F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 PLUS vol.21 平手晃平のこれまでとこれから

 11月13日にツインリンクもてぎで行われたSUPER GT最終戦で、平手晃平とヘイキ・コバライネンがドライブするDENSO KOBELCO SARD RC Fはポール・トゥ・ウィンでレースを制した。

 前日の12日には、熊本地震の影響で中止となったオートポリス戦の代替として第3戦が行われ、このレースで平手/コバライネン組は2位に入っている。

 全8戦で行われた2016年のSUPER GT GT500クラスは、ニスモのMOTUL AUTECH GT-Rが開幕から2連勝を果たすと、ランキングトップの座を保ったまま最後の2連戦に突入した。シーズンの早い段階から「GT-Rが3連覇する」というムードが、シリーズ全体を覆っていた。それほど、隙のない速さを披露していたのだ。

 だが、平手/コバライネン組は土壇場でひっくり返してみせた。最終戦の予選で平手がポールポジションを獲得したのが、ゲームチェンジャーだったろう。実はGT500クラス参戦8年目にして、初のポールポジションだった。コースレコードというおまけもついた。’13年以来2度目のタイトル獲得だが、エース格として栄誉を手にするのは初めてだ。

 ’86年生まれの平手は’02年、史上最年少でフォーミュラ・トヨタへの参戦を果たすと、’03年にトヨタ・ヤングドライバーズ・プログラムの支援を得て渡欧。フォーミュラ・ルノー2000イタリア選手権に2シーズン参戦し、7勝。’05年に活動の場をF3ユーロシリーズに移した。ここで、後にF1チャンピオンになるルイス・ハミルトンやセバスチャン・ベッテルと競った。’05年はオペルエンジン勢で常にトップ。’06年にメルセデスのエンジンを積むチームに移籍すると、開幕戦でいきなり優勝した。

 ’07年にはF1直下のGP2にステップアップ。日本のサーキットは舗装が良く、グリップする。一方、ヨーロッパのサーキットは路面が悪くグリップしない。そうした悪コンディションで鍛えられた現地のドライバーは、雨が降って路面がウェットになるなど、状況が悪くなればなるほど底力を発揮した。そうした手強いドライバーを相手にするうち、平手も鍛えられていった。

 「F1に行く」という思いを果たせないまま平手は日本に戻り、’13年までフォーミュラニッポン~スーパーフォーミュラを戦った。それと並行してSUPER GTに参戦。’08年をGT300クラスで過ごすと、’09年からGT500に参戦している。

 速度差のある車両が走り回るという意味で、SUPER GTはWECと共通している。だが、GTは最長1,000kmなのに対し、WECには5,000kmを走るル・マン24時間があるし、世界最高の技術のぶつかり合いでもある。そこで、腕を試してみたいと平手は思うようになった。ヨーロッパで腕を磨き、SUPER GTで頂点を極めた男を引き付ける魅力がWECにあるのだ。

’05年のF3ユーロシリーズでは、’16年のF1チャンピオン、ニコの父親で自身もF1チャンピオンのケケ・ロズベルグのチームに所属。メルセデス製エンジンを積んだマシンで走るハミルトンやベッテルを「コーナーは遅いのにストレートはめちゃくちゃ速い」存在として見ていた。’08年から’11年はチーム インパルからフォーミュラ・ニッポンに参戦。’09年は『ahead』がタイトルスポンサーを務めた。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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