2020年のダカールラリーはサウジアラビアで開催された。1978年、フランス人の冒険家、故ティエリー・サビーヌによって始められたこのラリーは、フランスのパリを出発し、アフリカ大陸を主な舞台としてセネガルのダカールにゴールすることから、「パリ・ダカ」と呼ばれてきた。
もともと政治的に不安定な地域であったが、2008年、走行ルートになっていたモーリタニアの治安悪化を受け、開催中止。主催者にもテロの脅迫が届いていたことなどから、サハラからの撤退が決まり、次の舞台に選ばれたのは南米だった。アルゼンチン、チリ、ペルー、ボリビアなどにルートが設定され、ときに4000mを超える高地にも進路を取った。ところが2019年、開催諸国との折り合いがつかず、この年はついにペルー1国の開催となった。この時点で、関係者の間では「南米撤退」の噂がささやかれていたが、果たして2020年は中東、サウジアラビアでの開催となったのである。
そうした経緯で始まった今年の“ダカールラリー第3章”。元F1ドライバーのフェルナルド・アロンソが、ダカールラリーの二輪部門で5度の優勝経験を持つマルク・コマをナビに起用し、四輪部門から出場したこと。二輪部門ではアメリカ人のリッキー・ブラベックが31年ぶりにホンダに悲願の総合優勝をもたらしたこと。そして2013年から’19年までTeam HRCで活躍したパウロ・ゴンサルベスがレース中のクラッシュにより帰らぬ人となった悲しいニュースなどたくさんのドラマがあった。
ウェブやSNSやJ-Sportsでチェックしていただけではあるが、私にも多少、感じるところがあった。ひとつは、翌日のルートブックの配布が、前日のゴール後から当日朝に変更された点だ。実は近年、ダカールラリーにはルート解析を専門とする“マップ・マン”と呼ばれる人たちが暗躍していると言われていた。彼らの手に掛かれば、ルートブックの情報から正確なルートを割り出すことはたやすいわけで、公平性の観点からも今回の変更は歓迎すべきことだ。翌日の予習ができないとなれば、ナビも眠るよりほかなく、睡眠時間が増えるのも単純に良いことだと思う。
そして、映像で見るかぎりではあるが、ダカールラリーの舞台として、この国は多くの可能性を秘めているように感じられた。南米は山岳地帯が平地を隔てるように南北に伸びているため、どうしても酸素の薄い高地での戦いを余儀なくされ、高山病に苦しむ選手も少なくなかった。しかし、サウジアラビアの大地は広大で、ヴァリエーションも豊か。選手も、観ている私たちをも飽きさせることがない。サウジでの開催は批判もあろうが、ダカールラリーが近年失っていた何かを取り戻したように私には思える。
そう。 おそらく、どこで行われようと「ダカールラリーはダカールラリー」なのだ。世界一過酷であり、ファイティング・スピリットに溢れた者たちだけが、不屈の精神でこの闘いに挑む。これからもダカールラリーは冒険者の憧れであり続けるのだろう。
Yoko Wakabayashi