視聴者の好みが多様化しているから、という理由で片付けられるだろうか。国内ではプロ野球中継が地上波から消えて久しいが、欧州でのF1も苦しんでいる。
埋もれちゃいけない名車たち vol.41 日産 サニー・クーペ1200GX
ツーリングカーレースの定番 日産 サニー・クーペ1200GX
今ではファミリーカーといえばミニバンと相場が決まっているけれど、その昔、小さなセダンがそのカテゴリーの定番だった時代が長いことあった。
JPSに憧れていたころ
日本で初めてF1が開催された1976年の勝者は、「ロータス77」を駆るマリオ・アンドレッティだった。実はこの頃のJPSの文字やラインは金ではなくベージュで描かれている。テレビに映った際、金色として見えるように工夫されていたのだ。当時は手塗り仕上げだったので、近くで見ると刷毛の跡が分かる。
黒い車体に金色の文字で「John Player Special」と書かれたJPSカラーを初めて見たのは1976年の「F1イン・ジャパン」だった。
定番を売るということ ネグローニ:受け継がれた定番
親から子へ、職人から職人へと引き継がれ、誰が作っても同じものができる。そんなもののことを「定番」と言うのではないか。ずっとそう思っていた。
FEATURE1 スバリストを唸らせたオイル~『レ・プレイアード・ゼロ』
スバル車といえばシンメトリカルAWDであり水平対向エンジンである。なかでも、モータースポーツの世界で鳴らした高性能ターボはスバルの真骨頂と言っていい。
My First Love マイ・ファースト・ラブ
岡崎五朗のクルマでいきたい vol.76 VWトップとの会食
この原稿を書いているのは東京モーターショーのプレスデー前夜。かつての勢いこそないものの、東京は依然として主要な国際モーターショーのひとつであり、この時期になると世界各国から多くのプレス関係者やメーカー関係者が集う。
バリー・シーンのいた時代
1983年の今くらいの季節だった。茅ヶ崎のガレージ湘南でジンプライズのウエストバッグを買ったときにもらったスズキのカレンダーに、バリー・シーンのページがあった。
F1ジャーナリスト世良耕太の知られざるF1 PLUS vol.08 本気と意地の富士
「富士だけ勝っていないので、なんとしてでも勝ちたい」と言ったのは、アウディ・スポーツの代表、W・ウルリッヒだ。
クルマとバイクを美しく乗りこなそう
FEATURE1 2190万円のナンバー付モトGPマシン~HONDA RC213V-S
今年、ホンダは衝撃的なバイクを世にはなった。2輪ロードレースの最高峰モトGPを走るワークスレーサーの「レプリカ」だ。
ULTIMATE JAPAN アルティメイト ジャパン
1989年、平成元年に日本のクルマは世界の頂点に登りつめた。日本のビンテージイヤーと呼ばれたこの年は、GT-Rが復活し、ロードスターが発売され、セルシオ=アメリカ名レクサスが世界の高級車に衝撃を与えたのだ。