次世代ジャーナリストがいく 90年代生まれが“あの頃”の文章を読む

自分たちが影響を受けたあの頃のクルマにまつわる名著を、モータージャーナリストを目指す若手たちはどう受け止めるのだろうか。


『車のある風景』松任谷正隆(JAF Mate Books)

好きを貫けば自ずと道が見えてくる

文・瀬イオナ

 私は、ダレかに乗り移るのが好きである。

 今、あなたが私の目の前でパソコンを開いて座っているとする。私はふと、あなたの視点で周りを見て、と同時に自身もその視点に映る。普段から、この「ノリウツリ」をよくやる。街ゆく人、人間以外も然り。第2のワタシが、私を見ている時さえある。クルマに乗っても、前後、対向車、あらゆる人物になれるので、危なそうな運転をしている人など、ピンと危険察知がよく働く。レースでもそうだ。そのおかげで事故ゼロ、ゴールド免許である。

 実は同じ現象が歳上の方と話しても起きる。特に人生の先輩によるエピソードトークを聴いているときが面白い。当時の記憶に入り込めるからである。だから自伝やエッセイは好物だ。

 前置きが長くなったが、音楽プロデューサーで自動車愛好家の松任谷正隆さんによる『車のある風景』を読んだ。幼少期から現在に至るまでを赤裸々に語ったエッセイで、『JAF Mate』の連載を1冊にまとめ、2023年に書籍化された。

 本の中ではクルマ好きな少年による、クルマを通した体験やエピソードが繰り広げられるのだが、それがなんとも言えない軽妙さで心地が良い。1950~2020年代まで、自動車産業が栄える時代を音楽と共に歩んだ人物が見る景色は、また違った観点で深みがある。

 松任谷少年は、クルマ雑誌の発売日は一日中幸せで、記事の内容を一言一句まで覚えてクレイジーだったと述べる。好きが高じてクルマ番組に携わるようになり、日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員や日本自動車ジャーナリスト協会にも名を連ねる。好きこそ物の上手なれとは、まさにこの事だ。

 私もクルマ好きであることは同じだが、最近、自身の特性がわからなくなり、将来の明確な道を見出せずにいた。クルマ業界の同世代である友人たちは、皆すでに活躍していて、比較されるとちょいと切ないが、今を踏み締めるしかない。好きを貫けばおのずと道が見えてくることを松任谷さんは本を通して伝えてくれた。

 1冊の本となり作品として世に残るのは、編集経験を経て現在フリーでライター業をする私にとって、とても羨ましい。本を出すのはひとつの目標だからだ。紆余曲折を経て、今を必死に生きる私も、これまでの人生を書いたら面白いのではないかと妄想が膨らむが、晩年まで好きを貫き、頑張ればそんなチャンスも巡ってくるに違いない。乗り移った景色が現実になるよう信じて、また一歩進みだそう。

Iona Hayase

1995年生まれ。自動車メディアの編集部を経て2024年にフリーランスとして独立。モータージャーナリストを目指してアルバイトをしながら「書くこと」「走ること」を勉強中。レーシングドライバーでありモータージャーナリストでもある中谷明彦氏に師事している。

『伊太利のコイビト』松本 葉(NTT出版)

ジャーナリストとしてこれからの道標になる一冊

文・黒木美珠

 松本 葉さんの『伊太利のコイビト』を読み終えて、最初に思ったのは「この人、すごい」ということである。かつての『NAVI』編集部員が単身イタリアに渡り、そこで見聞きし、感じたことを独自の視点で綴った文章には、ただ驚くばかりであった。

 特に印象的だったのは、随所に散りばめられたクスッと笑えるユーモア。「お隣の魔法使いみたいなおばあさん」といった例え話や、「もし私でよければ、あなたにバス博士の称号を差し上げたい」みたいな言い回しをサラッと入れ込んでくるところ。こんな造語や例えがあるのか! と、ライターとしての道に片足を突っ込んだばかりの私からすると、羨ましくてカッコよく感じられた。

 カッコ書きの補足文もとにかく秀逸だ。知らない人でも「あぁ、あんな感じね」と想像できるような絶妙な言葉選びに感心させられた。日本語の美しささえも端々に感じさせる文章力。これほど日本と国民性も働き方も異なる環境で過ごした松本さんだからこそなし得る言葉選びのユニークさなのであろう。

 男性の多い自動車編集部で女性編集者として働きながらも、松本さんからは女性らしい感じ方が失われていない。それどころか、その感性が彼女の魅力として文章に滲み出ているのである。このような書き方、物事の捉え方ができるのは、女流作家の要素も兼ね備えたジャーナリストだからこそなのであろうか。

 私も松本さんのように、いろんなことに興味を持ち、積極的に触れてみたいと思う。クルマに関わることも、そうでないことも。そんな経験を積み重ねていくうちに、いつか松本さんのような表現者に近づけたら…。なんてそんな憧れの気持ちすら抱かせる一冊であった。

 日本にいながらにして「イタリア」を感じられるだけでなく、ジャーナリストとしての視座も学べる。時代を超えて響く松本さんの言葉は、これからの道標になりそうだ。早速、松本 葉さんのデビュー作『愛しのティーナ』も注文した。松本さんの世界にもっと浸ってみたくなる、それが、この本が私にくれた一番のギフトかもしれない。

Mijyu Kuroki

1996年生まれ。SuperGT観戦やS2000を所有する祖母とのドライブなどで幼少期からクルマに親しむ。YouTubeも開設しており90日連続車中泊の日本一周や試乗会での新車紹介などを配信している。目指すは「クルマの能力だけでなくその背景にある作り手の想いなども伝えられるジャーナリスト」。

『なぜ、日本車は愛されないのか』立花啓毅(ネコ・パブリッシング)

日本に足りないのは情緒を育む環境

文・華音

 今回読んだ『なぜ日本車は愛されないのか』は、20年前に発売された本にもかかわらず、今だからこそ響くメッセージが詰まった1冊だった。特に印象に残ったのが「物と環境の調和」についての話。物には「環境と溶け込んで自然に存在するもの」と「人工物として自己主張するもの」の2つの側面があると書かれていた。

 例えば、渋谷の賑やかな街並みや日本の駐車場に並ぶクルマを見ても、その美しさに心を奪われることは少ないだろう。一方、フランスの田舎では古いクルマが、日本の田舎では颯爽と走る三輪車を想像するだけで「なんかいいな」と情緒が刺激される。本書ではこの違いを、土地の暮らしと見事に調和したデザインがのどかな風景に溶け込み、むしろ美しさを際立たせる現象、と述べられている。最新のSUVがどんと自然の中に現れると違和感を覚えるのは、物の存在感が環境との一体感によって大きく左右されるからである。確かに、首がもげるほど頷ける!

 これと似た話が日本と海外の広告の違いにも表れている。日本の電車の中や街にはびっしりと広告が貼られ、視覚的に圧倒される。一方、私が3年間住んでいたイギリスでは同じ広告でもうるさく感じない。東京とは違い、ロンドンの都会でさえ、統一感があって落ち着いて見える。この違い、ネットの広告でも感じたことがあるはず。

 例えば、日本企業のヤフーと楽天のサイトは文字がぎっしり詰まっていて情報量が多い。それに比べて、グーグルやアマゾンは余白を活かしたデザインで、すっきり見える。この視覚的な違いが、情報の受け取り方に大きく影響を与えているのだ。

 そして、これらの考えはクルマのデザインにも通じており、日本車が単体ではシンプルで洗練されているのに、集まると雑然と見える理由を指摘しており、本書ではこれが日本車の姿だと指摘している。

 それじゃ、日本車がより魅力的になるにはどうしたらいいの!? そのヒントは「生活態度」にあるという。

 イギリスでは、お金があるかどうかではなく、「どんな生活を送りたいか!」で、例えば、ロンドンの公園には、芝生の上で読書や昼寝をする人で溢れる。対して日本では、そんな風にゆっくり過ごせる公園が少なく、みんな忙しそうにしている。

 本書に出てくる赤い電車の話も印象的だった。あるデザイナーは、子供の頃に見た「緑の中を走る赤い電車」があまりにも美しく、その印象を元にデザインを決めたという。こうした記憶や感動が、人の心を動かし、景色そのものを美しくするのだ。

 日本に足りないのは、そんな「情緒」を育む環境だと思った。効率重視の時代に、本当に心が喜ぶ時間は減っていないだろうか? もっと日光を浴びて、本を読んだり好きな音楽を聴いたり、大切な人と過ごしたりする。そういう時間を持つことこそが、日本の魅力を取り戻す第一歩なのかもしれない。自分もそんな文化を作るために何ができるのか、考えていきたいと思った!

Kanon

1993年生まれ。高校生の時にニュージーランドへ留学、高校卒業後アメリカの大学へ進学。その後イギリスを拠点に海外情報や英語学習のノウハウを発信するYouTubeを開設、36.5万人のチャンネル登録者数を誇る人気YouTuberとなる。現在は日本でモータージャーナリストを目指して活動中。

『ダンディー・トーク』徳大寺有恒(草思社)

クルマという枠を飛び越える“意識”の大切さを学んだ

文・徳田悠眞

 学生時代は本屋にしょっちゅう訪れて、あらゆる自動車雑誌を手に取っていた。無類のクルマ好きゆえに、それがある種の趣味だったが、大人になった今もあのときのような時間を過ごしてみたい。この企画で素敵な1冊に巡り合い、そんなことをふと思った。

 レーシングドライバーであり、自動車ジャーナリストである徳大寺有恒氏の著作『ダンディー・トーク』。カッコよく生きることに全てを注ぎ、彼はそれを“ダンディズム”と表現する。ファッション、食、女性といった快楽的行動の背景には、ストイシズムの哲学が潜む。そんな人生の一部にあるのがクルマであり、彼にとってジャーナリズムの根源となるのはやはり“ダンディー”だったという。

 徳大寺氏の“生き方の中にある男らしさ”を感じる著作だが、恥ずかしいことに本筋を理解するまでにえらく時間がかかった。実を言うと、最初に読み終えた後、これほど多くの趣味とともに教養を身につけるのは全てクルマのためだと思っていたのだ。自分の未熟さを無かったことにできないのでここに残しておく。

 しかし、なぜそう思ったのか。それは自動車評論家の徳大寺有恒として、彼の姿を想像して読んでいたから。たしかに、徳大寺さんはクルマ業界における偉大な人物である。彼自身も心の底からクルマを愛していたはず。しかし、クルマのために一生を費やしたわけではない。ジャガーもロールスもメルセデスもあくまで人生の断片的なものであり、生き方をカッコよくするための一部にすぎなかったのだ。自動車評論家たるや、クルマ第一主義で物事を考えるべきと思っていた筆者にとって衝撃だった。それと同時に、徳大寺氏の生き様はカッコいいと思えた。

  “ダンディズム”の精神を自身に宿すことは容易じゃない。また、自分にとってそれが全てとは限らない気もする。しかし、クルマという枠を飛び越える“意識”を学んだ。限りある時間なのだから、真剣かつ丁寧に過ごしていこう。まずは、苦手な服装術についてでも向き合ってみるか。

Yuma Tokuda

1992年生まれ。自身のYouTubeチャンネル「GOOD CAR LIFE Channel/ゼミッタ」にてニューモデル紹介や愛車レポートを行うほか、Web媒体でコラムを執筆。現在はランクル300やシビックタイプRなど最新モデル9台を所有。気になる車種は買って評価を行う。目指すは「YouTuberと自動車ジャーナリストのハイブリッド型」。

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