かつてオタク文化の象徴だった痛車。
異質なものとして眉をひそめられることもあったが、時代は変わり、今では日本のサブカルチャーとして国内外問わず、多くのファンを獲得している。痛車はいつから文化になったのか。痛車好きを公言する加藤ヒロトが、痛車という存在の広がりと、その内側にある個人の物語を語る。
「痛々しさ」から文化へ
「痛車」とは、アニメ・漫画・ゲームのキャラクターやVTuber(バーチャル配信者)などの「二次元キャラクター」を車体にラッピングで施したクルマを一般的には指す。語源は「イタリア車」の略称をもじって「見ていて痛々しいクルマ」という意味で「痛車」になったと言われているが、今日の痛車はその痛々しさをそのままに、カスタムカーとしても成立するほど洗練されているものが多い。これには痛車という存在が広まり始めた2000年代初頭と比べて印刷技術やデザインセンスが向上したのも一因として数えられるが、いわゆる「二次元コンテンツ」が以前と比べて多角化したことも影響しているだろう。
痛車に対する敷居が低くなったことも新たな痛車スタイルの誕生を招いた。それまでの痛車はオーナーが「クルマ好き」と「作品好き」の両方を兼ね備えており、趣味性の高い車種やカスタム車をベースにキャラクターのイラストを貼っているパターンが多かった。だが、クルマに対してそこまで興味はなく、それよりも「いかにキャラクターを大きく貼れるか」を基準に、従来のクルマ好きの琴線には触れなかったような車種で痛車を楽しむ「作品メイン」のオーナーも増えてきた。また、家族も日常的に使うクルマだから窓ガラスだけに貼るというのも痛車の入門スタイルとして定着している。最初は「少しだけ」と言うが、いつの間にか周りに影響され、やがてはボディ側面にデカデカと貼るようになっていくのは「痛車あるある」だ。

広がる痛車のかたち「概念痛車」
痛車文化というのはそれぞれのオーナーが確固たる信念を持って、試行錯誤しながらも「オンリーワン」を追求する「不完全でも熱を持ったみんなで作る芸術」だと筆者は思う。それゆえに人それぞれが理想とするスタイルがあって、正解はない。冒頭で「キャラクターを貼ったクルマ」がいわゆる痛車だと書いたが、厳密には例えキャラクターのイラストを貼っていなくても、そのオーナーが「痛車」だと思えばそれは立派な痛車になる。そういった痛車も含む最近流行りのスタイルが「概念痛車」だ。目を引くようなイラストやデザインは施さず、作中のキャラクターが使う乗り物を再現したり、作品の概念を表現するカラーやデザインを貼ったりする痛車。
一見、痛車らしくないが、分かる人には通じるし、その作品を知らなくとも、痛車の向こうにあるオーナーの想いを聞いたら思わず引き込まれることもある。また、同じ概念痛車でもキャラクターの絵を貼りつつ、クルマの随所にそのキャラクターの要素を独自に解釈して盛り込むスタイルも見られる。例えば碧眼のキャラクターを貼るだけでなく、ヘッドライトにブルーバルブを、ホイールナットの金具の色をキャラクターの履いているローファーと合わせるなど、とてつもないこだわりと愛を持ったオーナーもいる。
もちろん、概念痛車以外にも多くのスタイルが存在するが、痛車とはまさに、車体をキャンバスとして活用し、キャラクターや作品愛を表現する究極のアートなのだ。

私の痛車~1986年式カリーナED
実は筆者も痛車オーナーである。1986年式トヨタ カリーナED、1998年式トヨタ カレン、そして並行輸入の2013年式MG6 GTの3台を所有し、そのどれもが痛車だが、中でも特に思い入れのある1台がカリーナEDだ。購入したのは2022年12月、出会いはSNS「ツイッター(現X)」上で見つけた投稿だった。
このカリーナEDは単なるカリーナEDではない。山口県下関市内にて今日まで所有されてきたワンオーナー車で、ナンバーはまだ山口ナンバーが一文字で表記されていた頃の「山」ナンバーを冠していた。販売店には問い合わせが来るものの、この「山」ナンバーを引き継げず遠慮する人が多いと聞いた。一方で筆者は山口県下関市生まれ、市内にも親戚が多いのでまさにこれは「チャンス」だった。こうしてカリーナEDは筆者の元にやってきて、無事に「山」ナンバーも引き継げたのだ。
もう1台の所有車、カレンもその時すでに痛車だったが、初めての痛車ということもあって貼る面積は遠慮してフロントフェンダーのみに留めていた。カリーナEDではもっと大胆に貼ろうと思い、以前からやってみたかった「レプリカ痛車」をやることにした。

「レプリカ痛車」とは各種モータースポーツで活躍するレーシングカーのデザインを再現し、痛車の要素と融合させたスタイルを一般的に指す。もっとも多いのは実在のマシンと同じ車種で同じデザインを取り入れるというものだが、必ずしも同車種にとらわれる必要はない。同メーカー、別車種のマシンのデザインを取り入れたり、デザイン重視でまったくの別メーカーのマシンからデザインの着想を得るものも存在する。ほかの痛車と同じく、レプリカ痛車も柔軟で自由な発想で作る人がほとんどだ。
筆者は自身のカリーナEDを主軸に「1980年代のトヨタレース車」らしいデザインを作りたいと考えた。それと同時に筆者は写真好きでもあり、カメラはミノルタ(現行機種はソニー)派というこだわりを持つ。それでデザインのベースとして絞り込んだのが1980年代のトヨタ製マシンがまとっていた「ミノルタカラー」だ。ミノルタカラーは全日本ツーリングカー選手権(JTC)のカローラレビンがもっとも有名だが、個人的に耐久レースが好きなことに加え、カリーナEDの特徴「ピラーレスハードトップ」のシルエットを崩したくなかったので、よりラインがシンプルな1987年ル・マン24時間耐久レースの#36 トヨタ 87Cからデザインを拝借した。
レプリカ痛車でありながら、色やロゴ、表記の細部にまでキャラクター設定や時代背景を重ね合わせ、自分なりの解釈を徹底的に盛り込んだ。

国境を越え、痛車でつながる
自分の痛車は3台とも、『ラブライブ!』という作品に登場するキャラクターの痛車である。楽曲を中心としてアニメや漫画、ゲームと多方面にストーリーを展開する『ラブライブ!』は定期的にキャラクターを演じる声優によるリアルのライブも開催されており、そこに自分の痛車で参加するのは自分なりの痛車の楽しみ方のひとつだ。2025年4月から8月には大阪・千葉・福岡・仙台・名古屋・札幌の6都市でツアーイベントが開催されたが、そのすべてに自分の痛車で自走して参加した。また、2024年12月に韓国・ソウルで開催されたライブにはカリーナEDを横浜から下関まで走らせ、そこから釜山へつながる「関釜フェリー」で韓国に上陸、約400㎞北上して会場まで自走したりもした。『ラブライブ!』の痛車に限らず、さまざまな作品の痛車オーナーと道中で会い、我々ならではの国際交流を楽しんだ。
これに限らず、ライブが開催される会場はさまざまだが、どの会場で開催されようと付近の駐車場は同じ『ラブライブ!』の痛車が集ってちょっとした「オフ会」の様相を呈する。駐車場が会場併設の場合は、痛車に乗っていない同作品のファンから注目されることもしばしば。痛車を主軸に集まってはいるが、その交流は痛車乗りの垣根を越えたものだ。

筆者は中国の自動車事情を専門としており、取材のため年に5~6回ほど中国へ渡航、合間に現地の痛車オーナーの友人たちとも会うようにしている。先述の韓国以上に痛車文化が盛り上がっているのが中国で一部の作品では今や日本よりも勢いのあるコミュニティを持つほど。地域ごとに見ると、昔からカスタムカー文化が根強かった広東省がもっとも活発であり、2025年10月には中国全土から痛車300台が集結した中国最大の痛車展示イベント「痛一会」も開催された。日本に次ぐ「痛車大国」となっている一方、オーナー同士による交流は日本と異なるスタイルが見られる。中国における痛車グループはこれまで「同地域ベース」が主流で、例えば北京では「京痛部」、天津では「津痛社」のようなグループが存在する。これは日本でメジャーな「同作品ベース」のグループを形成するほど同作品の痛車がいないことが影響しているが、ここ2年ほどは台数が全体的に増加傾向であり、作品ごとの痛車グループも続々と誕生している印象だ。地域ベースのグループと、作品ベースのグループ両方に加入している人も多いとのこと。

痛車は自己表現であり、世界の共有財産
自身の痛車の在り方を振り返ってみると、筆者にとっての痛車は「自分自身の表現」であると総括できる。もちろんその作品とキャラクターが大好きだから貼る、というのは大前提とし、そこへ自分の愛車という要素も加わる「好き×好き」の最強コンビだ。
先に紹介した「概念痛車」では「キャラクターが主体」の痛車づくりであるが、対して自分はあくまで軸を自分自身に置く。ゆえに、キャラクターの絵を貼ることはステアリングやホイール、シートを変えてドレスアップするのと同じように、自分のクルマを理想に近づけるカスタムの一種として捉えている。痛車を通して体験したいのは展示イベントで栄冠を勝ち取るよりも、痛車でその作品のイベントに参加したり、作品の舞台となっている聖地へ出かけたり、 痛車に乗っていない他のファンとも交流したりすることなのだ。
だが、痛車文化は必ずしも現状にとどまるわけではなく、常に変化していくもの。数年後には新たな作品や貼り方の流行が生まれているはずだ。筆者自身も現状で満足はしているが、他の痛車オーナーと交流しているうちに刺激を受けて、このスタンスを180度転換させる可能性だってある。すでに海外では日本の痛車スタイルから派生し、独自の歩みを進めている傾向も見られる。痛車は日本が世界に誇る立派なクルマ文化というのは間違っていないが、それよりも「世界のオタクの共有財産」とした方がしっくり来るような気がする。
この先の将来、痛車文化がどのように進化していくかを、筆者自身の痛車遊びも日々精進させながら見届けていきたい。

加藤ヒロト/Hiroto Kato
