メルセデスベンツが2030年までの完全EV化を断念したというニュースが話題を呼んでいる。
SNSには驚きの声が上がったが、この問題を数年前からウォッチしてきた僕からすると完全に想定内。というのも、そもそもメルセデスは2030年までの完全EV化など宣言していないからだ。’21年に出したメルセデスのリリース。「Mercedes-Benz isgetting ready to go all electric by the end of the decade, where market conditions allow.」。2030年までに完全EV化をすると言っているが、一方で「マーケットが許すなら」という注釈を付けている。日本のメディアはご丁寧にもこの部分を削除し、あたかもメルセデスが完全EV化を宣言したかのように報じた。これはもう著しく正確性に欠けた報道と言う他ない。昨今のEV騒動の多くはメディアが作りだしたものである。
しかし、わざわざは回りくどい言い方をしたメルセデスにも責任の一端はある。これは僕の想像だが、緑の党を中心とする環境原理主義がはびこる欧州政治へのリップサービスと、EVと言えば株価が上がっていた状況を踏まえたIR対策の一環としての宣言だったのだろう。しかし、メルセデスの宣言は環境原理主義者たちの主張を強化する方向に働き、強まる政治的圧力を受け彼らはリスクを承知でEV開発にリソースを集中せざるを得なかった。このツケは今後ボディブローのように効いてくるかもしれない。
その点、日本にとって幸運だったのは、豊田章男という政治と戦える経営者(当時の自工会会長)がいたことだ。「すべてEVにしろと言う政治家がいるが、それは違う」と、真っ向から権力に立ち向かい、結果として現実的な政策を国に呑ませた。その過程でメディアからは「EVに出遅れたからハイブリッドにしがみついているのだ」とか、「エンジン廃止宣言をしたホンダを見習え」と叩かれまくったが、あれから2年半たったいまトヨタを批判する声はピタリと止んだ。エンジン車からEVへの橋渡し、あるいは現実的なCO2削減策として、ハイブリッド車は世界で引っ張りだこである。理想を語るのは大切だ。しかし現実を忘れた理想の追求は誰も幸せにできない。
Goro Okazaki