モタスポ見聞録 vol.12 Good-bye、グリッドガール

文・世良耕太

 F1世界選手権を運営するFormula 1(フォーミュラ・ワン)は、2018年の開幕戦オーストラリアGP(3月25日決勝)からグリッドガールを廃止すると発表した。

 1月末になされたこの発表を受け「レースクイーン廃止?」と一部のメディアやSNSで話題になったが、グリッドガールとレースクイーンは違うので整理しておきたい。

 グリッドガールはスターティンググリッドにだけ現れる女性で、パドックを歩いていたり、ステージイベントに現れたり、サイン会に臨むドライバーの横に立っていたりはしない。ドライバーの名前やカーナンバーが書かれたボードを持ってスターティンググリッドに立つのが、彼女たちの務めだ。開催国や開催地の伝統や文化を感じさせる衣装を身にまとうのが基本。映像や写真などのメディアを通じて、開催国や開催地の文化やムードを発信する役割を担っていた。彼女らの雇い主はグランプリの主催者である。

 一方、日本のレースでおなじみのレースクイーンの雇い主はチームやスポンサーであり、所属するチームや所属チームのドライバー、あるいはスポンサーのPRを行うのが彼女たちの主な仕事だ。富士スピードウェイのクレインズのように、サーキットが雇い主となったサーキットクイーンもおり、場内放送やステージイベントを通じてイベントの紹介やサーキットの魅力を伝えたりする。F1でもたまに、スポンサー企業のPRを行うキャンギャル的な女性が現れたりするが、F1にはそもそも、レースクイーンやサーキットクイーンのような職種の女性は存在しない。

 話は戻って、F1はグリッドガールを廃止すると宣言した。「何十年にも渡ってF1グランプリにとって当たり前の光景」だったが、「現代の社会規範と照らし合わせた場合、明らかに矛盾していると感じる」し「ブランドバリューにも共鳴しない」というのが、廃止に至った理由だ。
 要するに、時代に合わないし、古くさいから廃止するということのようだ。表向きは。「現代の社会規範と矛盾する」というのは、大物映画プロデューサーの行為がきっかけで大騒動に発展したハリウッドのセクハラ問題とリンクするという見方がある。十分にあり得る話で、だとすれば過剰反応だと個人的には思う。

 いや、そもそも、長らく受け継がれてきた風習を否定することが、’16年にアメリカから乗り込んできたFormula 1の目的なのかもしれない。新しくなったムードをアピールするのが先で、そのためにグリッドガールという分かりやすいアイコンを選んだとも考えられる。’17年のアメリカGPでは彼の国で有名なリングアナウンサーを呼び、ボクシングの試合で行う選手紹介よろしく、派手な演出でスタート前にドライバーを紹介した。チアガールを添えて。

 多分にアメリカ風な演出もグリッドガールの廃止も、新しさを模索する一環に違いない。グリッドガール廃止宣言の5日後、Formula 1はグリッドキッズの導入を発表した。現代の社会規範に合致させた、彼ら流の回答なのだろう。

Kota Sera

ライター&エディター。レースだけでなく、テクノロジー、マーケティング、旅の視点でF1を観察。技術と開発に携わるエンジニアに着目し、モータースポーツとクルマも俯瞰する。

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