外国車といえば、フォルクスワーゲンのビートルぐらいしか見たことなかったころだ。九州の田舎町に暮らしていた小学生にとっては、世界中にいろんなクルマがあること自体が驚きで、しかも新幹線より速いクルマがあるなんて別世界の出来事のようだった。
兄貴が貸本屋から借りてきたマンガ『サーキットの狼』を読んだときの話だ。小学校の3年生か4年生だったから、昭和50年代の初め、西暦で1975~77年あたりか? 同年代の人なら、このマンガが1つのきっかけとなったスーパーカーブームを覚えているだろう。むしろこのブームが原体験となってクルマ好きになった、という人も多いんじゃないだろうか。スーパーカーブームの代名詞的なランボルギーニ・カウンタックやフェラーリ512BBをはじめ、マンガの主人公・風吹裕矢の駆るロータス・ヨーロッパや劇中登場するポルシェ911カレラRS、デ・トマソ・パンテーラなどが人気だった。そんなクルマが街なかを走っているわけもないので、各地でスーパーカーショーなる展示会が開催されていたものだ。僕もショーこそ連れて行ってもらえなかったが、お年玉でスーパーカーのポストカード写真集を買ったことを覚えている。もちろんスーパーカー消しゴムとBOXYのボールペンで卓上レースをやった世代だ。タイヤにホッチキスは反則だ。
このブーム自体は数年程度のものだったのだけど、この時洗礼を受けた子供たちが、やがて来るバブル期にスーパーカーを買いまくったりしたのだから、日本のクルマ文化に与えた影響は決して小さくはない。大人になって、国産スーパーカーを作りたくてクルマメーカーを目指した若者だっていただろう。当時は今よりも扱いが低かったマンガというサブカルチャーの1作品が、クルマ文化、クルマ産業になにがしかの爪痕を残したのだ。
マンガやアニメ、ポップミュージックや映画といったいわゆるサブカルと(バイクも含む)クルマ文化は、密接とまでは言わないが、近しい関係にある。クルマのない時代や異世界を舞台にしたものは別として、遠くない過去から現代、未来を描く中で、すぐそばにある乗り物であるクルマやバイクは、直接・間接的に作中に登場せざるを得ないからだ。誰もが知るものだから、受け手の側もイメージしやすい。だからこそ、クルマはキャラクターを投影する手段として使えるのだし、作中のクルマに感情を揺さぶられた我々は、現実のクルマにもその影を見てしまう。盗んだバイクで走り出す15の少年の姿に、抑圧からの解放を教えられた若者たちは、盗みはしなくともバイクを自由の象徴として捉えるだろう。そういった関係性が、サブカルチャーとクルマ文化の間にはある。
思えば1980年代のバイクブームもサブカルとともにあった、と言えるんじゃないだろうか。バイクブームそのものは、その少し前からの高性能化した2スト原付スクーターや原付MT二輪の流行から、やがてレーサーレプリカ人気に火が付いて……といった流れがあって巻き起こったものだけど、『あいつとララバイ』や『湘南爆走族』、そして『バリバリ伝説』といったこの時代を彩るマンガたちも、ブームに乗ったというより引っ張っていった作品たちだ。いずれの作品もブームだから描いているのではなく、作者がいかにバイクが好きかというディテールや走りの描写があったからこそ、読者たちは熱くなった。今も続く絶版旧車バイクの人気やZ2(ゼッツー)ことカワサキ750RSをはじめとする一部車種の“神格化”もこれらの作品と無関係ではあるまい。1987年に作られた『湘南爆走族』の実写映画も悪くない出来で、この映画で初主演を果たした俳優・江口洋介が主人公の役名・江口洋助から名前をもらっていることはOVER50世代なら常識だろう(か?)。まあ彼も共演の織田裕二も素人に近い新人だったので、演技の方は大目に見てやってほしいが、原作を再現したカスタムバイクのディテールやバイクバトル、コミカルとシリアスが入り交じったストーリーは今見ても痛快だ。まあ時代は同年の『私をスキーに連れてって』に代表されるようにバブル期を迎え、同作に登場するセリカGT-FOURなどのスポーツカーやソアラなどの“ハイソカー”、あるいはベンツ・BMWを筆頭にした輸入車などクルマのほうが中心になっていくのだけれど。
私をスキーに連れてって
販売元:ポニーキャニオン
価格: DVD¥3,000+税
(C)1987フジテレビ・小学館
少々脱線した。クルマ文化とマンガやアニメ、映画といったサブカルは、なぜ親和性が高いのか? だ。
それは、クルマには物語が必要だからだ、と僕は思う。
クルマやバイクを選ぶときの基準ってなんだろう? 性能、価格、燃費、スタイル……、人それぞれ重視する点は違うだろうが、おそらくリストにない項目にそれはある。
スカイラインやフェアレディZ、あるいはスーパーカブ、名車とされるクルマやバイクはそれぞれ伝説を背負っている。レースでの栄光であったり、日本車の品質を海外に認めさせた性能であったり、高度経済成長を支えた頑丈さであったり。そこに憧れて、いつかあのクルマに乗ろうという夢を抱いたり、メーカーのファンになったりもする。
すべてのクルマがそうした伝説を持てるはずもないけど、でも、物語なら持つことができる。マンガや映画というフィクションの中であっても、そのクルマと、乗る人間とが一緒になって紡いだ物語。それを見た僕たちは、今度は自分の物語へと思いを馳せるのだ。