濱口弘のクルマ哲学 Vol.42 アストンマーティンと似た男

文・濱口 弘/写真・シャシン株式会社

私の目の前に座る、物静かで、自己主張が少なく、物腰の柔らかい男

 クルマで言ったらアストンマーティンだな、と2021年当時思ったのが昨日のようだが、3年経ってもその印象は変わらない。知り合った翌年2022年からGTWC Japan Cup (GTワールドチャレンジ・ジャパンカップ)に、彼とアマチュアドライバー2人で組むアマチュアクラスに出場している。私のGT3レースキャリアにおいては、アジアでもヨーロッパでもメーカーのワークスドライバーしかパートナーに選んで来なかったが、アマチュア2人で組んで出場というのは、当時レース関係者からも驚かれ、実は自分でも驚いていた。しかし、説明のつけられなかったコンビも3年になると、その理由がわかるようになる。今、私と彼はお互いでなければ挑めない場所を目指して、共に歩いている。

 その彼が新しく迎えたクルマは、アストンマーティンDB12。やはり新しいクルマが納車となると、友人のクルマでも騒いでしまう。昨年12月号にこの連載でも記述したのだが、アストンマーティン社は、新オーナーであるローレンス・ストロールの中期戦略どおりに改革は進み、彼と彼の資本はプロダクトへ次々に反映されていった。そしてこのDB12からは、まさに「ストロールのアストンマーティン」として期待を背負いローンチされた。

 そうはわかっていても、いざDB12に乗ると、あれ? 真っ直ぐ走る! と、過去自分が所有していた、アストンマーティンのスポーツクーペをベースに基準値を設定してしまっていて、不意を打たれた。DB11やヴァンキッシュまでのアストンの魅力にも通じるのだが、フル加速時のドライブシャフトやシャーシの捩れによるトラクションロス、その果てドライバーに与える快感と恐怖の入り混じったフィールは、全くなくなっていた。DB7のプラットフォームから完全に抜け出せたのか、同社の技術的解説からは正直わからない。ただ、そのインフォシステム一式は、魅力と引き換えに美しい淑女へと様変わりしていた。

 メルセデス63の4L V8エンジンをそのまま使用していた一世代前のヴァンテージだが、このDB12からはアストンマーティン独自のチューニングが施され、テイストはメルセデスのそれと大きく変わっている。メルセデスAMGの湿式多板クラッチを使用したスピードシフトは採用せず、ZF製のトルクコンバーター式オートマチックになり、シフト感覚はかなりマイルドになった。ここの捉え方には好き嫌いが分かれそうだ。

 ノーマル、スポーツ、スポーツプラスと3段階で選べる走行モードは、それぞれシーンに合わせてバランス良くマネージメントされている。ライバルになるであろうベントレーコンチネンタルシリーズは、ノーマル・コンフォートモードとスポーツモードの間がなく、前者はソフト過ぎるのに、後者は硬すぎるきらいがある。DB12は、どのモードも、ドライバーが求めているバランスを持っており、車体の大きさを感じさせない機敏な動きは、ドライバーを驚かす。ノーマルモードのサスペンション設定のままにすると、フロントリフトは多少感じるものの、スポーツプラスモードにすれば、ポルシェのパナメーラに似た剛性感を装着し、捩れ剛性増に比例して、リアタイヤが確実にトルクを地面に伝えていく。そして一瞬にして周りの景色はボヤけ、法定速度制限に到達する。フワフワとした乗り味で、海の上のクルーザーを意識させられた過去のDBシリーズとは違い、一般道での動きの範囲ならば、ポルシェ911シリーズのような一体感と俊敏さを持つイメージだ。全てが新しく、アップデートされたハードウェアは、一気に同じセグメントのライバルたちが意識せざるを得ない存在になっていた。

 大刷新ばかりではない。アストンマーティンのDNAであるデザインの洒脱さには、お金を出しても口は出さないバランス感覚も好ましい。ヘッドライトやテールライト、車幅灯などのライト類のディテール処理は流石だ。立体感と曲線美は、市場にある同クラス車両カテゴリーのなかでは群を抜き、内装デザインやアポストリーの処理も、近年のフェラーリに肩を並べる域まで達している。トランスミッションがトルクコンバーター式でなく、デュアルクラッチであったなら、私は即オーダーを入れたであろう。この意見はネガティブな意見ではなく、それくらいしか購買を削ぐ理由がなかった、と取って欲しい。

 フェラーリやロールスロイスのような強烈な主張はなく、静かにその存在感を主張し、その実力たるや計り知れない次元のスペックを備えている近代アストンマーティン。これはスタートアップ企業の土台であるシステムを構築し、誰もが知る会社にまで成長させ、業界で確固たる地位を確立した彼と重なる。実力も内に秘めた自信も、未来への期待値もDB12と彼は同じで、そんな彼とだからこそ、3年も一緒に目指す高みへ、登っては、またさらなる高みを目指せられている。私のレースパートナーの仕事ぶりと彼の選ぶクルマは、そう、同じ評価なのだ。

Hiroshi Hamaguchi

1976年生まれ。起業家として活動する傍ら32才でレースの世界へ。ポルシェ・カレラカップジャパン、スーパーGT、そしてGT3シリーズとアジアからヨーロッパへと活躍の場を広げ、2019年はヨーロッパのGT3最高峰レースでシリーズチャンピオンを獲得。FIA主催のレースでも世界一に輝く。投資とM&Aコンサルティング業務を行う濱口アセットマネジメント株式会社の代表取締役でもある。

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