池田直渡の見たジャパンモビリティショー~次のワクワクをみつけ出せるか

池田直渡の見たジャパンモビリティショー~次のワクワクをみつけ出せるか

文・池田直渡

 クルマ好きに長らく親しまれてきた「東京モーターショー」が今回から新たに「ジャパンモビリティショー」と名を改めて開催された。

 東京からジャパンへ、モーターからモビリティへ。名前だけ変えても、中身が同じなら意味がない。かと言って何もかも打ち捨ててしまうなら引き継ぐ意味がない。一体何を引き継ぐのだろう。そこには当然改革と継承が同時に求められるのだ。その根底にあるものは何か? 勿体ぶっても仕方ない。東京モーターショーの本質となる遺伝子はおそらく「ワクワク」だと思う。

 かつてクルマは手の届く間近な未来の象徴であり、その新しいデザインや性能、画期的なコンセプトは、クルマ好きをワクワクさせるに足りるものだった。独断を承知で言い放てば、誰もが同じものを見てワクワクしたピークは日産の32型GT-R(1989年)とスズキのHAYABUSA(1999年)だったのではないだろうか。10年の幅があるが、どちらも「とんでもないものがデビューした」と、多分多くの人を驚愕させたし、そこには、文句なしの「スゲェ」が存在した。GT-Rの280馬力も隼の時速300キロもそれ以上説明がいらない。あの当時、スピードは共通の価値として通用したのである。

 そして充足がやってきた。ほとんどの人はもう満足してしまった。時速300キロだって十分非常識な速度だが、アウトバーンでもなんでもいい、特別な舞台が用意されたら「オレにも」の可能性がどこかにあった。本当に出すかどうかは問題ではない。その世界が自分と地続きなものと感じられることでワクワクできた。

 しかし「次は時速400キロです」。と言われてもそれでワクワクできるのは、一部の人に限られている。280馬力の後、馬力もどんどんインフレしていった。400キロも500馬力も多くの人にとってもう地続きではないのだ。そうして徐々に夢は共通のものではなくなったが、ワクワクが無くなったわけではない。おそらくワクワクは細分化していったのだ。ドイツ車のかっちりした信頼感、イタフラの軽やかさな楽しさ、ライトウェイトスポーツの操る充足、ミニバンで家族や仲間と出かける楽しみ、SUVが広げる活動範囲など様々に。

 たぶんではあるが、そういう細分化した世界は、新型車が出る度に次々と更新されていくことはなく、それぞれに基準となる過去体験があり、新しさに沸き立つというよりは、もっと時間をかけて味わい、同好の士と深く穏やかに楽しむことが重要とされる。ハードそのものではなく、ハードの先にある「体験」こそがワクワクの原動力なのではないか。

 それは家族揃って居間でテレビを見た時代から、それぞれがスマホで動画コンテンツを楽しみ、同好の士とコメントで共感を作る時代への変化と似ている。

 日本だけではない。だから東京モーターショーに限らず、世界の先進国のモーターショーは時を同じくして没落していった。まだモータリゼーションが未熟で、共通の未来に盛り上がれる中国と新興国を除けば、似た様な時期に似た様な流れが訪れた。

 そういうご時世にあって、先進各国のモーターショーの実績を見ると、先回のショーの動員が100万人を超えたのは、東京しかない。地域を問わずあらゆる業種のコンベンションで、100万人を超えられるのは、東京モーターショーだけなのだ。それを前向きに捉え、東京にも、クルマにも、まだ可能性があることをもっとポジティブに受け取ってもいいのではないか。

 細分化に対応するには多様化するしかない。だからジャパンモビリティショーでは、自動車産業だけでなく、クルマをピボットとしつつも、日本の未来のワクワクを担える多くの会社を誘致して、モビリティの未来、ひいては新しい時代のワクワク体験をダイレクトに届けるショーとして生まれ変わった。参加企業475社、スタートアップ出店企業90社、そしてキーとなる「Tokyo Future Tour」に177社が参加した。これはモビリティが切り開くであろう未来都市Tokyoの世界を体験させるものだ。

 現在、大手メディアも大衆も「オワコンTokyo」大キャンペーン中である。「日本は没落する」、「三流の貧しい未来」。当然、東京モーターショーについても「オワコン」呼ばわりする声は少なく無い。そんなネガティブな情報ばかり繰り返し、国民に自信を失わせてなんになるのか? 確かに未来はわからない。でもわからない未定の未来なら明るい展望を目指すべきだ。筆者の認識で言えば、「Tokyo Future Tour」に参加した177社は、未来の日本を明るくするという決意の下に、まだファイティングポーズを取り続けている人たちだ。未来を信じ、切り開こうとしている。だからこそ「乗りたい未来を探しに行こう」というキャッチフレーズが選ばれた。先頭に立って戦う彼らの奮闘にエールを贈り、なんなら自分も日本の未来のために戦うひとりでありたい。

 残念ながら文字数の関係で、その多様な177社を詳細に説明することはできないから、ひとつの事例を取り上げよう。NTT DATAが、トヨタの自動運転多目的車、e-Paletteをベースに作った未来型ストアがある。なんだ移動販売車かと思ってもらっては困る。このシステムのすごいところは、自動運転で農作物を仕入れ、加工して製品にし、それを無人販売するところにある。e-Paletteは無人運転で、あらかじめ契約した農家を回って、農作物を受け取り、それらを車内でスムージーに加工して無人で販売を行う。

 農業では少し前から6次産業化が注目されてきた。1次産業の農家が、2次産業としての食品加工を行い、3次産業としての販売までを行う。1、2、3を順に掛けて6。それを6次産業と呼ぶ。通常、小売価格は顧客の購入意欲を見て小売店が決める。その仕入れ価格は小売店の意見を聞いて食品加工業社が決める。そして食品加工業社が卸価格とのバランスで仕入れ単価を決める。遡るほど価格決定の裁量が減り、利幅も減る。それを解決するために、起点である農家が全てを自前化しようという考え方が6次産業なのだ。

 しかしながら、農家の生産量は限られており、加工機械をフル稼働させられるケースは少ない。そしてできた製品を効率よく売るノウハウもない。そんなわけで6次産業化は、加工機械の販売会社が農家を騙して荒稼ぎすることが多かった。農家の実情を無視して、高額な機械を販売する問題は筆者の耳にさえ届いている。

 もし、こうした機械を搭載したクルマが何件もの農家を回って、食品加工を行えば、加工機械のシェアリングサービスになる。そして地域を回るところから販売までを行うのは生成AIである。例えばこのAIに栄養学を学ばせれば、購入者の既往症などに応じて、メリットの多い食材を選んでスムージーを作ることも可能である。

 まだまだ開発中で、仮説でしかないことも多い。色んなところを改善していかなければならないが、農業の困りごとを、モビリティと通信、AIを使って解決していこうという考え方は、まさにジャパンモビリティショーが目指す「多くの企業が力を合わせ、モビリティをペースメーカーとして、社会の困りごとを解決していく」というビジョンそのものである。

 善なる思いで社会を前進させていこうとするこういうトライを後押しするという道をジャパンモビリティショーは選んだ。明るい未来を信じることができるか、それはひとりひとりに問われている。

Naoto Ikeda

自動車経済評論家。1965年生まれ。ネコ・パブリッシング退社後、2006年よりビジネスニュースサイトの編集長に就任。2008年に「グラニテ」を設立。クルマの開発思想や社会情勢との結びつきに着目した執筆活動を行う他、YouTube「全部クルマのハナシ」を運営。著書に『スピリット・オブ・ザ・ロードスター』(プレジデント社刊)、『EV(電気自動車)推進の罠「脱炭素」政策の嘘』(ワニブックス刊)がある。

池田直渡の見たジャパンモビリティショー
~次のワクワクをみつけ出せるか
文・池田直渡


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