もっとラリーを知りたい!〜僕たちは、これからクルマとどう向き合っていけばいいのか〜

ラリーとは、公道走行が可能な車両でタイムを競うモータースポーツだ。

主に山間部の公道を閉鎖してスピードを争うSS(スペシャルステージ)が組み込まれることから、ある意味でサーキットよりもクルマに掛かる負担が大きくなり、おのずと高性能で強いクルマが作られていく。モビリティの根幹であるクルマは、およそ100年の間、ラリーによって鍛えあげられたと言っても過言ではない。ラリーの歴史を学ぶことは、クルマの技術の進歩を知ることでもある。

ラリーの黄金時代を追体験する~THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN~ フィアット 131アバルトGr4(1978)アウディ クワトロ(1981)

世界と日本の歴史的なラリーカーを一気に見ることができる「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」。現在、「富士モータースポーツミュージアム」では贅沢な企画展示が開催されている。この企画の背景にある想いを探るべく、’92年生まれの徳田悠眞が現地を訪ねた。

まとめ・徳田悠眞 写真・篠原晃一

マカルーゾ財団とトヨタ自動車が共同企画

 「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」――国内外の歴史的なラリーカーが一堂に会するその会場となったのは富士スピードウェイホテル内に併設する富士モータースポーツミュージアムだ。2022年に開館したモータースポーツに関連する博物館で、筆者がこちらを訪れるのは今回が初めて。一体どんなものかとワクワクしながらミュージアムに入ると、現実世界では一度も見たことのないマシンが目前に並ぶ。その数は圧倒的なものではないが、時代の変遷とともに、クルマがどのような進化を遂げ、革命を起こしたかを知るには十分すぎるほどだ。2つに分かれたフロアには15の展示ブースがあり、各セクションを辿ることでモータースポーツの歴史を追うことができる。

 そんなミュージアムの一角で行われた、世界でも珍しいこのクラシックラリーカーの企画展とは一体どんなものなのだろうか。

 2024年11月27日を皮切りに 2025年4月8日まで開催される「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」。これはまさに“ラリーの黄金時代”を追体験できるビッグイベントなのだ。この企画展が開催されることになったきっかけは、トヨタ自動車の豊田章男会長と、ジーノ・マカルーゾ・ヒストリックカー財団のモニカ・マイランダー・マカルーゾ代表が、日本におけるモータースポーツ文化の発展について意気投合したことにある。章男会長といえば、レーシングドライバー“モリゾウ”の側面を持ち合わせ、自らの手でステアリングを握る。「もっといいクルマづくり」を掲げると同時に、モータースポーツ分野でもクルマを鍛え上げているのだ。

 モニカ氏は、イタリア・トリノの地に生まれたルイージ・ジーノ・マカルーゾの妻である。ジーノ氏はフィアットアバルトラリーチームのコドライバーとしてヨーロッパラリー選手権の制覇や、フィアットX1/9アバルトの開発リーダーを務めながらレースへ出場するなど、当時のモータースポーツ界で活躍した1人。引退後は、実業家として高級時計の代名詞とされる「ジラール・ペルゴ」の経営者も全うしつつ、ラリーの歴史が詰まったマシンを収集していたそうだ。

 ジーノ氏が亡くなった後、妻のモニカ氏が中心となってジーノ・マカルーゾ・ヒストリックカー財団を立ち上げる。そして、2022年に行われたトリノ自動車博物館での「The Golden Age of Rally」では、貴重なラリーカーのコレクション18台が展示された。この展示終了後、親日家でもあったジーノ氏の遺志をそのまま引き継いだモニカ氏とトヨタ自動車との共同企画によって、これらの時代を象徴する欧州のクラシックラリーカーを、日本で展示する運びとなったのだ。最終的に6台の車両がイタリアから海上輸送され、ラリーカーを見せるならラリージャパンの会場がもっとも相応しいであろうということから、日本での初お披露目には「FIA世界ラリー選手権フォーラムエイト・ラリージャパン2024」が会場として選ばれた。その後は舞台を富士モータースポーツミュージアムに移し、マカルーゾ財団コレクションの6台に日本の往年のラリーカー4台を加えて改めて展示された。これらの集結によって、真の“ゴールデン エイジ オブ ラリー”が完成したと言えるかもしれない。

フィアット X1/9 アバルトプロトティーポ(1974)ランチア・ストラトス(1976)ミニ・クーパーS (1966)ランチア・ストラトス(1976)

いつの時代もラリーがクルマを鍛える

 富士モータースポーツミュージアムの2階に上がると、ジーノ氏が開発に携わった1974年式「フィアット X1/9 アバルト プロトティーポ」が出迎えてくれた。こちらはジーノ氏への敬意も込めて展示したそうだ。マカルーゾコレクションのシンボルであり、今回の企画展の主役といえる存在。彼が最初にレストアした車両としても知られている。

 その横には1966年式「ミニ・クーパーS」が飾られる。ミニといえば映画「ミニミニ大作戦」が真っ先に浮かぶ世代だが、実はレースやラリーでも活躍していたと恥ずかしながらこの取材を通じて再認識した。スエズ危機によってイギリスでの石油不足が不安視される中、軽量&コンパクトなミニシリーズが誕生したというルーツがある。今では小型車のグローバルスタンダードとなった横置きエンジンのFF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式をいち早く採用したモデルだ。

 出迎えてくれた中にスペシャルなモデルがもう1台ある。1976年式「ランチア・ストラトス」だ。ラリー車といえば、市販車ベースの改造モデルというイメージだが、ストラトスは勝つことを目的に設計・開発されたホモロゲモデル。結果として、市販車が高価すぎたことやオイルショックという時代背景もあり、ビジネス的には厳しかったそうだが、理想と現実の狭間で揺れ動いていた時代を象徴する1台でもある。ボディはかの有名なマルチェロ・ガンディーニ氏がデザインし、心臓部にはエンツォ・フェラーリ氏の心を動かして獲得したV型6気筒エンジンを搭載する。MR(ミドシップエンジン・リヤドライブ)レイアウトを採用する走りは直進性に欠けるという話も耳にするが、優れた旋回性を持つことからラリー競技では大きな活躍を見せたそうだ。

 一方、1981年式「ルノー・サンク・ターボ」といえばMRレイアウトに1.4Lターボエンジンを搭載するホットモデルだ。元を辿れば、F1の世界でいち早くターボエンジンを採用し、そこで培ったノウハウを活かしてラリー車にも過給機付きエンジンを搭載したのだ。

 駆動方式において衝撃を与えた存在といえば、1981年式「アウディ・クワトロ」だ。フルタイム四輪駆動システム“クワトロ”は、アウディの4WDを表す固有名詞として今も広く親しまれる。当時の四駆といえばジープやトラックのイメージが強く、速く走るための四駆という認識がなかったそう。そんな中、ターマック、グラベル、スノー、アイスの様々な路面状況を安定しながら走る姿をライバルや世間に見せつけた。これがきっかけとなり、以降のラリーでは4WD車が主流になる。まさに時代を変えた存在だ。

 日本車のゴールデン エイジ オブ ラリーに注目しよう。1994年式「トヨタ・セリカ GT-FOUR(ST185)」は、先代でトヨタ初採用となった4WD×ターボエンジンの組み合わせを改良し、登場した。当時から市販車を鍛えて、競技車両を製作する手法を取り入れていたのだ。つまり、いいクルマづくりのための舞台としてラリーの現場が使われていたと解釈できる。

 一方、「スバル・インプレッサ 555」は違った考え方とも言えるが、開発段階からWRCを念頭に置いたクルマづくりを行っていた。ラリーで活躍する姿を見せることでプロモーション的な側面も担う。搭載ユニットは“EJ20”の名称で知られる水平対向4気筒2.0Lターボエンジン。市販車でも長きにわたって愛された名機にハイテク4WDを組み合わせ、ラリーの舞台でも大活躍した。

 こういった数々の名車が富士モータースポーツミュージアムに集ったわけだが、例えば、ドイツには標高差300mと170を超えるコーナーが待ち構えるニュルブルクリンク・ノルドシュライフェをはじめとして、自動車メーカーが保有するテストコースなどクルマを鍛える場は当時から様々あったはずだ。だが、何が起こるか分からない過酷なラリーという環境で走らせることが、いつの時代もクルマを進化させてきた。モータースポーツは自動車メーカーにとって道楽の場ではない。自社のクルマをより良くして、ユーザーに買ってもらうための重要な実験の場なのだ。特に、ラリーは市販車ベースで行う競技だからこそ、ヒト・モノづくりに直結している。クルマを育てるうえで欠かせないモータースポーツなのだ。

ルノー・サンク ターボ(1981)トヨタ・セリカGT-FOUR ST185(1994)アウディ・クワトロ(1981)スバル・インプレッサ555(1996)

大きな学びと感動を味わえる空間

 しかし、これほどまでに偉大な10台を一同に味わう機会は今後あるのだろうか。大変貴重な時間であると噛みしめつつ取材したが、この企画展が実現した裏にはマカルーゾ財団とトヨタ自動車に共通する大きな理由がある。布垣直昭氏(富士モータースポーツミュージアム館長)は、「その狙いとして、単に旧いクルマを見せるというのではなく、若い人に知ってもらいたいという強い思いがある」と話す。若者のクルマ離れというフレーズをよく耳にするが、布垣氏によるとそれは欧州も例外ではないという。幸いにも、筆者は物心がついた頃からクルマだけに興味を示した変わり者だが、クルマ話を気軽にできる友人はほぼいない。また、クルマ好きの筆者でもアニメの『イニシャルD』、映画の『ワイルド・スピード』、ゲームの『グランツーリスモ』など、どちらかといえばデジタル世界でクルマ文化を楽しんできた。ゆえに、ラリー全盛期のリアルな情景やストーリーはほとんど知らないまま、少年時代を過ごしてきた。

 それでもゲームで走らせたマシンをこうして目前にすると、やはり感動を覚える。自分たちの世代がゲームや映像の世界で触れてきた身近な存在がそこにあるからだ。それはスーパーカー世代の方々とは違う種類の感動かもしれないが、「THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN」を訪れた筆者はわくわくした。実車に触れるわくわく感。これこそが今の我々世代にとって必要なことなのかもしれない。実車を前にしたときの好奇心は自然と学びを生む。今回の企画展はラリーの現役世代から次世代へ伝承する重要な役目を担っていると痛感した。プライベートでも再び訪れてみようと思っている。

ランチア・デルタS4(1986)三菱・ランサーエボリューションⅢ(1995)トヨタ・セリカGT-T TA64(1984)


THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN

場所:富士モータースポーツミュージアム内2F展示エリア
期間:2025年4月8日(火)まで
企画展示車両:マカルーゾ財団のコレクション6台および日本の往年のラリーカー4台
開館時間、入館料金など詳しくはこちらから


徳田悠眞/Yuma Tokuda

1992年生まれ。自身のYouTubeチャンネル「GOOD CAR LIFE Channel/ゼミッタ」にてニューモデル紹介や愛車レポートを行うほか、Web媒体でコラムを執筆。現在はランクル300やシビックタイプRなど最新モデル9台を所有。気になる車種は買って評価を行う。目指すは「YouTuberと自動車ジャーナリストのハイブリッド型」。

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ラリーの黄金時代を追体験する
~THE GOLDEN AGE OF RALLY IN JAPAN~
まとめ・徳田悠眞

次世代ジャーナリストがいく 第12回
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