編集前記 VOL.06 夏の旅は北海道である

文・神尾 成

個人的に「旅」という言葉から連想するのは夏の北海道だ。

 今から30年ほど前は、毎年夏になると北海道へキャンプツーリングに出かけていた。その旅は仕事を休む算段と、フェリーを予約するところから始まる。当時は有明から釧路を結ぶフェリーがあり、深夜に出航して早朝に到着する効率の良さから人気があった。この時期のフェリーは予約の争奪戦が激しく、空き状況に一喜一憂した。また上野から函館まで列車でバイクを運ぶ「モトトレイン」という夜行列車があり、一度だけだが利用したこともある。それ以外に大洗~苫小牧や、新潟~小樽のフェリーも運航していたので、北海道へのアプローチは今より良かったといえるだろう。

 とはいえ「グーグルマップ」どころか携帯電話すらない時代だったので、北海道の全体地図と「ツーリングマップル」以外に頼るものはなかった。さらにいえば、今では小さな集落でも店舗のある「セイコーマート」(コンビニ)も少なく食糧の調達にも苦労した。この頃の北海道キャンプツーリングは、別世界へ冒険の旅に出る感覚だったのだ。

 現地に入ると天候を読みながら目的地を決め、給油と食事以外は停まらずに走り続けた。そして午後3時を過ぎるとキャンプ場を探して、夜の食糧を確保しなければならない。雨が続けば寒さも手伝って気分が滅入ってくる。「何のためにこんなことをしているのか、10万円近く使って何がしたいんだ」と自問を繰り返した。天気が良くなればそんなことは忘れてしまったが、毎回一度は本気で後悔することになった。

 ではなぜ北海道の旅を何年も続けたのか。多分それは、夏だったからに違いない。旅に出たいという心情は、子どものころの夏休みになったらどこかへ行きたくなる気持ちに近いように思う。片岡義男の『彼のオートバイ、彼女の島』の単行本の表紙に「夏は心の状態だ」と記されているが、旅に出ることも“心の状態”だったのである。今年の夏は久しぶりに“夏休み気分”で北海道を旅してみたいと考えている。しかしバイクとフェリーではなく、レンタカーと飛行機になるだろう。それでも自分の中で夏の旅は北海道であり続けたい。

Sei Kamio

2008年からaheadの、ほぼ全ての記事を企画している。2017年に編集長を退いたが、今年から編集長に復帰。朝日新聞社のプレスライダー(IEC所属)、バイク用品店ライコランドの開発室主任、神戸ユニコーンのカスタムバイクの企画開発などに携わってきた二輪派。1964年生まれ58歳。

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