クルマやバイクに乗ると、なぜか海へ行きたくなる。海までたどり着くと、もうそれ以上先へ進まなくても良いからほっとするのだろうか。それとも人は海から生まれたから、繰り返し海へ還りたくなるのだろうか。
ともかく、人はクルマやバイクに乗ると海へ向かう。そして海は季節ごとにまったく違う表情で迎えてくれる。穏やかに凪いだ海、荒々しく暴れる海、きらきらと太陽を孕んでたゆたう波。久しぶりにR134へ行ってみよう。
僕の中の稲村ジェーン
国道134号線。千葉県民の僕にとっては地元でもないし、思い出の道というほどよく走ったわけでもないのだけれど、80年代に青春を過ごした人間としては、やはり特別な意味を持っていた。まあ、いつか女の子を隣に乗せてドライブしたいという、ついに叶わなかった願望を持っていたというだけの話なのだけど。学生時代、用もないのに男同士で江ノ島あたりまでやって来て、こっぴどい渋滞に巻き込まれては「やっぱ海は千葉だよな」とお前こそが渋滞の原因になっておきながら捨て台詞を吐いてすごすご帰るという、地元の人にとっては迷惑この上ないダサ坊だったわけだ。
うらやましかったのだ。山や海や港でさまざまな表情を見せるこの道が。横須賀から葉山、逗子、古都鎌倉に江ノ島、大磯まで。多くの文学作品や映画、楽曲の舞台となってきたこの道を走れば、僕にも自分の物語が見つけられるんじゃないかと思っていたのだ。
僕がこの道を初めて意識したのは、たぶんブレッド&バターの名曲「ホテルパシフィック」を耳にしたときだ。36、7年前の話で、中学生のころだったか。去りゆく青春の日々への愛惜を歌ったこの曲は、思春期の少年には少々早かったのだけど、そんな曲を聴くだけで自分も大人になった気がしていたものだ。
この曲の歌詞には、国道を横切って浜辺に出る、という描写があるのだけど、具体的な地名は出てこない。少年時代を九州で過ごした僕には、それが実在の場所かも知るよしがなかった。後に、確か作詞を手掛けた呉田軽穂=松任谷由実がラジオでブレバタの2人とこの曲の思い出を話していて、モデルになったホテルが茅ヶ崎にあり、歌の通り国道134号を挟んで海が広がっていたという事実を知ったのだ。自分でクルマに乗る歳になった頃には残念ながらこのホテルは廃墟となっていたのだけれど、さえない青春時代のアイコンの一つとしてほろ苦く思い出す。サザンオールスターズにも同名異曲があって、やはり寂れたホテルと過ぎ去った青春の思い出を重ねた歌だったはずだ。
サザンといえば、現在の湘南のイメージの半分は彼らが作ったんじゃないかってなバンドなわけで、烏帽子岩を有名にした「チャコの海岸物語」やこの道の茅ヶ崎周辺をエボシラインと名付けた「希望の轍」だの、数えれば枚挙にいとまがない。そういえば、桑田佳祐は1960年代の稲村ヶ崎を舞台にした映画「稲村ジェーン」を自ら監督したりもしている。正直、この作品は映画としては多少まとまりに欠けるのだが、当時の湘南を知らない人間にとっても、記憶のどこかにある輝かしい夏……実際にそんな夏を過ごしていなくても、あった気がする不滅の夏、いわば夏のイデアを感じさせる空気感を写し取っていた。
こうしたイメージは、元を辿れば太陽族という言葉を生んだ「太陽の季節」「狂った果実」あたりがその原点なのだろうが、それは結果としてであって、走ってみれば一目瞭然、必然であったのだ。この道がただ美しい海岸沿いの道というだけなら、そこにドラマは生まれなかっただろう。先に書いた通り、山と海と港、そして歴史を背景にしているからこそ、この道を走る人は、自分がまるで物語の中にいるような気にさせられる。海は自由や解放、未来の象徴であり、山は葛藤や立ちはだかる困難だ。そして港は母性、受け入れてくれる場所、帰るべき場所、旅立つ場所でもある。さらに古い歴史とは自らのルーツでありながら自分を縛る因習でもあり、乗り越えるべき父性の象徴ともいえる。国道134号線を走る時、人が青春時代を追体験するような気になるのは、しごく当然の話だったのだ。
だからだろう、この道が登場する映画や音楽には、どこかノスタルジーを想起させるものが少なくない。すぐに思いつく近年の映画を並べるだけでも、「ホットロード」「DESTINY 鎌倉ものがたり」「海街diary」、どれもそれが直接のテーマではないにせよ、背景には美しい時を懐かしむ空気が漂っていた。
地元の人はまた違う意見を持つのかもしれないが、僕たちはたぶんどこかで無くした夏を見つけたくて、もう一度、あの夏に巡り会えるんじゃないかと思って、この道へ繰り出すのだ。
「特集 「久しぶりのR134」の続きは本誌で
R134を歴史で振り返る 村上智子
SURF ROAD 134 江本 陸
僕の中の稲村ジェーン 山下敦史
久しぶりのR134 松本葉