「ケン・ブロックが亡くなった」
そのツイートがスマホから流れてきたときは、少しだけポカんとした気持ちになった。私は彼の大ファンという訳ではなかったが、モンスターエナジーのカラーリングで派手にバブリング音を撒き散らしながら、ラリー仕様のスバルWRXやフォード・フォーカスRSで走り回る映像を大いに楽しんだ。彼のやったことは、実は“日本のドリフト”と大きく変わらない。しかし彼には、パフォーマーとしての抜群のセンスとそれを表現する企画力があった。貸し切った倉庫で独自の世界観を作り上げ、街を封鎖して路面電車の周りをスモークを上げながらドリフトして走りまわった。アンダーグラウンドカルチャーでしかなかったドリフトやジムカーナを、エンターテイメントの域にまで押し上げたのだ。
4WDターボの本格的な競技車両(ようするにラリーカー)を使った走りは、後輪駆動のドリフトマシンと比べて格段に加速が鋭く、その動きは精緻かつダイナミックだった。そのカラーリングはメインスポンサーの目立たせ方を心得ていたし、何より彼のファッションと立ち居振る舞いが可愛らしかった。つばを折らないキャップのかぶり方は子供のようで、サングラスとアゴのちょびヒゲが、そこに強いコントラストを与えていた。映像で一切しゃべらず腕組みしながら仁王立ちする姿は、ポップでコミカルで、だからこそクールだった。YouTubeの「ジムカーナシリーズ」のオープニング映像で浮かび上がる「DC」が、彼が始めたブランドだと知ったときには、なるほどと合点がいった。
それだけに本業(?)のラリーレースが振るわなかったことは私をがっかりさせもしたけれど(少なからず応援していたのだ)、振り返ればエンターテイナーとして彼はクルマの魅力を、WRCのチャンプよりも分かりやすく、我々に伝えてくれたのだ。いまでこそドリフトはFIAの公式競技にまでに成長したが、まだまだマニアックで閉鎖的な雰囲気のあるローカルスポーツだ。もっといえばレースという競技自体が、一般的には未だにサブカルチャーの域を出ていない。郊外にあるサーキットはいずれも遠く、「週末に渋谷でやるらしいから、観に行ってみようか」という気軽さはない。しかしケン・ブロックはそれをYouTubeにいち早く落とし込んで、誰もが無料で気軽に観られるようにした。それはまさに、彼のルーツでもあるスケートボートやBMX、スノーボードで培った、アメリカンストリートカルチャーのライト感覚だった。
4輪は2輪とは違い、実はストリートカルチャーとは結びつきにくい。理由は簡単、“若者の遊び道具”としては高価すぎる。80年代からおよそ20年ほど日本では、後にアメリカがJDM(ジャパン・ドメスティック・マーケット)と呼ぶターボ・チューニングが一世を風靡したが、そこにはバブル景気の後押しがあった。輸入車へのジェラシーと反発、「追いつき、ぶっちぎれ!」という根の暗い反社会的なスピリッツもベースにあった。このムーブメントはバブルの崩壊と共にシュリンクし、若者たちの金とエネルギーは尽きた。果ては低い車高で羽根を付けたスタイルが、そしてクルマに入れ込む情熱までもが、カッコ悪いと言われるようになった。私はそもそも、チューニングはサブカルだと思っている。グレーな、そしてときにブラックな遊びで市民権を得ることなどあっていいはずがないし、その必要すらない。だからこそ理解を示す者同士の気持ちが、アンダーグラウンドで強く結びつく。それが本来のマイノリティであり、オタクである。
その点で言えばむしろクルマよりバイクの方が、未来は明るい。バイクがクルマよりもファッションや音楽と融合しやすいのは、乱暴に言えばチープだからだ。クルマが買えない、もしくは買わない現代の若者たちが、転べば命に関わり、走らせれば強い風圧に押し戻され、雨が降ればずぶ濡れになるバイクで遊び始めている。別にそのスロットルを、最後まで開けきるわけじゃない。しかし走らせれば誰もが程度の差こそあれ、純粋にスピードの楽しさや怖さと、エンジンのビートを感じることができる。つまりバイクはこの貧困の時代に、一周して生きている実感を彼らに与えているのではないだろうか。ようするにストリートカルチャーに近いのである。翻ってクルマは一部のプレミアムスポーツカー以外、そこにエクストリーム性は求められなくなった。むしろそうした激しさが、洗練という言葉によって排除されているといえるだろう。
速さと性能の純粋な追求は、環境性能と電動化に置き換わった。スピードが厳格に管理される未来では、たとえスピーカーからV12サウンドが流れ出すようになったとしても、本物の高揚感を取り戻すのは難しいだろう。多くの人たちにとってクルマは快適な移動手段であり、カルチャーではない。それをわざわざうるさく、乗り心地を悪くする必要など全くない。だからこそ、ケン・ブロックは貴重な存在だった。こんな時代にクルマが本来内包するエクストリーム性を、誰よりもポップに伝えてくれた。次世代のケンを待ち望みながら、R.I.P.を贈りたい。
Ken Block
Koki Yamada
ケン・ブロック