特集 クラスレスの時代

 徹底した階級社会がクラスレスなクルマを生む。カジュアルなはずのSUVにロールス・ロイスやベントレーなどの超高級メーカーが参入する。

 誠に、人間とは矛盾を孕んだ不思議な生き物だ。吉田拓生氏にはクラシック・ミニの生まれた背景と、ミニが英国社会に与えた影響を、今尾直樹氏にはSUVにプレミアムモデルが誕生する理由を、それぞれ解き明かしてもらった。

階級社会が生み出したクラスレス

文・吉田拓生

 服装を着崩す、いわゆるドレスダウンという行為が当たり前のように行われている昨今だが、よくよく考えてみるとこれは単純なことではない。ドレスアップをひと通り修めた者にだけ許される高尚な服装術だからである。それはまるで、伝統的なオーソドックスな、そしてコンサバティブなファッションや音楽に対する反動として、英国にパンクという文化が栄えたように。

 だが英国車を見回してみると、相変わらずクラスソサエティ(階級社会)に支持されたブランドが多いことに気づかされる。ロールス・ロイス、ベントレー、アストン・マーティンは言わずもがなで、それ以外にもスノッブなブランドが多い。

 元を辿れば、草創期の自動車は貴族的で裕福な人たちのための乗り物であり、彼らの資金援助によって成立してきたという事実を考えればそれも当然である。しかし貴族の資金も底なしではない。実際にアストン・マーティンを例にとるまでもなく、事ある毎に倒産直前まで追い込まれ、その都度、新たな資金提供者が現れるということを繰り返してきたブランドばかりなのである。

 それでも今日、超がつく高級な英国車の人気が世界的に高いのは、英国の階級社会が持つ独特の雰囲気、伝統や格式にあやかろうという人物が世界規模で多いという背景もある。草木はもちろん人の気配すらなかった広大な砂漠に、オイルマネーを使って突如として未来都市を築きあげた中東・ドバイはもちろんのこと、英国からの移民も多く、建国してまだ250年も経っていないアメリカ、特に東海岸のエスタブリッシュメントたちも、英国による階級文化の香りを何より好む。英国車=高級という考え方はひとつの正義なのである。

 一方、階級社会に支配されていない、いわゆるクラスレスな英国車は、今日ではただひとつの例外しか存在していない。ミニである。

 今日、世界に普及している前輪駆動のブレッド&バターカーの構成手法に最大のヒントを与えつつ、自らは今なお孤高のポジションに鎮座し続けているコンパクトカーは、英国中のワーキングクラスのみならず貴族や有名人にも愛された初めての存在であり、唯一無二のクラスレス英国車なのである。

 1959年に生を受け、都合2000年まで作り続けられたクラシック・ミニは、長寿を狙って作られたわけではなく、結果的にそれ以外のブランドが生き残れなかったと考えるのが正しい。その出自を振り返ると、忘れかけようとしている事実に思いあたる。今日では車名のみならずブランド名も兼ねているように思われる「ミニ」というネーミングが、もともとは車名の一部に過ぎなかったという点である。

 誕生した当初のミニは、モーリス・ミニ・マイナーとオースティン・セブンという異なるブランドのバッヂを掲げ、各々のディーラーで販売されていた。この車名の元となったのは戦前の大ヒットモデルに付けられていた名称なのである。つまりこれはデビュー当初、得体の知れない風変わりな小型車に過ぎなかったミニのヒットを祈願するため、偉大なモデルの名を継承させたというわけなのである。

 戦前から戦後にかけて、英国にはオースティンとモーリスのみならず様々な自動車ブランドが台頭していた。ミニを生んだ親会社であるBMC(ブリティッシュ・モーター・コーポレーション)だけでも格付けの異なる5ブランドを抱えていた。高級でスポーティなライレー、若干スノッブなオースティンと、その生みの親である上質なウーズレー。中産階級に愛されたモーリスと、そこから派生したスポーティなMGといった具合である。

 階級社会の仕組みの中から産み落とされたクラシック・ミニが、後にクラスレスな気風を帯びてひとり立ちしていった背景には、この稀代の小型車が誕生することになったきっかけも含まれていた。

 他に先んじて産業革命を経験し、いつの時代も戦勝国としてあった英国の戦後社会は順調で裕福に思えるのだが、事実は異なる。戦争は全ての国民を疲弊させ、大戦直後の英国には鉄も油も不足していた。そこに追い打ちをかけた危機がスエズ動乱だった。

 植民地を配下に治め、スエズ運河をも手中にしていた英国は世界中から多くの富を集めていた。だが1952年にスエズ動乱が起き、1956年に運河が英国の支配下ではなくなると、石油の供給が度々途絶え、イギリスではガソリンが配給制になるなど、不穏な空気が蔓延したのである。

 BMCの会長、サー・レオナード・ロードがミニの生みの親となるエンジニア、アレック・イシゴニスに命じたのは、燃料消費の少ない効率の良い小型車の開発だった。クラシック・ミニのコンセプトは機能優先であり、それが英国のクルマ社会にも根強くあった「クラス」という考え方を壊す要因にもなっていく。

 フロントエンジン・リアドライブ車が一般的だった当時の英国車において、フロントエンジンで前輪駆動のクラシック・ミニは突然変異のような存在だった。まさにトラディショナルに対するパンクのようなものである。

 ミニが潜在的に秘めていたパンクの気風は、オーナー像にも波及していった。リバプールの田舎者から成りあがったザ・ビートルズは、国家元首クラスのロールス・ロイス・ファントムを転がすほどの大金持ちになっていたが、そんな自己表現だけに飽き足らず、メンバー4人が揃ってクラシック・ミニを手に入れて注目を浴びた。新進気鋭とはいえ平民の彼らがロールスを所有することも、またミニのボディに適当に落書きをして乗ることも閉塞感が拭えないでいた英国社会に対する批判を含んでいたのである。

 誕生当初のミニにいち早くクラスレスの匂いを焚きつけたビートルズの英断は、若いミュージシャンたちの心も動かした。エリック・クラプトンやポール・ウェラー、そしてデイビッド・ボウイもまた小さなボディに大いなる野心を詰め込みロンドンを駆けまわったのである。

 スウィンギングロンドンを代表するデザイナーのマリー・クヮントは愛車であるミニを溺愛するあまり「ミニ・スカート」を誕生させ、モデルのツイッギーとともに一世を風靡した。ミニが栄華を誇った頃にはロンドン・タクシーの運転手だったポール・スミスという男もまた、クラシック・ミニという格好のキャンバスの魅力には抗えず、モデル末期が迫ったミニのボディをペンキで染め上げ、自らの名を冠した限定モデルをリリースすることでポール・スミス・ブランドのパンクな立ち位置を確認した。

 ミージシャンやファッション・デザイナーといった、英国の伝統を打ち破ることで新たな世界観を獲得しようという人物たちのイメージと強く結びつくことにより、クラシック・ミニは「平民のクルマ=質素」というこれまでの常識に立ち向かった。当初はミニのことを快く思っていなかった貴族階級の間にも、ハラルド・ラドフォードのようなミニをアップグレードさせる職人集団によって仕立てられた個体が普及しはじめ、果ては英国王室の車輛保管庫にもミニが納められることになったのである。

 クラシック・ミニがクラスの常識を越え、英国文化を象徴する存在にまでなった背景には、そもそもの概念である効率の良い小型車としての側面と、モータースポーツ界に残した偉大なる戦績が挙げられる。ミニの前にも後にも、国際レベルのモータースポーツにおいて、排気量の小さなモデルが、クラス分類を越えた相手に勝利し、幾度も総合優勝を成し遂げた記録はない。クラシック・ミニはその出自やデビューのタイミングも良かったが、非凡なポテンシャルにおいてもクラスを超越し、時代を越えて生き抜く術を持ち合わせていたのである。

 一方、皆がミニに傾倒したせいもあって、’60年代以降、英国の小型車は急速に力を失っていく。ミニを生み出したBMCもミニを越えるクルマを終ぞ生み出せなかったし、他のメーカーもミニの構造を模しつつ、少し大きなボディを与えることで直接対決を避けたのである。

 ロビンと呼ばれる税金の安い3輪の自動車を製作していたリライアント・モーターは、英国車のクラス分けにおいて最下層にあったが、それでも多くの庶民に愛されていた。ミスター・ビーンが度々転倒させ、BBCのトップ・ギアでも酷い扱われ方をして笑いの対象となりながらも、その立ち姿にはどこか旧き佳き、穏やかな英国の街の雰囲気があった。当のリライアント社は番組に提供するロビンにわざと転倒させるような改造を加え、階級社会における最下層の扱いを喜んで受け入れていたのである。

 世紀の変わり目でクラシック・ミニの命脈は絶たれ、BMWミニに生まれ変わった。その陰でリライアントの3輪車の製造がひっそりと終わりを遂げた時、英国自動車産業に根強くあったクラスソサエティは完全に消滅したのである。

 上から下まで、あらゆるクラスに向けたクルマが揃ってこそ階級社会が成立する。現在の英国車は、超高級か、ジャガー・ランドローバーのような高級か、もしくはクラスレスなミニしか存在しないのである。

 クラスレスという考え方が英国の小型車を救い、BMWの擁護のもとで引き続き好評であり続けるのは悪いことではない。けれど個人レベルにおいて現在のミニにあまり魅力を感じない理由は、スノッブな意匠の中に、今にも雨が降り出しそうな、物憂げな英国の匂いが感じられないからである。これもまた全世界でウケるための、クラスレスの功罪といえるのかもしれない。

 個々の英国像における伝統とパンク、もしくはクラス主義とクラスレスの比率には色々な解釈があっていいと思う。だが’60年代のイギリスに生きたわけでもなく、クラスレスな日本に籍を置くイチ英国車ファンとしては、ドレスアップをそれなりに修めたうえで、ドレスダウンに走ってみたいと思っている。


「特集 「クラスレスの時代」の続きは本誌で

階級社会が生み出したクラスレス 吉田拓生
SUVにプレミアムは必要か 今尾直樹


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