次世代ジャーナリストがいく 第31回 すべての人に“主体感”を尊重した移動を可能にしたい ~慶應義塾大学Humoniiの挑戦

文・瀬イオナ 構成・若林葉子 写真・山岡和正

人の移動を助けるツールとして車椅子はすでに多くの人に利用されている。

慶應義塾大学の研究開発グループHumoniiが見据えるのはさらにその先。彼らは今、車輪や電動車椅子の操作レバー(ジョイスティック)を動かすことの難しい人たちも自分の意思で移動できるハンズフリー電動車椅子――『Feeling』の開発、事業化に取り組んでいる。

ほんの少し体幹に力を入れると、『Feeling』はその方向に進む。最初は恐る恐るだが、慣れてるとしだいに楽しくなり、「乗りこなす」楽しさも生まれてくる。アームサポート(肘掛け)に装着されたジョイスティックでも操作は可能だが、ハンズフリーになることによって、ゲームやスポーツなどへの展開も見えてくる。

技術の壁に挑む学生たち

 慶應義塾大学の電動車椅子の研究開発グループ、「Humonii」の挑戦は、トヨタモビリティ基金の助成採択で選出されたことをきっかけに、若手研究者・川崎陽祐さんら3人で、2023年に始まった。目指すのは人の意図を乗せて動くモビリティの実現だ。

 彼らが開発している電動車椅子『Feeling』は人の直感的な体幹の動きから搭乗者の意思を認識し、その意思に沿って動く。自動運転技術によって、どこへ向かうと危ないか、どこなら安全かを常に把握しているが、搭乗者の操作入力(意思)を考慮して、安全な範囲で最大限、人の操作に寄り添う動きをする。このようにして、人の主体感を核とし、安全性や安心感を醸成することで、「乗りこなす」感覚や楽しさを感じられる車椅子の開発に注力している。

 開発初期段階では、座面に配置した圧力センサーで重心の移動を読み取り、方向と速度を制御する方式を採用したが、実際に試してもらうとユーザーの評価は厳しかった。障害を抱える方は平衡感覚や筋肉の張りを調整する力などが上手く働かないなどの理由で、バランス感覚が得意でない方も多い。体重移動のみで車椅子を制御することは難易度が高く、誤操作の恐怖が常につきまとう。「わざわざ体を傾けてバランスを崩すような動作は、自分で立て直すこともできないし、恐怖しかない」と言われてしまった。健常者しかいない開発メンバーは、障害を抱える身体について実は理解できていなかったのだ。

 この時点で挙動の繊細さと安全性の両立は困難であり、技術的なハードルの高さはチームの士気にも影を落とした。

 転機は2024年。操作インターフェースを根本的に見直し、座面方式からベルト型へと大きく舵を切った。着想の源は、車椅子バスケをする方が教えてくれた「体幹固定用ベルト」だ。これが新たな突破口となった。

 ベルトによって身体の中心と車椅子をしっかり固定させ、わずかな体幹の力の入れ具合をセンサーによって検知する。これならバランスに不安のある人でも、無理に体重移動することなく、安定して意図を伝えられるため、操作性と安全性は飛躍的に向上した。

 さらに身体の大きさや姿勢に合わせたベルト高さの調整機構、長時間使用に耐える強度設計、誤作動防止の改良など、実際に使用してもらいながらフィードバックを繰り返し、使える技術へ向けた地道な改良の積み重ねを行った。研究室内だけでは得られない、生身の人間との対話で、技術は人に寄り添う段階へ進化していったのだ。

右/Feelingの開発者であるHumonii代表の川崎陽祐さん。慶應義塾大学理工学部システムデザイン工学科 Ph.D(工学博士)。 左/川崎さんと同じチームで主に事業化の推進を担当する太田有希乃さん。

一人の少年が変えた未来

 プロジェクトの価値を決定づけたのは、脳性麻痺・四肢麻痺の男の子・ハル君(8歳)との出会いだった。方向を操作するための棒状レバー(ジョイスティック)もほぼ扱うことができないため、普段の移動は親に車椅子を押してもらう。彼にとっての移動は、主体性とは無縁。自らの意思で進む方向を選択する経験が、これまでの人生では得られなかった。

 そんな彼の人生は『Feeling』で大きく変わる。ベルトに軽く力を入れると、車椅子が前へ進む。ほんの数㎝の動きが、彼に「自分で動かした」という明確な実感をもたらした。見ていた母親は涙をこらえきれなかった。自らの意思でサッカーボールを転がし、それに向かってまた進む。たったそれだけの光景が、周囲の開発メンバーにとっても未来が変わる瞬間だった。降車時、ハル君は号泣した。初めて自分の意思で世界を動かせた喜び、体験が終わってしまう切なさが入り混じった涙だ。

 この出来事は、プロジェクトの方向性を根本から変えた。開発メンバーは、フィーリングが生み出す価値が、単なる技術的達成ではない、生きる自由をつくる技術なのだと痛感した。移動の主体性を取り戻すという、人間の根源的な尊厳に関わるそのものだと気づいた。その後『Feeling』の進化する方向に対する議論が活性化し、実証実験の本格化へ踏み出す大きな推進力が生まれた。

『Feeling』によって、生まれて初めて“自分で”移動することができたハルくん。

Humonii『Feeling』
慶應義塾大学の日吉にある矢上キャンパスで研究開発を行なっている。

実証と事業化の現在地とは

 今年に入りHumoniiは、川崎さんや太田有希乃さんを中心に約10名で実証活動を本格的に展開する。今後は、車椅子に限らず、ゲームや農業、建設機械など多様な分野での応用を視野に入れて研究を行う予定だ。操作の自由度を高める技術は、産業と娯楽の両方で新しい価値を生む可能性を秘めているが、医療機関との連携強化や対象年齢の拡大、福祉分野で持続可能なビジネスモデルの構築が課題だという。身体の特徴は様々であり、どのような特徴であっても共通した動作を導き出せる技術として実装させることが、社会貢献につながると考えている。

 Humoniiの挑戦はまだ途上だ。しかし、一人の少年が流した涙が示すように、この技術が切り開く未来はそこにある。『Feeling』は単なる電動車椅子ではない。「自由への一歩」を支える、新しい次世代モビリティのカタチだ。


瀬イオナ/Iona Hayase

自動車メディアの編集部を経て2024年にフリーランスとして独立。モータージャーナリストを目指して「書くこと」「走ること」を勉強中。レーシングドライバーでありモータージャーナリストでもある中谷明彦氏に師事している。

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