ることができると提案したのである(興味のある方は「ahead 特攻隊」で検索してみてほしい)。
遠方にドライブ旅行に行く目的は人それぞれで違うだろうが、この企画のようにテーマを決めることで単に観光にいくよりも主体的になれると思う。若い頃は、おもしろそうというだけでも動き出せたが、年齢を重ねると出かける“意味”が必要になってくる。特に歴史に纏わるテーマを持つと人生経験が増えた分だけ自分なりの考察も深まっていくはずだ。
ちなみに戦後の日本は連合国による直接統治ではなく、間接統治にされた理由をご存知だろうか。天皇制や政府を引き継ぐことでコストを抑えて速やかに統治できるとアメリカが判断したからだ。しかしそれだけではなく特攻隊の影響も少なからずあったと個人的には考えている。追い詰められると日本人は何をするか分からないという畏怖の念が、結果として日本を安易に分断させず、戦後の日本人の暮らしを守る一因になったのではないか。特攻隊を深く知った今はそう思うのである。
神尾 成/Sei Kamio

