やられたらやり返す。それを地で行ったのが、2016年のル・マン24時間に挑戦したトヨタだった。
’14年のトヨタは他を圧倒する速さでレースをリードしながら、トラブルによって自滅した。スタートして13時間59分後の出来事だった。
トヨタは3秒速いマシンを開発して’15年シーズンに臨んだ。過去の流れから判断して、3秒速くすれば競争力を保てると判断したからだ。ところが、競合するポルシェは前年より5秒速いマシンを開発して優勝をかっさらっていった。アウディも、ペースでトヨタを圧倒した。
欧州勢の底力である。彼らはトヨタが3秒速くしてくることを読み、それを上回る開発を行ってトヨタに引導を渡したのだ。1999年からル・マンに参戦するアウディは、2014年までに13回も優勝している。王者の誇りと意地が、トヨタの躍進を許さなかった。一方、ポルシェは’14年にル・マンに復帰した。’12年に復帰したトヨタに比べれば直近の経験は浅いが、初参戦は1951年。
’70年に初優勝すると(初優勝までに19年費やしている!)、2015年までに歴代最多の17勝を挙げている。
勝ち方を知っているのだ。ポルシェのル・マンカーは量産車と同様、ドイツ・バイザッハで開発が行われている。設計と組み立て、試験の一部はバイザッハで行うが、部品の多くは外注だ。欧州にはモータースポーツ専業メーカーが集積している。これらの専業メーカーから要求性能に合った部品を調達することで、短期間で競争力の高いマシンを開発することが可能だ。
’15年のル・マンで惨敗したトヨタは、’17年に投入する予定だったハイブリッドパワートレーンの開発を急ぎ、1年前倒しで投入する決断を下した。トヨタはチームの拠点をドイツに置くが、マシンの核であるハイブリッドパワートレーンは日本の東富士研究所で開発している。開発の責任者は、「自分のペースで世界に出て行っても叩きのめされるだけ。本当に自分たちの限界まで頑張らないと太刀打ちできない」と、開発を1年前倒した理由を語った。
個々のコンポーネントはポルシェの上を行っている自信はあったが、システムの完成度を高めるのに時間を要し、ル・マンの前哨戦では苦しい戦いを強いられた。だが、「徹底的にやった」おかげでル・マンに間に合い、レースではトップに立った。しかし残り4分、ターボ系のトラブルが発生して失速し、不本意ながらもポルシェに18回目の優勝をプレゼントすることになった。
いくらレースを支配していようが、フィニッシュラインを最初に通過できなければ負けだ。レース後、トヨタの開発責任者のもとにポルシェの責任者がやってきて、無言でハグした。「負けたのは悔しい」が、ハグには感激したとトヨタの責任者は振り返った。「認められた証拠」だからと。トヨタが欧州勢の鼻を明かしたことは確かだ。
Kota Sera