岡崎五朗のクルマでいきたい Vol.196 扉を開けるのは自分たち

文・岡崎五朗

パリ・ダカールラリーの創設者ティエリー・サビーヌはこう言った。

 「私は冒険の扉を示す。扉を開けるのは君だ。望むなら連れていこう」。この言葉は、高市新首相の登場で沸き立つ、政治を打ち出の小槌のように捉えた表層的な議論への強烈なアンチテーゼである。

 「高市政権になって景気がよくなる、いや期待できない」という議論は、経済の命運を政治家に委ねる他人任せの論に他ならない。経済成長の真の源泉は政治ではなく、あくまで企業と、そこで働く1人1人の努力にかかっている。企業が優れた商品、サービス、技術を生み出し、輸出し、利益を上げ、国内に投資し、納税するという「シンプルな好循環」を続けることこそが、唯一の成長策である。政治の役割は、まさにそのための扉を示すことだ。

 しかし、この好循環を力強く回すための環境を、近年、政治は自ら歪めてきた。菅政権時のカーボンニュートラル宣言以降、日本政府は2050年CO₂排出量ゼロという現実離れした理想論を元に、産業界に強いプレッシャーをかけ続けたのだ。「エンジンなんかやめてEVに舵を切れ」と、当時の環境大臣が各メーカーを説得して回ったという話は、その象徴である。

 日本の自動車産業は、関連含め558万人を超える雇用を支え、2024年の輸出額は22兆5000億円に上る。日本のエネルギー輸入に使う外貨の約9割を稼ぎ出す、まさに国の屋台骨である。政治の「現実離れした理想論」と並び、マスメディアの「EV出遅れ論」という二重の圧力に晒されるなか、トヨタが堅持したマルチパスウェイという現実路線は、今や世界的に再評価されている。一時の流行や政治的な潮流に抗い、市場の真のニーズを見据え、粘り強く技術を追求した現場経営が、この成功を牽引した。

 所信表明演説に自動車産業への言及はなかったが、強い経済を目指す高市首相の個々の政策はきわめて現実的だ。しかしそれは示された扉に過ぎない。政治への依存から脱却し、「扉を開けるのは自分たちだ」という姿勢を取り戻すことこそが、この国に真の成長をもたらす動力源だということを、私たちは再度強く自覚する必要がある。

Goro Okazaki

1966年生まれ。モータージャーナリスト。青山学院大学理工学部に在学中から執筆活動を開始し、数多くの雑誌やウェブサイト『Carview』などで活躍中。現在、テレビ神奈川にて自動車情報番組 『クルマでいこう!』に出演中。

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