三菱自動車本社ショールームでは6月下旬まで『ダカールラリー展』を開催しており、2002年の第24回大会で総合優勝を果たしたパジェロ(スーパープロダクションクラス仕様)が展示されている。
増岡 浩さんが15回目の挑戦で初優勝した車両だ。実車両(レプリカではない)であり、走れる状態にレストアしたばかりだ。
「前の年にすごく悔しい思いをしましてね」と増岡さんは、思い出の詰まったクルマを前にして話し始めた。「だから、この年はものすごく懸けていたんです」
’01年は前半戦の最後に総合首位に浮上すると、その座をキープしながら大会の最終盤を迎えた。ところが、ライバルチームから妨害行為を受けた影響で首位の座を失い2位でフィニッシュ。レース後に計時ミスが発覚し、そのミスがなければ優勝していたことが判明したが結果は覆らなかった。
「とにかく悔しくて、悔しくて。悔し涙は何ヵ月も止まらなかった」
増岡 浩(Masuoka Hiroshi)
必勝を期して取り組んだのが、視力を改善することだった。増岡さんの視力は裸眼で1.5だった。悔しすぎて錯乱した? いえいえ、大真面目だった。ダカールラリーを走るパジェロは最高速が190㎞/hに達する。秒速にすると約52.8mだ。瞬時の判断ミスが命取りになり、タイヤを岩にヒットさせればパンクしてしまう。そうしたアクシデントを未然に防ぐためには、走行中に遠くをよく見る必要がある。増岡さんは特別な眼鏡をあつらえて視力を2.5に上げた。
「視力が上がると、小さな石がよく見えるようになります。それまでは毎年7~8本パンクしていました。8本だと40分タイムロスします。ところがこの年は1本しかパンクしませんでした」
5分でタイヤ交換を終えてしまうことにも驚くが、パンクを減らすために視力を向上させようとした発想が増岡流である。さらに、勝つための机上計算を繰り返した。
「アタックは1日ごとに行う戦略を立てました。初日に6分勝ったら次の日は3分負ける。2日で3分勝てばいい。いずれにしても、リスクが大きいのでトップを走りたくないわけです。ロードブックにないようなところで突然穴があったり、裂け目があったりして、そういうところで大きなクラッシュが起きる。だから、燃料が重い前半は誰かを先にいかせてクルマも人間の体力も温存しておき、軽くなってから一気にスパートをかける。その頃、相手はヘロヘロになっていますから」
長年のダカールラリー参戦経験から導き出した必勝法だった。いいクルマ、いいチームがあったとしても、1回のスタックが勝負を分ける。「勝ちたい。速く走りたい。ずっとそれだけ考えて突っ走っていたが、経験を生かすことも大事だと気づいたんです」と増岡さんは言う。
大会の主催者が手配したヘリコプターのパイロットから、「オマエだけ走り方が違う」と指摘されたという。蛇がのたくっているようだと。砂丘に対して正面から登っていくと、頂上では空しか見えなくなり、向こう側の地面の様子を確認することはできない。それに、頂上でお腹をついて4輪が浮いてしまったら一巻の終わりだ。
「パジェロは左ハンドルなので、右斜めに角度を付けて登っていくんです。そうすると、頂上の手前で向こう側が見えるし、1輪しか浮かさずに済むので絶対にスタックしない。等高線をなぞるように登って、降りるんです」
経験が編み出した増岡走法だ。室内にはタイヤの空気を出し入れするボタンがついている。増岡さんは人より空気圧を低くして接地面を稼ぐと同時に、衝撃吸収性を高めて走ることを好んだ。「石を越えるときも包み込んでくれるので車体の高さが変わらず、無駄がなくてスピードが出せる」からだ。
「それまではとにかくイケイケでしたが、真剣に勝つための勝負をしようと臨んだのがこの年でした」
その意味で、’02年のパジェロはとくに思い入れのある1台である。
(次号につづく)
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