この夏、私の大切な友人がレースを始める。
昨夏に軽自動車の耐久レースに私と一緒に出場したのをきっかけに、その時初めてサーキットを走ったにも関わらず、友人はレースに何かを見つけたのだ。
常々、私は友人知人、いや、クルマが好きと聞くと知人の知人にまで声をかけ、もっと好きになってくれるようにサーキットやオフロードへ誘ってきた。その数は100人はくだらないだろう。もう一段ギアを上げてクルマを好きになって欲しくて、精力的に働きかけてきた。そんな私も多くの自動車メーカーのワークスドライバーからドライビングやメンタルコントロールを伝授され、マニュファクチャラーとの交渉というレースの総合力を作る裏方もレーシングチーム運営から学び、今日に至っているのだ。そして32歳から始めたレース人生も50歳が近づき、終わりを考えるようになってきた頃から、多くのクルマを愛する人たちが私に教えてくれたこの無形文化を、今度は私が誰かに受け渡したいと思うようになっていた。
そんな折にこの友人と出会い、数日を共に過ごしたのち、すでにレースへの意思を固めていた友人へこれから先にやってくる楽しみと不安、高揚と失望のアップダウンが続くレース街道を、無駄がなく最短ルートを走り抜けられるよう、私が全力で応援すると決めたのだ。
友人がレースに出るにあたり、昨年秋から車輌とレースカテゴリーの選定を始めた。一番楽しい時間だ。そこで2018年式ポルシェGT3カップカーを薦め、友人はすぐに購入した。ポルシェ・カレラカップカーは私のレースの原点であるだけではなく、GTレースの基本全てを学ばせてくれるクルマだと思っている。フェラーリ・チャレンジやランボルギーニ・スーパートロフェオなど速度域の高いワンメークシリーズはあるが、現在のGTトップカテゴリーであるGT3シリーズで活躍しているジェントルマン・ドライバーは、カレラカップの優秀成績者が殆どである。フェラーリ・チャレンジやスーパートロフェオ出身で、GT3カテゴリーで好成績を収めているドライバーを私は見たことがない。これは、車両の特性なのか、出場している人の属性なのか。後者は私には判断ができないが、前者が間違っていないことは明確だ。
私が出場していた2008年のカレラカップは、シーケンシャル・ギアボックスでスリーペダル、トラクションコントロールはおろかABSも付いていない997世代だ。フロントタイヤに荷重をドライバーがうまく乗せないとRR形式のシャーシはクルマの向きを変えてくれなかった。アクセルやブレーキのコントロールも400馬力を超えるパワーに1トン少々の車重である故、繊細なフットワークが要求され、荷重移動とアクセル、ブレーキワークという基本的な動きを学ぶには最適だった。友人が購入した991世代カップカーはパドルシフトになっている事と、日本仕様のみABSが付いている以外の基本構造は変わらない。15年という歳月が経っているにも関わらず、乗ってみるとドライバーに伝わってくる感覚は何も変わっていなかった。大きなダウンフォースを持つクルマではないから、物理に忠実に、タイヤやシャーシの限界に沿ってクルマと対話することが大切だ。ポルシェはいつも期待を裏切らない。ナンバー付きの量産車であれ、レーシングカーであれ、ポルシェはポルシェの軸である、ドライバーとクルマのコミュニケーションにブレがない。3.8リッター、フラット6自然吸気のエンジンは、アクセルとドライブシャフトの間に何も邪魔がはいらないようなダイレクトさがあり、ラグという言葉は無縁だ。ステアリングは軽いが、フロントタイヤに荷重を掛ければ、タイヤが潰れているというメッセージがクルマから伝わり、フィーリングは重くなる。エンジン搭載位置がナンバー付きの車両より特段低いわけではないから、旋回時に重心の低さを感じることはない。しかし第6世代であるポルシェが造るワンメーク・レーシングカーは、車重と足回りとのバランスを同社が研究し尽くした結果なのか、全てがニュートラルでリニアであり、まるで自転車に乗っているかのように自分の手足とシンクロする。
友人はシミュレーターに、カートに、サーキット走行、ライトフォーミュラでの練習と、私との日々の中で必要と思ったことを、48時間以内にやる熱量でレースの目標に向き合っている。その目標とは、私をレースで煽ることだと言う。私が現役のうちに彼と同じレースに出ることはあるのだろうか、と笑って聞いていたが、しばし笑顔を消した。私だってサーキット走行を一度もしたことが無かった32歳の時、まさか世界で最も有名なレースであるルマン24時間のグリッドに、この雑誌が出る今ころ立っているとは思ってもいなかったはずだ。
未来は本当に予測不可能だ。友人と同じグリッドに並ぶ日を思い、私はまた笑顔を戻した。
Hiroshi Hamaguchi