LEVORG STI Sport R EX
全長×全幅×全高(mm):4,755×1,795×1,500
エンジン:2.4L DOHC 16バルブ デュアルAVCS 直噴ターボ ”DIT”
トランスミッション:スバルパフォーマンストランスミッション(マニュアルモード付)
総排気量:2,387cc 車両重量:1,915kg
最高出力:202kW(275ps)/5,600rpm
最大トルク:375Nm(38.2kgm)/2,000-4,800rpm
燃料消費率:11.0km/L(WLTCモード)
駆動形式:AWD(常時全輪駆動)
昨年、還暦を迎えた後藤 武は、「アメリカで買った方がおもしろいから」と、24歳の相棒カンタと一緒にピックアップトラックを買いにアメリカへ渡った。
そして現在モータージャーナリストを目指して活動している黒木美珠は、自分の居場所を探して3年前に1人で車中泊をしながら日本を一周した。旅のカタチや目的は違うが旅をするひとの心は強く輝いて見える。
文/写真・黒木美珠
日本一周への憧れ
小学生の頃、向かいに住んでいた幼馴染の“ゆいちゃん”が夏休みごとに北海道や沖縄へ旅行に行くのを、いつも羨ましい気持ちで眺めていました。大学生になって自分でアルバイトをしたお金で友人と旅行に出かけるようになっても、“私は行ったことのない場所が多い”というコンプレックスが心のどこかに残り続けていたのです。もちろん全く家族旅行をしてなかったのではなく、一泊二日の旅行やスーパーGTの観戦などには連れて行ってもらいました。けれども遠出と言えるほどの旅行は経験したことがなく、まして海外には一度も行ったことはなかったのです。そのせいか私には大学生の頃から、いつか「日本一周をしてみたい」という想いが湧いてきました。しかし当時の私はクルマを持っておらず、公共交通機関を繋いでの旅行は自分の描いていた旅のイメージと違うように感じていました。また宿泊を考えると費用が膨大にかかってしまうと諦めてしまい、その夢は実現しないまま社会人となったのです。
私のYouTubeを見てくださった方はご存じかもしれませんが、かつて私はOLをしていました。少し意外に映るかもしれませんが、私は自動車部品メーカーで働いていたのです。しかしその職場で教育係である上司からさまざまなハラスメントを受けてしまい、朝会社に着くと吐き気とめまいに襲われて動けなくなったのです。最終的には心療内科へ治療に通うほどになりました。そして悪いことは重なるもので、同じ時期に両親が離婚を考えており、私の不安を増幅させました。結局、精神的に追い詰められた私は、何のために生きているのか分からなくなり、人生そのものに希望を失っていきました。職場にも家庭にも自分の居場所がなくなり、不眠に苦しむようになったのです。食欲もなくなって極端に痩せ細って、日々立ちくらみにも悩まされました。しかし私には9年間バレーボールを続けてきたことで、「一度始めたことは最低でも3年は続ける」という体育会系の“根性論”が刻まれていたのです。その精神力のおかげで、そんな状況でも会社を辞めることも休むこともなく3年間、働き続けました。そして退職を決めた日に「日本一周の旅に出よう」と心の中で決めました。そして、もしこの旅でも希望を見つけられなかったら、その時は人生を止めても良いとさえ考えていたのです。
最高の旅にするための計画
会社を辞めて日本一周の旅の準備をしていた2か月ほど、私は税務署で確定申告の補助サービスに携わる補佐員として働きました。この経験が後にフリーランスでやっていこうという想いを後押ししたのです。そして私が旅に出る直前に両親の離婚が成立しました。その時私は不思議と涙が出なかったことを覚えています。しかし旅の前夜、私はひとりで大泣きしてしまいました。それまでの積もり積もった色々な感情が一気に湧き出して押さえ切れなくなったのです。それと、これから始まる日本一周という大きな計画に対する不安もあったのでしょう。「もし事故に遭ったらどうしよう」「旅を終えて戻る場所があるのだろうか」など、さまざまな不安が頭をよぎりました。そして迎えた出発の日、気持ちを切り替えてゆっくりと支度を済ませ、10時ごろにクルマをスタートさせました。旅の相棒は、社会人になって購入したホンダ・ヴェゼル。コンパクトSUVながら後部座席をフルフラットにすれば車中泊が十分可能なクルマです。
初日の目的地は岐阜県にしました。私の住んでいた静岡県から遠ざかるにつれ、次第に開放感が溢れてきて「これからは、自分の好きな時間に好きな場所へ行けるんだ」と思うと、自然と心が軽くなっていったのです。その日は「馬籠宿」などの古い宿場町を巡り、日本家屋に癒されて車中泊。「よくここまでガンバってきたな」と自分を労いました。そして久しぶりに驚くほどぐっすり眠れたのです。次の日からも清々しい気持ちで旅は続いていきました。旅に出る前は不安でいっぱいだったのに、いざ出発してみると素晴らしい世界が広がっていたのです。
心配性な私は、日本一周に出発する前に、旅のルートを計画していました。私の住んでいた静岡県は、ほとんど雪が降らないため、スタッドレスタイヤを持っていませんでした。旅の途中でタイヤを履き替えるのは難しいと判断して春先でも雪が残る北方面に行くのは、5月下旬から6月にかけてと決めていたのです。まず西日本へ向かって九州を折り返すルートを計画しました。その結果、雪が降ることもなくスリーシーズンタイヤで旅を続けられたのです。さらに、車中泊をする場所も事前にしっかりと調べておきました。行ってみたい場所や立ち寄る先も具体的に決めていたのです。また少しでも良い旅にしたいと考えて、訪れる場所の天気予報を確認して、前後に“OFFの日”を設けました。少しでも天気が良い日に目的地に到着するための工夫として日程を調整できるようにしたのです。
旅の思い出と自分ごと
日本一周をした中で、一番思い出深いのは和歌山県です。岐阜県、愛知県、三重県に続く4県目として初めて訪れたのですが、どこか故郷のような居心地の良さがあり、自然の美しさや食べ物の美味しさに感動しました。国道42号線を走り、海沿いを辿って和歌山県の各地を巡ったのですが、思わず「わぁ!」と1人で感嘆の声を上げる瞬間が何度もありました。情景の美しさや懐かしさを感じさせる空気感は、私の心を救ってくれたのです。
さらに少ない予算でも各地の名産を楽しみたいと考えて、昼食はその地域の特産品や名物を食し、夜は道の駅で売られているパンやお惣菜、スーパーのお弁当で済ませました。この“作戦”のおかげで食費を抑えつつ全国のグルメを楽しむことができたのです。特に印象に残っているベスト3は、熊本県阿蘇山の麓で食べた「あか牛」、和歌山県高野山での「高野豆腐ランチ」、和歌山県那智勝浦町で食べた「中トロ丼」です。これらの美味しい食事も忘れられない私の旅の思い出です。またこの旅の記録を動画や写真だけでなく、何かの形に残したいと考えて紙の日本地図を用意しました。道案内はクルマのナビを使ったのですが、一日の終わりに紙の地図に赤ペンで通った道をなぞっていきました。そしてもうひとつ御朱印帳も準備しました。神社仏閣を訪れた際に記念として御朱印を頂いたのです。御朱印には必ず日付が記されるので、後になっていつどこにいたのか振り返ることもできます。どこかスタンプラリーのような気持ちになって旅の楽しみのひとつになっていきました。また、本州と四国をつなぐ「しまなみ海道」などを除いて、基本的に有料道路を使用しませんでした。一番の理由は節約のためだったのですが、その場所の雰囲気を感じながら、気になる施設や景色を見つけた時は、迷わずクルマを停めてみることが旅の醍醐味だと知ったからです。
節約といえば、ガソリンはアプリを使ってガソリンスタンドを選んで給油していました。当時はレギュラーの価格がリッターあたり145~148円。少しでも出費を抑えるために150円を超える給油は避けていたのです。それとJAFの優待サービスを利用して観光施設や日帰り温泉の割引を受けたのも非常に助かりました。全国を巡る中で、私の最大の楽しみは温泉でした。元々温泉が好きだったのですが、この旅でさらに温泉が大好きになりました。丸一日、運転を続けた日などは、温泉が最大のリラックスタイムとなったのです。特に印象に残っている温泉は、秋田県仙北市の「乳頭温泉」、大分県別府市の「泥湯」、北海道登別市の「登別温泉」でした。それぞれ泉質が異なっているので、甲乙つけ難い魅力があります。もう一度訪れたいと思うほど気に入った温泉地となりました。
そして今回の旅で特に印象的だった場所は、原爆資料館として有名な「広島平和資料記念館」、鹿児島県の「知覧特攻平和会館」、仙台の「震災遺構 仙台市立荒浜小学校」です。これらは戦争や震災の記憶を伝える場所で、現地にいったことで、歴史としてではなく、“自分ごと”として深く考える体験となりました。
この旅を終えて
この旅を通じて、クルマへの想いも変わってきました。宿泊は全て車中で過ごしたため、クルマが移動の手段であり、寝床であり、雨風をしのぐシェルターでもありました。さらに鍵がかかるので、テント泊では得られない安心感も提供してくれたのです。この旅がきっかけでクルマへの愛情が深まったことは間違いありません。思い切って旅に出たことで、私は自分の芯となるものを確立し、自由に生きることの素晴らしさを知りました。旅に出た3年前の25歳にしてようやく本当の自分を手に入れた感覚があるのです。
現在フリーランスとして活動していますが、この経験から学んだ「自分の責任で計画し、問題を解決すること」は、今の生き方に大いに役立っています。私は客観的にみても器用ではありません。しかし何事も地道にコツコツと続けていくことが得意です。ウサギと亀でいえば、亀の方なのです。しかしこの旅で得た「やり切った」という達成感を忘れずに、これからもコツコツと“亀の精神”で生きていきたいと思っています。
Mijyu Kuroki
(YouTube「AUTO SOUL JAPAN 旧みじゅ【車と洗車ちゃんねる】」 右のQRコードから)
「町からはじめて、旅へ」の続きは本誌で
カンタとアメリカへクルマを買いに行った話 後藤 武
95日連続車中泊、女ひとり旅 黒木美珠