東京モーターショーからジャパンモビリティショー(JMS)へとモデルチェンジした今回のショー。
いまこの原稿を書いている時点で入場者数は発表されていないが、目標の100万人をクリアしようがしまいが歴史に残る試みとして語り継がれることになるだろう。
もっとも、モーターショーに「モビリティ」という言葉を最初に使ったのは日本ではない。ドイツは2021年からIAAをIAAモビリティと改名している。しかし日本とドイツではアプローチがまったく違う。彼らは一般ユーザー向けの展示と業界向けの展示を完全に分離し、ミュンヘン中心部に無料で見られる仮設展示場所を設ける一方、10kmほど離れたメッセはJMSの約8倍の入場料(150ユーロ=2万4千円)を取るBtoB見本市とした。
それはそれで明快なコンセプトだと思う。しかし、JMSを主催する日本自動車工業会の豊田章男会長は「未来はみんなでつくるもの」とし、これからのモビリティを担うユーザー、自動車メーカー、部品メーカー、スタートアップ、その他日本の企業が一堂に会する場をつくった。だから東京ではなく「ジャパン」であり、モーターショーではなく「モビリティショー」なのだ。
コンセプトは素晴らしい。しかし、たとえばサスペンションに使うプレス材を製造している部品メーカーが、自社の技術と未来のモビリティの関連性を一般ユーザーにわかりやすくアピールするのはそう簡単なことじゃない。相手がプロならスペックやコストを説明すればすぐにピンとくるだろうが、相手がユーザーとなると理解してもらうのは至難の業だ。実際、モビリティショーへの転換を上手に表現しきれていないブースもなかにはあった。しかしショー全体を眺めれば間違いなく未来のモビリティを指向していたし、第1回目であることを考えれば、モデルチェンジの試みはひとまず成功したというのが僕の評価だ。その証拠に、都合5日間会場を訪れ様々な取材を終えたいま、僕のなかでは2年後に開催されるであろう第2回ジャパンモビリティショーがどんなものになるのか、早く見てみたいという気持ちが大きくなってきている。
Goro Okazaki