浪漫とは夢や冒険などへ憧れを持つことだというが、まだ実践できることもあれば諦めざるを得ないことも増えてきた。
しかし還暦を過ぎても浪漫を追い求めるひとがいる。そして時にその活動は見ているひとの心を動かすこともある。年齢を重ねてエゴが薄れると誰かに自分の浪漫を委ねることもできるはず。浪漫は伝播していくものだから。

還暦からのソロキャンプの勧め
文/写真・山岡和正
ヒーローはいつも孤独だった。仮面ライダーを筆頭とする昭和のアクションヒーローたちには何処か影があり、悪を倒した後は何も言わずに去っていくという孤高があった。主役は無口で荒野を1人行くというのが、カッコよくて勇敢だという時代背景も影響していただろう。そして必ずと言っていいほどバイクやクルマが傍らに登場していた。彼らに憧れていた世代の潜在意識にはそれが深く刻み込まれ、その記憶が後のクルマやバイクブームに少なからず影響を及ぼしているように思う。
昭和のヒーローたちに魅了された世代も還暦を過ぎ、囚われていたコミュニティから自身の判断で離脱できる時期を迎えている。望むなら独立独歩、そして孤独を楽しめるようになったのだ。1人きりで過ごす時間には、これまでに気づかなかった魅力が溢れている。選択、判断、自身のコントロール、それらに伴うリスクなど、全てにおいて自分でやる事には覚悟が必要だが、それが自己解決力を高める事となり、本質的な自由を手にすることができる。
具体的にそれを愉しむならソロキャンプに足を一歩踏み出してみることだ。憧れはあっても、現実的には荒野を彷徨うことはできないし、小説の「ジャック・リーチャー」のようなアウトロー的な生き方も難しい。だからこそ誰もいない山や海辺で1人の時間を愉しむことにこそリアリティがあるのだ。最近では、コロナ過で肥大化したファミリーやグループキャンプも終息して、単独で行くキャンプにシフトしている。人気のキャンプ場は未だに数ヵ月先まで予約でいっぱいだが、水場とトイレさえ完備されていればどこでも問題はない。それよりも静かなキャンプ場を選択したほうがソロキャンプを満喫できるだろう。
道具については、テントとマット、寝袋、バーナー、コッヘル、カトラリー(食器)、ヘッドライト、ランタンなど、最小限の物があれば何とかなる。ある程度は家にあるもので代用が可能だ。余裕があればテーブル、チェアー、焚き火台など、必要に応じて物を足していけばいい。時間や費用の節約にもなるので、バーナーの燃料はガソリンよりもガス仕様で、ランタンもLEDの小型のタイプで十分である。とはいえキャンプは不自由さを楽しむという要素も魅力のひとつなので、手間や大きさも許容範囲としてとらえるなら、真鍮製の大型ガソリンランタンやガソリンバーナーなどを使ってみるのもおもしろい。テントや寝袋など、状況によっては生命にかかわるようなアイテムはクオリティの高い物を選択したい。ブランドの確立しているメーカーの製品は良く出来ていて、こちらの期待に応えてくれるし、それらを持つことによる優越感も得られる。とりあえずは必要だと思う装備をセレクトしてみることだ。キャンプに行く回数を重ねる毎に道具は厳選されていき、自分のスタイルとして確立していくだろう。
林道に入る訳でもなければ、長い旅に出るわけでもないので普段から乗っているクルマにキャンプ道具を放り込んで、街を離れ、野や山、そして海に向かう。周囲の山々を見下ろす高原や広がる海を遠く望む砂浜で、ゆっくりと進む時を過ごしていると、小さな悩み事などいつの間にか忘れてしまうはずだ。そして、小さなテントの中で深夜目を閉じるとテントの外側の世界までもが全て自分のもののように思えてくる。雨が降ればテントを叩く雨音が何とも心地よく、子守歌でも聞いているかのように眠りに落ちていけるだろう。そんな贅沢ともいえる時間を過ごした後、翌朝クルマで走り出すと自身のアイデンティティがゆっくりと明確になってくる。そこにいるのは、アクションヒーローに憧れていた本当の自分の姿なのかもしれない。
Kazumasa Yamaoka

世界最速に挑む塩平原の誘惑~ボンネビル・ソルトフラッツ
文/写真・増井貴光
ランドスピードレースは日本では全く馴染みの無い競技だ。最長で15キロほどの長い直線を使って最高速を競うレースで、アメリカをはじめヨーロッパやオーストラリアで開催されている。その中でもランドスピードの聖地と呼ばれているのがアメリカの「ボンネビル・ソルトフラッツ」で、100年以上前から最高速チャレンジが行われている。名前の通りの塩類平原で高低差が全く無い長い直線コースを設定できることからレースが始まった。映画『世界最速のインディアン』の主人公で実在の人物であるバート・マンローがニュージーランドから自ら製作したインディアンと共に目指したのがこのボンネビルだ。彼は1962年、61歳で「ボンネビル・スピードウイーク」に初めて挑戦して1970年まで走り続けた。1967年に樹立した「1000㏄SA」クラスのレコードは現在も破られていない。映画は、バートの故郷であるニュージーランドをはじめ、アメリカや日本でも公開されてボンネビルを一躍有名にした。アンソニー・ホプキンスが演じたバートは、実在のバート以上に“男のロマン”を具現化していたのだろう。大ヒットとはいかないまでも世界中のライダーの心に残る映画となった。実際にこの映画を観てボンネビルを走るようになったと言うライダーも少なくない。

僕がボンネビルに通うようになったのは映画が日本で公開された3年後のことだ。試写会も含めて何度も映画を観ていたが実際に自分が塩平原の上に立つとは微塵も思っていなかった。きっかけはアメリカのドラッグレースを撮影していた頃に知り合ったヒロ・コイソ(小磯博久)氏から「ボンネビルのレースに出るので一緒に行こう」と誘われたからだった。その年は、他の仕事との兼ね合いがあり同行することはできなかったが、翌年も、そしてその翌年も彼は連絡をくれた。さすがに3度も誘ってもらうとなると、ここで行かなかったら“男じゃない”だろうということで僕は、ボンネビルに行くことを決めたのだ。
ボンネビルのすぐ近くにあるネバダ州とユタ州にまたがるウエンドーバーという町に着いたのは日が暮れてからだった。レースの関係者のほとんどは、この街に泊まっている。一夜明けて早朝にボンネビルへ出向いたのだが、初めてのソルトフラッツは想像を絶する景色だった。見渡す限り真っ白で太陽の光よりも照り返す地面の方が眩しい。選手はピットからコースのスタート地点へ移動して自分の順番が来るのを待つのだが、長い時は2時間以上待つこともあった。ヒロのスタートをコースサイドから撮影して望遠レンズで地平線の彼方に消えるまで追いかけたときに僕は、この世界にハマった。スロットル全開でひたすら地平線に向かって走っていく姿は本当に美しい。選手権のタイトルが掛かっていると言っても草レースに等しく賞金などがあるわけではない。この競技を知る小さな世界で讃えられるだけだ。

それから15年。僕はボンネビルのレースが開催された年は、1度を除き毎年ソルトフラッツを訪れている。ヒロは年を追うごとに速くなり、現在までの最高速度は260マイル(約420キロ)まで達した。彼がどこまで速くなるのか見届けたいという気持ちでずっと帯同している。そして僕もいつの間にか“ソルトファミリー”として認められ、挑戦を見届けなければならない友人も増えた。僕が撮っているのは最高速で走るスピードレコードではなく、彼ら、彼女たちが追い求めているロマンなのだろう。

増井貴光/Takamitsu Masui
「浪漫」の続きは本誌で
スペンサーカラーで走る責任~新生CB1000Fデビューウィン 横田和彦
還暦からのソロキャンプの勧め 山岡和正
ポップコーンをほおばって~映画館に浪漫が溢れていた頃 山下敦史
世界最速に挑む塩平原の誘惑~ボンネビル・ソルトフラッツ 増井貴光

