スズキ ジムニー・シエラを納車した。
長野県飯山市にある戸狩温泉スキー場を買ったこの夏、山を駆け上るハードなパートナーならばジムニー、というストレートなクルマ選びで買ったのだ。
使い方はこんなシーンだ。両脇から襲いかかるかのようなツル草で、獣道となってしまった未舗装路の砂を、前日まで続いた豪雨が洗い流し、大きな石を露出させている。他に舗装されている道もあるのだが、その道では施設や再生構想をチェックすることができない。私が戸狩温泉スキー場にいる日は、この岩ゴロゴロの獣道を走り回るゆえに、必要で買ったジムニーだ。しかし納車説明が終わり、ドライバーシートに座りシフトを入れたが、何やら私の息が浅く、その時自分の気持ちに気がついた。とうとうジムニー買っちゃったよ、俺!
小学生の時、実家の近くにジムニーを所有されているご家庭があり、小さく四角い4駆を立ち止まって見ていたのが、私とジムニーとの出会いだ。そんな少年時代から惹かれていたのだ。23カ国82人の国際的自動車ジャーナリストにより、その年の1台が選考されるワールド・カー・オブ・ザ・イヤーで、アーバン・カー・オブ・ザ・イヤーを、日本のクルマでは初めて受賞したジムニーの伝統的なデザインは、原始的だが非常に洗練されている。ホープスター・ON360に由来するジムニーは、私が18歳の時にアメリカで乗っていたAMC時代のジープと同じ匂いがある。このAMC時代ジープから私の4駆ライフは始まり、このクルマと共にアメリカ生活を謳歌した。いい思い出しかない。また、ランドローバーの先代ディフェンダーも出所や進化の方向性は同じであり、戦時中に活躍した四角いラダーフレームの4輪駆動車が原型だ。無類のこの手のクルマが好きな私が、タイミングをずっと測っていたことは理解してもらえるだろう。ジムニーは3代目のJB-23型で丸くなってしまい、そこで一度は興味を失っていたが、4代目のJB-64型から四角いデザインが復活したことで、再びジムニーが私の胸に灯ったのだった。
そんな初めてのジムニーには、私はマニュアル・ミッションを選んだ。これは後に書くが大当たりの選択だった。そして、マッドゴールドの16インチホイールと、BFグッドリッチのビッグブロックタイヤを装備、これはマストだ。その次に大切な、このホイールとタイヤ選択とバランスを取るために、車高を10ミリ上げる作業をお願いした。これも大満足だ。ボディカラーはシフォンアイボリーメタリック。生きるものに厳しい乾燥した砂漠を思わせる色だが、戸狩の青々と茂った樹木の、深い緑とのコントラストが好相性で、山に入って見る度に一人悦に入っている。
走り始めて、やはりミッションにして良かった、と思った。シフトは私好みのしっかりと入った感触があり、シフトアップ、ダウンともに回転数をきっちりと合わせれば、シフトはゲートに吸い込まれていく。そしてギアが噛み合った時のフィーリングは、現代マニュアル車を感じることができる喜びの一つだ。性能面は、車重1,070㎏に対して100馬力なので、高速道路をかっ飛ばす事もないであろう用途で考えれば、余力がある動力性能だ。どちらかといえば、高回転で良く回るエンジンであるから、未舗装の山道は勿論のこと、舗装されているサービスロードでも、勾配があれば1速をキープする必要がある。スズキが持つ最大排気量のエンジンとはいえ、オフロード用途を考えると、もう少しボトムのトルクが欲しいと個人的には感じた。ショートホイールベースのシャーシは視界もよく、タイヤとの距離が近いことは、4輪の接地感を直接ドライバーに伝えてくれる。車軸と舵軸をタイヤにかかるトラクションと相談しながら、私はスキー場のリフト終点地点までジムニーと登る。車体が右や左や前方へと傾ぐ中で、非常に読み取りやすいダッシュボードは、あえてボルト留めをデザインとして採用し、必要最低限の機能だが非常にシンプルでミニマイズされている。いいクルマだが、小型車登録のサイズとなったシエラは乗り出し300万円を少し越える。黄色いナンバープレートであるXG型の最安仕様から、ちょうど倍程度の価格になるが、コストパフォーマンスを求めるクルマではないかもしれない。同じ価格帯で同じような性能を求めようとすると、ジムニーの圧倒的なグッドバランスに考えるのをやめてしまうからだ。
こうして実用で買ったジムニーだが、長野県戸狩でリゾートを手がけ、飯山市、戸狩の皆さんと手を取って、少しずつ進んでいる私にピッタリ合っている。今は傷のないジムニーだが、何百回と戸狩の山道を登ることでついていく傷は、戸狩と私の絆が深まっていく証となるだろう。その時、その時一緒にいた人たちと、その傷を撫でながら、思い描いたスキー場の再生が叶う日まで、このジムニーとたくさんの崖を登ろうじゃないか。
Hiroshi Hamaguchi