65歳ふたつのリアル
文・夢野忠則
大学を卒業して広告業界に身をおき、最初の10年は会社員、次の10年は経営者、その後はフリーな立場で仕事をしてきた。今はこうして執筆活動などもしながら、もはや自分が何屋なのかわからない。地に足を着けて、と言い続けていた母はきっと嘆くに違いない。
62歳で大型自動二輪の免許を取得した。免許証が交付された翌日に新幹線でトライアンフ大阪まで行って、中古のボンネビルT120を受け取り自走して帰ってきたと言うと、たいがいの人に驚かれる。
週末は250キロ離れた長野の電気も水道もない山小屋まで、4時間かけてジムニーシエラで通っている。3ヶ月に1度は、熊本の実家までもシエラで帰省すると言えば、たいがいの人に呆れられる。
こちらは特別なことをしている自覚はないし、無理をしているわけでもないので、むしろ驚かれることに驚く。たいがいの人が驚くのは、僕が20歳の若者ではないからだろう。
落ち着いた大人なんて言うけれど、それは若い頃の元気がなくなった者の言いわけに過ぎないんじゃないか。還暦を過ぎ、50代までのいろんな制約から解放されて、やっとリミッターを外せる歳にたどり着いたのだ。やるか、やらないか。できない言いわけをする相手など、もういない。一度もリミッターを外すことなく、人生というサーキットからリタイアしたくはない。
「お前はいいなぁ、自由で、楽しそうで」と友人から言われたことがある。それは楽しい部分しか見せていないからであって、熊本の実家には95歳の父が独りで暮らしているし、東京で同居する義母は認知症が進み、いよいよ目が離せなくなってきた。キリギリスみたいな人生を歩んできたから、この先の蓄えがあるわけでもない。もちろん退職金なんて。でも、ため息はつくまい。自分で選んだ道だから。
ボンネビルに乗り始めてから、自分に課したことがいくつかある。まずは体幹を鍛え維持すること。食生活を改め、毎晩、四股を踏んで15キロ減量した。大事なのは、たくましくあり続けようとする意志だろう。誰に言いわけしようと、自分の腹がたるんでくるだけだ。歳だから仕方ないとは言いたくない。バイクだけカッコよくて、どうする。
街で誰かと酒を飲むのもやめた。愚痴や自慢話、昔話の繰り返しは、限られた時間とお金の浪費でしかない。カラオケで懐かしい曲を歌っている暇など、もうないのだ。今の、そしてこれからの自分の歌を奏でたい。道の上から、森の風に吹かれながら。
自分は、まだ途上なのだと思っている。成し遂げていないから、まだまだ前向きに生きていける。やりたいことなら、いっぱいある。若い頃、占い師に言われた「あんたは大器晩成だよ」という言葉をいまだに信じて、さぁ、これからだ、と本気でワクワクしている。
ここまでが、65歳になった自分のリアルである。もうひとつ、僕らのリアルを書き添えておきたい…。
今の仕事場は、小さな広告代理店の一角を間借りしている。その会社を経営しているのは高校時代のラグビー部の仲間で、20年前に僕が事業に失敗し途方に暮れていた時、一緒にやろうぜ、と手を差し伸べてくれた男だ。16歳で出会って、もう半世紀近くが経つ。
その彼に、この秋の健康診断で癌が見つかった。精密検査の結果、いたるところに転移していて、すでにステージ4だという。腫瘍の摘出手術はできず、抗がん剤治療に頼るほかない。余命は数ヶ月か数年か、治療を始めてみないとわからないらしい。わずか2ヵ月前までは、普通に一緒に仕事をしていたのに…。
「お前はいいなぁ、自由で、楽しそうで」と言った友人とは彼のことで、僕が自動二輪の免許を取った時だった。「お前も取ればいいじゃないか」と言うと、「俺は65歳までしっかり働いて、それから楽しく過ごすことにするよ」と彼は答えた。僕とは正反対の堅実派だから、彼の思い描いた第2の人生設計はもうすぐ叶うはずだった。
どんな思いでいるのか。「家族と写真を撮ってきたよ。髪の毛があるうちに」なんて、笑いながら笑えない話しをする友に、どんな言葉を返せばいいのか。お前の山小屋にも行ってみたかったな… 春になったら一緒に行こうぜ… もしかしたら果たせないかもしれないと、お互いに知りながら交わす約束。これもまた、65歳のリアル…。
還暦を過ぎたからこそ外せるリミッターがある。でも、別のリミッターにからめ取られてしまうことだってある。だから“今”なのだ。今を無駄にして糧にできるのは若者だけだ。いい歳をして、ぼうっと電車に揺られている場合ではない。僕はアクセルを踏み、スロットルを回し続ける。まだ走れる幸運をかみしめて、今日の流れゆく風景を胸に刻もう。
夢野忠則/Tadanori Yumeno
夢野忠則
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