おしゃべりなクルマたち Vol.73 国別的運転作法論

 ニュースでは今年の夏もまた、コートダジュールを訪れる観光客の数は、欧州を襲った経済危機以前に較べてマイナスと報じられていたけれど、天候不順にもかかわらず人の数は去年よりずっと多かったように私には感じられた。景気が少し、上向き始めたのだろうか。

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女性に寄り添ってきたSUZUKIを知る スズキ歴史館を訪ねて

コラム:まるも亜希子
写真・山下 剛

タイムトンネルで実感するスズキのルーツ

普段はほとんど意識することも無いけれど、クルマメーカーの歴史を遡ってみると、そこから見えてくるものがある。「なるほど、だからこのメーカーはこういうクルマを造るのが得意なんだな」と、気付くこともある。今回は、本誌でおなじみのモータージャーナリスト、まるも亜希子さんとともに、機織り機から始まった”SUZUKI”の歴史をたどるべく、遠州、浜松にあるスズキ歴史館を訪ねた。

エントランスから展示室へとあがる階段は、まるでタイムトンネルのようだった。スズキが歩んできた時代の主な出来事がパネルであしらわれ、その時代の流行歌が流れている。浜松にあるスズキ本社には何度も足を運んだことがあったが、その向かい側に建つスズキ歴史館を訪ねるのは今回が初めてだ。

そんなタイムトンネルでふと上を見上げると、美しい織物が天へと舞うようにディスプレイしてある。自動車メーカーの歴史館というと、なんだか女性には難しそうな印象を持ってしまうけれど、ちょっと親しみが湧いてきた。階段をのぼり切った先には、とても古そうな織機がデンと置かれていて、なんと織物がその織機の糸の1本1本とつながっている。スズキのルーツは織機の開発にあるということを、実感させてくれるステキな演出だ。

スズキの原点「杼箱上下器搭載織機」

現在の浜松市が位置する遠州一帯は、もともと織物が盛んな地域だった。とくに遠州では、私たちが「チェック」と呼ぶような格子柄の織物が名産で、それは通常の縞模様の織物よりも、織るのにとてつもない手間と時間がかかるものだったという。幼い頃から、母親や周囲の女性たちが苦労して織物を織る姿を見てきた鈴木道雄は、「母親や、みんなの役に立ちたい」という一心で、織機の開発を決意する。格子柄を織る時にいちばん大変なのは、「杼」(ひ)と呼ばれる道具を用いて横糸を通す作業で、色を変える度にいちいち「杼」を交換しなければならなかった。鈴木道雄は研究と試作を重ね、ついに「杼」を簡単に交換できる仕組みを完成させた。1911年のことである。

鈴木道雄が願った通りに、街の女性たちからは「仕事がとても楽になった」と、感謝の言葉がたくさん届いた。この時に感じた歓びや達成感は、鈴木道雄にとってもかけがえのないものとなったはずだ。その後、生涯に100以上もの発明を残したという鈴木道雄こそが、スズキの創業者であり、のちに自動車製造へと舵を切り、スズキの運命を決定づけることとなった人物だ。そんな鈴木道雄の口癖は、「お客様が欲しがるものは、どんなことをしても応えろ」だった。母親を助けたいと願った青年の心のように、いつでも使う人のことを考えた商品開発をする、という考え方が、スズキのものづくりの原点になっているのだなとしみじみ感じられた。

スズキの原点であり象徴ともいえる「杼箱上下器搭載織機」は、現存するものはなくなっていたが、実用新案の登録書類は保管されていた。その書類をもとに、「杼箱上下器」の原理の裏付けと、博物館に展示するために復元製作した足踏織機が置かれている。また、海外にまで輸出されたという進化版の織機もあった。それは織機と聞いて想像するよりもはるかに大きく、織機上部の構造はなんだか汽車などを連想させるほどに、メカメカしい印象。この歴史館に来るまでは、織機の製造からなぜクルマの製造へと移行したのか、どうもイメージがつながらなかったが、展示を眺めているとそれがなんとなく分かる気がしてくる。ちなみにその織機は数トンもの重さがあり、動かすと音や振動が凄まじいとのこと。そのあたりのイメージも乗り物に通じている。

二代目社長、鈴木俊三が指揮をとって進めた二輪車製造

一連の織機の展示に続くのは、自転車にエンジンがついたような初期のバイクである。これは’50年代に入り、のちに二代目社長となった鈴木俊三が指揮をとって進めた新たな事業だった。この開発のきっかけとなったのは、ある風の強い日のこと、魚釣りの帰りに自転車で帰宅していた鈴木俊三は、フラフラしてなかなか前に進まない自転車を漕ぎながら思ったのだという。「こんな時に、エンジン付きの自転車があったら楽だろうなぁ」と。

こうして1951年、自転車とバイクの両方の良さを兼ね備えた乗り物として、36㏄のパワーフリー号が完成する。当時の宣伝写真には、嬉しそうにハンドルを握る女性がたくさん写っていた。「大変なことを、少しでも楽にしたい」という鈴木俊三の想いが、男性だけでなく女性の心をグッとつかんだことが伝わってくる。パワーフリー号は、初めてスズキが人々に提供した乗り物だった。今では世界に名だたる二輪車メーカーでもあるスズキの二輪車の原点にも、やっぱり「人」を思いやる心が込められていたのだなと感じられる。

そしてこの頃、二輪車の製造と同時進行で、クルマの開発もスタートしていた。こちらは鈴木道雄が「これからは自動車の時代になる」と、どうしてもやりたかった事業だった。ここからの展示は、ところどころに大掛かりな舞台や、昭和の日本の生活が垣間見えるようなセットが作ってあり、ボタンを押すとその当時の開発エピソードがスクリーンに映し出される。ちょっとしたテーマパーク感覚で見て回れるので、子供たちも楽しそうだ。

ヤナセの創業者のお墨付き「スズライト」の成功

スズキ最初のクルマとなったスズライトは、開発を始めた当初は失敗に継ぐ失敗で、研究室はみるみるエンジンシリンダーの山ができたほどだったらしい。社員から、もうやめた方がいいと申し出まであったという。それでも鈴木道雄はみんなを励まし、自らも休日返上で働いて、ようやく1954年10月、試作車の完成に漕ぎつけた。この時に、当時は至難の業と言われた「箱根登坂テスト」に挑戦し、見事達成。日本での自動車の第一人者だったヤナセの創業者にも試乗してもらい、「これはいいクルマだ。ぜひ作った方がいい」とお墨付きをもらった。これに勇気づけられた鈴木道雄は、初代スズライトを完成させて翌年10月に発売する。因みにスズライトという名前は、鈴木の「スズ」と、軽いと光という意味の「ライト」を合わせたもの。デザインはちょっと丸みのあるボディで、今みるとレトロ可愛い感じで女性にウケそうだ。室内はとてもシンプルながら、大人がゆったり乗れそうなスペースがある。エンジンは、排気量359㏄の2気筒、15・1馬力というスペックで、私にはどんな乗り味なのかまったく想像がつかない。けれどスズライトは、鈴木道雄が作りたかった「誰もが手に入れやすい小さくて実用的なクルマ」という想いが、100%注がれているクルマだ。スズライトの成功は日本初の量産型軽自動車の誕生となる。

軽自動車はそうした想いが生み出したものなのだとあらためて実感した。織機や二輪車と同じように、スズキのクルマづくりにも「人」を思いやる心があるのだった。

女性たちの心を掴んだ初代アルト

展示はこのあたりから、昔の自動車雑誌で見たことしかない稀少なモデルや、懐かしい気持ちになる絶版モデルたちが次々に現れる。40代以上の人なら、「これが初めての愛車だったよ」なんて甘酸っぱい再会もありそうだ。当時のカタログを展示したり、テレビCMも流しているので、立ち止まって見入ってしまい、ぜんぜん先に進まない。今回、案内をしてくれた広報部の方の話によると、1台のクルマやバイクの前で思い出話がはじまり、2、3時間盛り上がっていくグループもいるとか。

みんなそれぞれに、いろんなカタチで愛車と過ごした時間があり、それぞれの思い出を心の奥に大切にしまっている。クルマやバイクは工業製品でありながら、人と人との出会いや別れ、新しい街や自然との遭遇。そんな場面をもたらして、人生に深く関わってくるものだからかもしれない。

そんなことを思いながら、私がいちばん興味深く見たのは初代アルトの展示だ。47万円の全国統一価格という破格の値付けで、グレードのランク分けはナシとし、おそらく軽自動車で初めて赤いボディカラーを設定して、大ヒットした初代アルト。その誕生の背景はなんとなく知ってはいたものの、開発エピソードを映像で見るともっともっと奥が深いことがわかる。1970年代後半は、軽自動車の新車販売が伸び悩む一方、中古車販売は新車の4倍と絶好調。現場で調査をすると女性客の多くがグレード分けを嫌う傾向が強かったという。生活のためにクルマが必要だけど、新車を買う余裕はない。でもなるべくいいクルマが欲しい。そんな女性たちが増えていることに気づいたのは、織機の頃に鈴木道雄が母を助けたいと思った気持ちが、スズキのクルマづくりにずっと根付いていたからではないだろうか。

こうして2時間半にもおよぶ、とても充実したスズキ歴史館の見学は終わった。浜松駅へ向かう道すがら、すれ違う軽自動車を眺めていると、今までよりちょっと親しみを感じている自分がいた。みんな、私たちを助けるために生まれてきてくれた味方なんだ。そう思えるようになったからかもしれない。

スズキ歴史館の展示は、”歴史”を中心とした3階と、「世界のお客さまへ」と題し、”クルマ作り”に焦点を当てた2階のフロアから成り立っています。2階の展示は4つのゾーンに分かれ、開発ゾーンでは、企画・デザイン・設計・実験といったクルマの開発の過程を紹介。生産ゾーンではクルマの組み立て工程の一部を見ることが出来ます。小型カメラで工場の中を撮影した3Dシアターも臨場感たっぷりで楽しめます。その他、世界中で活躍するスズキ、また地元である遠州を知ってもらうコーナーなど、子どもから大人まで「知りつつ楽しむ」展示で飽きることがありません。家族みんなで見学に行ってみてはいかがでしょうか。

スズキ歴史館(予約制)
住所:静岡県浜松市南区増楽町1301 電話:053(440)2020
予約ホームページ:www.suzuki-rekishikan.jp
開館時間:9:00~16:30 休館日:月曜日、年末年始、夏期休暇等
入館料:無料 駐車場50台


空気で守る空気を守る シトロエン・C4カクタス

コラム:森口将之

先進技術を駆使しても環境問題は解決しない

テレビ、パソコン、洗濯機など、 自分の身のまわりには、10年以上使い続けているモノが多い。買うときにデザインから使い勝手まで、とことん悩み抜いて選んだ結果ではないかと勝手に考えている。

真にお気に入りのデザインとの出会いは、時間も手間も掛かる。でも手に入れてしまえばしめたもの。飽きが来ないし、愛着を持って接するので壊れにくくなる。

一方技術については、大幅にステップアップした時期を狙うようにしている。。たとえばテレビは地上デジタル対応になってすぐの頃の液晶タイプなので、今でも使っていられる。時代の変わり目を読んだ買い物が長持ちの秘訣と言えるかもしれない。

ではクルマにおける時代の変わり目とはいつになるのか。思い出すのは今年3月のパリでの出来事だ。連日のように深刻な光化学スモッグに見舞われ、公共交通をタダにしてまで、クルマの使用を控えるよう呼びかけるほどだった。

ここから読み取れるのは、先進技術を駆使すれば環境問題はクリアできるという従来のロジックは破綻しかけていて、抜本的な発想の転換が求められているということだ。

シトロエンのひとつの回答が
空気入り衝撃吸収パネル「エアバンプ」

6月にアムステルダムで行われた国際試乗会で乗ったシトロエンC4カクタスは、このテーマに対するいち早い回答ではないかと思った。ちなみにこのクルマのデビューは、パリがスモッグに悩まされる少し前のこと。さすがシトロエン、流れを先読みしていたのかもしれない。

そのボディは、他車のドアやショッピングカートなどの衝撃からボディサイドを守る空気入り衝撃吸収パネル「エアバンプ」が目立つ。このエアバンプとバンパー、リアパネルをボディと別色とした2トーンカラーともども、フランス生まれらしい遊び心を感じる。

でもベースとなるフォルムを眺めると、動きや勢いを強調するラインがほとんどなく、シンプルな面構成であることを発見する。このフォルムこそ、C4カクタスのコンセプトを体現したものだった。

C4を名乗ってはいるものの、カクタスのプラットフォームはひとクラス下のC3と共通だ。エンジンを1・2ℓ3気筒ガソリンの自然吸気とターボ、1・6ℓ4気筒ディーゼルターボとして、最高でも110psに留めたことが大きい。

ホイールベースはC4ハッチバックと同等まで伸ばしたから、身長170㎝の僕なら楽に前後に座れるけれど、外寸はひとまわり小柄。ベースモデルの車両乾燥重量は965㎏と、200㎏も軽くなった。

だから110psでも加速はまったく不満ないし、力を抑えたおかげでサスペンションを固めずにすんだので、シトロエンらしいまろやかな乗り心地が味わえる。C3よりもホイールベースが長い分、揺れはさらにゆったりしていて、快適を飛び越えて、ただただ快感なのだ。

従来のクルマは、速くて快適なほうが売れるという判断のもと、サイズもパワーもアップさせてきた。軽量化やエンジンの効率向上でエコになるという説明だった。でも地球は大きくはなっていないから、いつもの道が狭く感じるようになり、速度が落ちて渋滞が発生する。結果はエコとは正反対だ。

一部の人は、そんな従来型の進化に飽きていて、軽自動車で十分と考えたり、自転車に乗り換えたりしている。クルマ離れというのはつまり、時代の変わり目なのである。

近い将来、その流れにメーカーが対応し、サイズアップやスピードアップを控える動きが起こるはず。C4カクタスのユーザーは先駆者の誇りとともに、長く乗り続けられるだろう。デザインが気に入ればなおさら。遊び心にあふれたボディの内側には、今後のクルマ社会を見据えた明確な思想が詰まっているのだ。


CITROËN C4 CACTUS

Pure Tech 110S&S
欧州販売価格:€21,400 総排気量:1,199cc
車両重量:1,020kg トランスミッション:5速MT
燃料:ハイオク 最高出力:81kW(110ps)/5,500rpm
最大トルク:205Nm(20.09kgm)/1,500rpm

e=HDi 92
欧州販売価格:€20,550 総排気量:1,560cc
車両重量:1,055kg トランスミッション:6速ETG
燃料:ディーゼル 最高出力:68kW(92ps)/4,000rpm
最大トルク:230Nm(22.54kgm)/1,750rpm

*スペックは本国データによる *日本導入時期は未定



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世間から存在価値を認められようとするのか、自らの存在意義を貫いて生きるのか。
他人から見れば意味を見いだせない行動であっても、それは本人のレゾンデートルに基づいた行為なのかもしれない。

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FEATURE1 アライの生んだコロンブスの卵 ~シールドにシェードを付けるという発想

『プロシェードシステム』価格:¥6,800(税別)
問い合わせ:アライヘルメット 048(641)3825  www.arai.co.jp

  シェードを上げるとサンバイザーになり、下げればスモークシールドとして機能する。ふたつの機能を持つオプションパーツの『プロシェードシステム』がアライヘルメットから発売された。取り付けはとても簡単。フルフェイスヘルメットの既存のシールドを外して、『プロシェードシステム』に交換するだけで済んでしまう(*)。

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FEATURE02 ランエボ・フォーエバー

2代目ランエボで3ナンバーのワイドボディになったランエボV(’98年1月発売)。当時、群を抜いて速く、メカニズムも洗練されていた。名声はこの2代目で確立した。

  2.0ℓという限られた排気量内で最高のパフォーマンスを目指し、モータースポーツを通し技術力と速さに磨きをかけてきたのがランサー・エボリューションだ。WRC(世界ラリー選手権)で大暴れし、数多くの神話を築いたランエボが、年度内でSST車(*)の生産を終える。ランエボの終焉が三菱と日本の自動車界に与える影響は限りなく大きい。

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