このところ、イタリアの名門ブランド「MVアグスタ」の動きが活発だ。特に3気筒エンジン系(675㏄~800㏄)に顕著で、F3 675セリエ・オロを皮切りに、F3 675、ブルターレ675、F3 800、ブルターレ800、リヴァーレ800、そしてブルターレ800ドラッグスターと矢継ぎ早にラインアップを拡充。これらは、実質ここ2年ほどの出来事であり、しかもまだいくつかの発表が控えていそうだ。
MVアグスタのかつてないこうした新車攻勢と、それを一過性にさせない流麗なデザインは、現在次々と新しいユーザー層を獲得しているが、だからこそ、今に至るその歴史を知っておくにはいいタイミングだろう。
そもそもアグスタはイタリア最古の航空機メーカーであり、ジョバンニ・アグスタ伯爵によって1920年に創設された。’45年からは2輪の製造へと乗り出し、その時に社名をMVアグスタに変更。Mは「メカニカ(機械工業)」、Vは工場のあった地名「ヴェルゲーラ」に由来している。経営の指揮を執ったのは、ジョバンニの息子であるドメニコだ。ドメニコは熱狂的なモータースポーツ好きでもあったため、自社製品のPRのためレースへ打って出ることを決意。やがて、世界グランプリの開始を翌年に控えた’48年に、そのプレマッチとも呼べるイタリアGPで優勝を果たすと、後は堰を切ったようにレーシングマシンの開発へと邁進。’52年には125㏄クラスで最初の世界タイトルを手にしている。
以来、’76年の活動休止までジョン・サーティース、ルイジ・タベリ、ゲーリー・ホッキング、マイク・ヘイルウッド、フィル・リードらがMVアグスタのマシンを駆って、あらゆるクラスを制してきた。中でも、白眉なのがジャコモ・アゴスチーニだろう。アゴスチーニは’68年から’72年の間、5年連続で350㏄と500㏄の両クラスのタイトルを獲得するなど、まさに前人未到の記録を達成し、MVアグスタ黄金期を支えたのである。これらの積み重ねの結果、MVアグスタはグランプリ通算270勝、タイトル獲得数37回、国際格式のレースをすべて含めると、実に3027勝という途方もない数字を残している。
やがて、ドメニコの死や日本車勢の台頭など、時流の変化の中で’77年にブランドそのものを凍結。その伝説的な強さだけを残して、表舞台から消えたのである。
しかしそれから20年後。’97年のミラノショーで誰も想像し得なかったモデルがヴェールを脱いだ。それがMVアグスタ復活の狼煙になったF4セリエ・オロだ。当時、カジバの総帥を務めていたクラウディオ・カスティリオーニと同デザイン部門のマッシモ・タンブリーニが奔走し、復活のための全権を入手。見事にそれをカタチに変えた瞬間だった。残念ながら’11年にカスティリオーニが、今年4月にはタンブリーニがそれぞれ永眠に就いたが、最新モデルにもその美意識が引き継がれているのは明らか。かつての栄光と復活を礎にし、新生MVアグスタの第二章が今、始まっているのである。