レトロニムという言葉をご存知だろうか。
新しいものの登場によって、以前からあったものに名前がつけられ、再命名化されることだ。例えば、自動で適時適切なギアを選び、クラッチがないオートマチックトランスミッションが出てくるまでは、マニュアルトランスミッションという名前はなかったように。
エヴォーラの後続であるエミーラに、マニュアル設定があると知り、私は飛びついた。大きなメーカーだと切り捨てられるマニュアル車が、ロータスでは現行で販売されており、このメーカーはクルマで遊ぶ楽しさを最後まで残してくれると確信していた。そして広報車を借りる数日前から、シフトノブをゲートに入れていくイメージに指先が疼いていた。
ロータス・エミーラ・ファーストエディション。軽量でコンパクト、6気筒400馬力のミッドシップレイアウト、それに6速マニュアルのスリーペダル・トランスミッション。古典的なボディラインを基調にしているものの、同社のフラッグシップになる2000馬力のEVカー、エヴァイヤのデザインテイストが随所に散りばめられているボディデザインも、私は好意的に見ていた。
内装はシンプル。軽量化とコスト減、この2点が行き着いたミニマルデザインだ。必要最低限のアイテムを並べ、一切の無駄は省かれているエミーラのインテリアは、合皮とアルカンターラ調の素材を組み合わせ高級感を演出している。
最初に目に入る太いステアリングホイールは、1秒でも早く運転したいと私をエモーショナルにさせた。ステアリングのデザインや機能性を私は大切にしているが、それは視界から外れることがないからだ。スポーツカーのステアリングは90年代前半までのMOMOやナルディが代表的ではあるが、エアバッグや各種コントロールスイッチが内蔵されていない時代から、形状や太さ、手が触れる部分の素材やその仕上げなど、役目も見た目も最も大きく変化したパーツの1つだ。
ファーストエディションは、3・5リッターV6エンジン。エヴォーラでもお馴染みのトヨタ製エンジンだ。乾いた排気音とレーシングカーのように吹け上がりの軽いエンジンフィーリング、コツコツとゲートに吸い込まれるシフトを、1速に入れるまでテンションは上がりっぱなし。しかしクルマが動き出すと、私が思うロータスではないことに直ぐに気づいた。エリーゼやエヴォーラGTのようにスパルタンな動きではなく機能的な動きが全面的に押し出され、そこでエモーショナルになっている自分を抑えるように訴えてきた。これはポルシェの911シリーズや、アストンマーチンのヴァンテージのセグメントを意識していると肯定的に捉え、グランドツアラーとして自分のマインドをリセットしてみた。そうすると長距離移動のツールとして、マニュアルミッションの楽しさとマイルドなエンジンフィーリングのコンビネーションは、疲れすぎないちょうどよい設定にフィットした。
意図的なステアリングのクリックレシオは、峠道では楽しいであろう。今回は撮影も同時に行うので、プライベートサーキットのマガリガワを走行したため、エミーラが活きるであろう峠道は試走できなかった。 サーキットではフロントの初期レスポンスは高いもののリアが出てくることはなく、コーナー入口付近ではフロントがクイックに入ってくる。但しそのままの姿勢でコーナーを通過すると、大半のクルマはエイペックス付近でリアが出る。しかし、エミーラはエイペックスから出口にかけては、プッシュアンダーステア傾向が強く出てくる印象で、セッティングというよりは、ジオメトリーからアンダーステア方向に振っていると認識した。また、一部路面が濡れていたので撮影用にテールを流そうとトライするも、TCをオフにしても完全オフにはならず、アクセルオンで意図的にリアを出すことも、侵入をオーバースピードで入りリアを出すことも難しかった。
エミーラはグランドツアラー寄りな位置づけ、と考えれば、サーキットでのクルマの挙動も納得できる。ラゲッジスペースも整っているのだから、毎日の通勤を楽しみたい、峠を気持ちよく走りたい、高速ツーリングを楽しみたいというドライバーには最高だ。コンマ1秒を競って攻め走るクルマではないけれど、デザインも乗り心地も納得できる上に、マニュアル車の楽しみもある。欲張らず、方向性を絞ったクルマ作りがロータス普遍の精神なのだから。
そのロータスもEV化される。さらにそのEVがスポーツカーではなく、SUVであったとなると、ロータスの歴史を閉じた、といっても同義な衝撃を受けていた。今までのスタッフ全員の顔が見える、温かみのある販売スタイルも、きっと変わっていってしまうだろう。
気がつくとたくさんのレトロニムが私たちの周りを取り巻いていた。外燃機構だって内燃機構からの再命名化だし、手動、紙媒体もそうだ。こうしてレトロニムされた言葉たちを並べると、役目を終えて消えていく感傷と、便利と引き換えに失うものへの愛着を強く感じる。朝から言いようのない寂しさを抱えていたが、ロータスの新しい明日も、ロータスを愛する人たちが紡いでいってくれる、と、このエミーラが教えてくれた気がした。
Hiroshi Hamaguchi