今の時代にクルマを選ぶということ

  ごまんとあるクルマの中から、買って後悔しない1台を選ぶというのは大変なことだ。新車を購入する場合は、最低でも100万円を超える出費を覚悟しなければならない。しかもそのクルマとは数年間は付き合うことになるし、維持費だって掛かってくる。それに最近のクルマにはハイブリッドをはじめ、ダウンサイジングターボやクリーンディーゼル、ツインクラッチなど以前は無かった言葉が渦巻いている。自分のクルマを持たないカーシェアリングのような新しいクルマとの付き合い方も生まれて来た現代、自分のクルマを買うとはどういう意味があるのだろう。

  私たちは変わるものを進歩とする。ヨーロッパ人のモノとの関わり方を目にするたびに、私は自分が違う場所で育ったことを痛感する。

  クルマの世界でいえば原発国フランスは当然、EV普及に力を入れるが、実際にはまだまだ現実性に乏しい。メールや携帯とは規模が異なる。それもあってインフラが進まない。なにより工事が遅いのはヨーロッパの特徴。コンセンサスが得られても事務手続きが複雑で遅く、窓口がばらばらで、担当者同士の連絡がわるく休みのヒトがいる。首尾よく工事に入ってもバカンスがあるし、昼も休憩があるし、夜は当然働かないし、期限が守られることはない。というよりビルから道まで工事が予定通り終わる国を私はニホン以外に知らない。デモで警官隊と衝突しない国も、ストがない国も、これほどヒトが物知りな国も、ニホン以外に私は知らない。

  EV充電用の設備が出来上がってもそれが順調に機能するとは限らない。壊れていることも壊されることもフツウのこと。すぐに直らないことはもっとフツウのこと。能力の問題でもオルガナイズの不備でもない。壊れたものは残業してでもすぐ直す、こういう観念がないからだ。

  一方で、個人の充電を考えるとこれまたほとんどのEU諸国で現実性に乏しいと思う。経済優等国のドイツではガレージに電源を引く工事に補助金が出ると聞くが、このドイツと北欧以外では考えらないし、それこそ共同住宅では個人所有でも<変える >ことには窓枠からアンテナにいたるまで様々な許可が必要だ。こうやって昔からの街の景観を守るのである。なにより消費電力より電気代の値上がりが懸念されるだろう。実際に上がらなくても、値上がったら、とまず考えて二の足を踏む。ということはプラグインハイブリッドも遠のく、というわけだ。

  それでも今春、パリで大気汚染が悪化して自動車使用制限がかかったことから当地でもハイブリッドは大きな注目をあつめる。欧州の都市ではすでに多くのプリウスがタクシーに採用されているが、一般レベルでは興味はあっても値段と大きさ、あのデザインがネックと言われる。ちなみにハイブリッドといえばニホン、であることも、プリウスはトヨタ車であることも、みんな知っているとは私には思えない。たいへん残念。

  夏の3週間の家族旅行と冬のスキーを欠かさない知り合いが言う。「ヤリスのハイブリッドは興味あるけど、まだ、高すぎる」。彼女の愛車は20万キロを越えたシトロエン サクソ。新入りモノを直ぐに信用しない彼らにとって、ハイブリッドすらまだ新入りのくくり。ハイブリッドとEVをごちゃ混ぜにしているヒトも少なくない。ウチのダンナはハイブリッドに乗るが、近所で未だに尋ねられる。「おたく、ガレージにコンセントひいたの?」 別に無知なのではない。興味がないことには無頓着なだけ。それにしてもニホンでハイブリッドが新入りの顔をしていたのはいったい、いつのことだったろう。

  彼らの、時代に急かされない暮らしを羨ましく思う一方で、歯痒い気持ちも否めない。ニューテクもハイテクも 四角いスイカにいたるまで<昨日までなかったモノ >は今日を生きるからこそ享受できる産物。ガジェットからスタートしても大きな発明に、それこそ地球を救う何かに繋がるかも知れない。実際、亡くなった人の数に較べれば僅かな幸運であるにしても、オンボロ船から海に投げ出された移民の命を彼らが握りしめた携帯電話が救った。反政府デモでもテロでも拉致でもソーシャルネットワークがテレビよりずっと重要な役割を担う。

  古いクルマをこよなく愛する徳大寺有恒氏は「昨日のクルマより今日のクルマの方が安全性が高まっている。だからクルマの変革を否定してはならない」、こう言ったものだった。新しいものは人類の幸福のために生み出される。だから昔のほうがよかったと言うでない。いい言葉だとしみじみ思う。現状にしがみついていては進歩はない。いつもみんなが何かしらの工夫を考えている国、ニッポン。誇りに思う。次は何が生まれるのか。だから新しいものから目が離せない。それでも――。

  それでも、ニホンのモノ ラッシュを想うと時折、息が詰まる。モノを減らす特集が他の国の女性誌で成り立つだろうか。ワンコインショップの商品に質と耐久性を求められる国がほかにあるだろうか。携帯電話の料金プランは複雑すぎて、私の理解の限界をとうに越えた。モノマガジンのニューカマーのページには小さな写真がぎゅう詰めだ。毎月、これが繰り返されている。言葉を失う。

  生まれたときからこんな刺激のなかにいる今の若者は外の世界をどう眺めているのだろう。今のニホンの便利さをフツウと思ったら世界に生きる場所はない。こんな余計なお世話を考えてしまう。

  ニホンはこのままモノ ラッシュに加速をつけ、走り続けるのか、どこに向かって走っていくのか。世界からひとり飛び出して、一周も二周も先を行き、いずれひとりになるのではないか。ひとりになってもやっぱりモノを生み出し続けるのだろうか。

  変革の時代。世界の多くの国は飢餓と貧困と人権を求めて闘っている。ニホンはモノと闘っている。

文・松本 葉 写真・長谷川徹(p10~p15) 撮影協力・日産自動車

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