濱口弘のクルマ哲学 Vol.45 欧州チャンピオン

文・濱口 弘

頂点だ。世界中からベスト・オブ・ザ・ベストが集まるレースの本場ヨーロッパで、シリーズタイトルを獲った。

 ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ(以下ELMS)、ル・マン24時間を運営するフランス自動車連盟ACO主催の欧州GT シリーズでのタイトルは、これまで獲ってきたどのシリーズタイトルと比べても雲霞の如き苦労があり、勝利は格別だった。

 今年24年シーズン、ランボルギーニ社にとって初参戦となるELMSの開幕は困難を極めた。BoPの為に出力をコントロールするシステム、トルクセンサーが各車両に取り付けられたのだが、その合わせ込みがシーズン前にできていなかった為だ。シーズン序盤多くの時間をそれに割く状況だったが、速さは欠くも開幕戦バルセロナは3位に。続く2戦目ポールリカールでは2位。3戦目イモラでも3位入賞を果たし、シリーズランキングはトップでシリーズ前半戦を終えた。しかし後半戦に入ると様相が変わった。4戦目は私の得意サーキット、スパ。予選でポールポジションを獲るも、クラス違いの無謀な若手ドライバーに追突されリタイヤ。5戦目イモラでは完全な戦略ミスで周回遅れになり、更に事故に巻き込まれレースを失った。

 立て続けにノーポイントとなり、この時点で我々がシリーズチャンピオンになるには、最終戦で優勝し、なおかつランキングトップ3の全車が4位以下にならないと叶わない、ほぼ無理な位置にまで落ちていた。そこで我々が行ったのは、コース上での運や不運と言われる要素を一つ一つ掘り起こし、チーム全員でトラッキングした。より強くなる作業を終え、我々は背中を任せられる戦型で最終戦ポルティマオを迎えたのだ。

 ELMS最終戦の予選はトラフィックに引っかかりアタックできず、私の決勝グリッドは5番手からとなった。スタート時の混乱をしのぎ3周目にはトップ集団に追いつくも、アストンマーティンと交錯しコース外へもつれ出てしまう。最後尾まで落ち、誰もがこれで終わりかと思った。しかし私は諦めず、自分のできることへ集中した。2020年以降、チャンピオンが獲れそうで獲れない年が続いていた。もうチャンピオンは獲れないかもしれない、2019年にレースを辞めるべきだったと悔やむ年もあった。目標は高く遠すぎて、挑戦は無謀に思われた。それでも毎時、毎日、毎月、毎年ベストを尽くしトレーニングをした。気持ちを切り替え、また挑んでも結果に繋がらなかったが、決して辞めなかった。常にベストを尽くしてきた自分を知っているからだ。1台、また1台と抜き、チームのピット戦略も機能し、2番手に登り詰めたところで、バトンを2人のドライバーに渡した。薄氷を踏むようなレース展開に、ピットにいる全員が押し黙り、情熱と冷静が競る無線の音声と画面だけに集中していた。その時はきた。最終ラップ最終コーナーで、ランボルギーニのワークスドライバーであるカルダレッリがトップを走るポルシェのインを差し、1位でチェッカーを受けた。ランキングトップ3台が全て4位以下でフィニッシュしたのを見届けた時、私は目を閉じて天を仰いだ。ヨーロッパの頂点に立ったのだ。

 48歳の私はよく聞かれる。何歳までレースを続けるんですか、と。ELMSチャンピオンの権利として翌年のル・マンへの出場権があるため、来年もル・マンですね、とも言われる。続けられるならいつまででも続けたい、当然そんな気持ちはある。レースの本場ヨーロッパの開催国へ渡航し、神社の境内へ上がるようにサーキットへ入る。耐久レースだがスプリントレースと変わらず、毎ラップ予選の如く全てを出し切らないと通用しない好敵手を相手に、自分を追い込み、レーシングカーで1000分の1秒を削り勝利を目指す。スポーツマンシップのある友人たちと共有する非日常の空間は、私にとって人生で最高のスパイスだ。

 その一方、半年間で10数回に及ぶ渡航では、日本のビジネスタイムへ対応するため走行後の休憩時間を削り、時差で体内時計が狂った身体に疲労を積み重ねた。その身体で自分の限界の速さを出す予選へ向かう。翌日は戦いながらもタイヤを労わり、速いレースペースを求められる決勝で2時間以上のスティントを走りきる。終わっても次戦に向けて逆算すると、身体のダメージが回復するよりも早く、トレーニングを開始しなければならない。世界のトップドライバーが集まるELMS で勝つために、今のレベルを維持するのは、精神的にも体力的にも限りがあると感じていた。

 そして5年前の2019年、ブランパンGTヨーロッパとFIAモータースポーツ・オリンピックで、ダブル・チャンピオンを獲った時には思いもしなかった心境の変化が私に生まれた。ヨーロッパでのGTトップカテゴリーのシリーズ参戦は、このELMSのトロフィーと共に退こう、と。

 レースを始めた頃の私は、クルマのポテンシャルを最大限に引き出したくて走っていた。いま振り返ると、クルマとの個人競技だった。それが16年間のレースで変わり、今は友人ドライバーや親しいレーシングチームと、人生をより良くするためにレースをしたいと思っている。ホビーでのレースは続けるが、それは軽自動車のレースかもしれないし、GT3のレースかもしれない。レースは何歳になっても私の人生にとって、なくてはならないものだから。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。ポルシェ・カレラカップジャパン、スーパーGT、そしてGT3シリーズとアジアからヨーロッパへと活躍の場を広げ、2019年はヨーロッパのGT3最高峰レースでシリーズチャンピオンを獲得。FIA主催のレースでも世界一に輝く。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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