シルエットフォーミュラ ポルシェ935 グループ5

 日本中がスーパーカーブームに沸いた1970年代中盤。世界中の名立たるスポーツカーレースでは、白を基調としたマルティニ・カラーに身を包んだポルシェのレーシングモデルたちが、この世の春を謳歌していた。

 特に興隆を誇ったグループ5選手権を席巻したポルシェ935一族の姿は、〝ターボ〟という甘美な響きとともに、スーパーカーに憧れた当時の少年たちの心に深く焼き付いているはずだ。

 そんな憧れの935ターボを見るだけに留まらす、実際に乗せてもらえると言われたら、誰もが即答でYesと答えるだろう。無論、僕自身も例外ではなかった。

 憧れの935に触れられたのは、さる10月8日にドイツ・ホッケンハイムリンクで行われた「Meet the Heroes of Le Mans」というポルシェAG主催のプログラムでのことだ。これは来年のル・マン24時間レース復帰に向けたメディア向けのキックオフイベントで、1970年のル・マンで初の総合優勝を果たした917Kから’98年のウィナー、911GT1まで歴代のマシンと、ル・マンを制したレジェンド・ドライバーたちを集めて開催された。

 そのイベントのハイライトが、935への同乗試乗だった。ここで同乗走行と聞いて見くびってはいけない。シュトゥットガルトのポルシェ・ミュージアムは、数ある自動車博物館の中でも比較的オープンな姿勢を持つ施設のひとつとして知られているが、彼らが貴重なレーシングモデルをこういう形で開放するのは非常に珍しいことだからだ。

 今回会場に運び込まれた935は、シャシーナンバー935|003を持つ935/77と呼ばれるモデル。3台製作された935/77の中の最初の1台で、現在は’77年のル・マンに出場したゼッケン41(シュトメレン/シュルティ組)のカラーリングに彩られているが、実際にはボブ・ウォレックのドライブでニュルブルクリンク200マイルに出場し、2位入賞を果たした個体である。

 エンジンは630psを発揮すると言われている2857㏄水平対向6気筒SOHCツインターボ。またこの年から採用された、リアウイングが一体となったリアカウルが印象的なモデルだ。

 新しい991を見慣れた目からすると、935は派手なオーバーフェンダーをもっていながらも、意外と小さく見える。しかし、その姿は子供の頃に穴が開く程眺めたスーパーカー本に載っていた姿そのもの。「ああ、目の前に本物がある!」そう思うだけで、乗り込む前から興奮は最高潮に達してくる。

 いよいよ試乗の順番がきた。ドライブを担当してくれるのは、来年のル・マンでLMP1に乗ることが決定しているワークスドライバーのティモ・ベルンハルト。2006年からの4連勝を含む、ニュルブルクリンク24時間レース通算5勝を誇る911遣いだ。

 ロールケージをまたぎつつ、試乗用に取り付けられたバケットシートに乗り込もうとしたときにまず驚いたのが、その作り込みの良さだった。各部に軽量化が施されたドアは、市販の911と同じようにピシャリと、そして確実に閉まる。また室内を見回しても、メーターこそレース用に換えられているものの、ダッシュボードの基本造形は市販の911そのまま。レストアが施されているとはいえ、各部の溶接跡もリンケージなどの取り回しも実に整然としていて美しい。

 さらに驚いたのは、キーを捻ると一発でエンジンが目覚め、安定したアイドリングを奏でたことだ。僕が乗る前に何度もストップ&ゴーを繰り返してきたにも関わらず、街乗りの911と同じような気楽さで始動するのである。ある意味で耐久王と呼ばれるレーシング・ポルシェの底力を見た気がした。

 ティモは僕にサムアップすると、猛然とピットロードを加速していった。そしてコースに出るや否や、フルスロットル。レブカウンターの針は7000回転まで跳ね上がり、凄まじい縦Gとともにドンドン加速して行く。ホッケンハイムのコース自体、F1中継のオンボード映像で見慣れたつもりでいたが、実際に乗るのとでは迫力が違う。ティモは935の素直な挙動が分かるように、そんなコースを目一杯に使って走ってくれた。当時の本で「’77年から小径のツインターボを採用したことでスロットルレスポンスが向上した」という記述を読んだことがあったが、確かにこの935のエンジンは想像していたような「ドッカンターボ」ではなく実にスムーズなレスポンスだったことは、新鮮な発見だった。

 時間の都合でアウトラップのみという非常に短い同乗体験ではあったものの、十分以上に濃密な935体験をすることができた。これまでインタビューしてきた数多くのドライバーが証言してきたように、ポルシェの真の強さはパワーや派手な新機軸にあるのではない。この圧倒的なまでの信頼性と扱い易さにあるのだ。そのことを体感できたことだけでも、遥々ホッケンハイムにまで来た甲斐があったというものだ。

文・藤原よしお 写真・ポルシェ ジャパン

定期購読はFujisanで