もういちど、リターン

30代くらいまでは当たり前にやっていたことを、OVER50になったいま、もういちどやるとなると、いろいろなことを乗り越えなければならない。

体力的な自信のなさをはじめとして、若い頃より重くなった社会的責任や、経済的な先行きの不安だったりと様々だ。そして一番乗り越えるのが難しいのは、経験が増えたことで臆病になってしまった自分自身と向き合うことだろう。しかし健康年齢を逆算して残された時間を考えてみてほしい。今なら間に合うこともあるはずだ。「もういちど、」という言葉には、切なさや、少しだけ情けなさを感じてしまうが、諦めない粘り強さと真の力強さを感じることもできる。


ミッドライフ・クライシス

文・伊丹孝裕

 「もういちど、リターン」なんて言われても、どうやったって、あの頃には戻れない。戻れないどころか、周りの同年代はどんどん淘汰されたり、死んじゃったりして、だから否が応でも行く末のことを意識するようになる。なにごともなければ、今年の冬で53歳を迎え、石原裕次郎や美空ひばり、マイケル・ジャクソンが見られなかった世界を歩んでいく。スーパースターが見てきたもの、触れてきたものと比較しても意味はないし、想像もできないけれど、ぐらぐらといかにも頼りない、でも自分なりに築いてきた踏み石の上でどうにか立っている。

 リターンのことを考える。それはつまり、残された時間を考えることと、ほとんど対になっている。自身の現在地から周囲を見渡した時に、なにか違う。こんなはずじゃなかった。他にやりたいことがあっただろ。このままでいいのか……と、多かれ少なかれ誰もが立ち止まる。さいなまれる。中年になって訪れる心の拠りどころの無さ、いわゆるミッドライフ・クライシスの真っただ中に落ちていることを思い知らされるのだ。なんというか、人生の答え合わせが目の前に迫り、どうしようもない焦りが沸き起こってくる感覚がとめどない。

 だからこそ、あの頃の夢を。そんな風に考え、かつて憧れたバイクやクルマを手に入れたり、英会話を習ったり、田舎暮らしを始めてみたり。そうやって、きちんと手の届く範囲に心の安寧を覚えられる人は幸せだが、多くの場合、そうはいかない。中年の危機の主成分は嫉妬で構成されているから、他人の暮らしっぷりをひたすら羨み、妬み、大体最後は「なにがリターンだ。いいよな、金がある奴は」と吐き捨てたり、ため息をついたり。

 以前、老後の生活に2,000万円必要だと話題になった時、「やばい、そんなに貯められる気がしない」という漠然とした焦燥を感じた。それからしばし年月が経ち、だからといってなんの対策もしてこなかったのに、「待って、2,000万円じゃ全然足りなくない?」と、ただただ不安を上乗せして今に至っている。 他でもない自分である。

 時間があまりないことはわかっているし、なにかやらなきゃいけないこともわかっている。なのに、やらない。忙しいし、面倒だし、大変だし、リスクは背負いたくないし、世間体が気になるし、なによりお金がないし。そうやってやらない。ダイエットは無駄に食べないことと、適度な運動を続けるに尽きる。それしかない。なのに、「一日3分で」とか「テレビを観ながら」に期待し、挙句、明日から、来月から、今年こそは……と先送りするのと似ている。ダイエットのHOW TOが次から次に発明され、後を絶たないのは決定打がないからに他ならず、地道にやるより他はない。

 なんの話? そう、リターンである。意気込んだところで、平均的な中年ができることは、ごく限られている。絞り出せる時間と手の内にある予算の中でなにかを取り戻そうとした時、真っ先に思いつくのは、バイクでキャンプ旅に出かけることとか。ミッドライフ・クライシスを患った中年が右往左往しているところに、タイミングよく差し出されたハンターカブは、これ以上ない即効薬として機能した。本体価格の44万円さえ工面できれば、保険はファミリー特約でカバーできるから出費は抑えられ、44万円であることをオブラートにさえ包めれば、攻撃性のないデザインゆえ、家族の理解も得やすい。近年稀にみるヒットは、そういう中年に支えられた。

 そこにも踏み込めなかった中年は、「125ccに44万円なんてあり得ない」、「俺たちが若かった頃は」、「流行りものなんか恥ずかしくって」と、またやらない理由を探した。自我だけがパンパンに膨れ上がり、ひと角の何者かになったつもりの中年ほど、ややこしく、面倒くさく、周囲をげんなりさせる人はいない。

 つまるところ、リターン上等である。リターンしたところで、昔のようにうまく操れないし、夜を徹して走り続けられないし、まして冒険なんて難しい。なにもかもがお手軽で、用意周到に保険を掛けた「ごっこ」だったとしても、それで全然よい。自分なりに一所懸命で、自分なりに無邪気に遊んでいられれば、きっと心穏やかに過ごせるはず。上の世代が楽しそうなら、下の世代はなんとなく希望を感じられるに違いない。

 それでもし、もしも若い誰かになにかを求められたなら、ちょっとだけ年上面して、ちょっとだけ気の利いた言葉を返してあげられれば最高だ。五十肩の痛みを日々鎮痛剤で抑えつつ、いつか先輩風を吹かせられる日を楽しみに生きている。

伊丹孝裕/Takahiro Itami

1971年生まれ。二輪専門誌『Clubman』の編集長を務めた後、憧れていたマン島TTに出場するため’07年にフリーライターとして独立。地方選手権を経て国際A級ライセンスを取得後、2010年にマン島TTを完走。2012年~2015年の鈴鹿8耐や2013、’14、’16年のパイクスピークにも参戦した。2020年に紙媒体の仕事を辞めると宣言したが本誌のみ継続している。

もういちど、ハマショー

文・松崎裕子

 東京から富山にUターンしてきてクルマの中で音楽を聴くことが増えた。いや、増えたというより東京にいるときの私は、ほとんどクルマの中で音楽を聴くことはなかった。それはバイクに乗っているときも同じで、インカムをつけて音楽を聴きながら走るなんてことは最近までやったことすらなかった。「音楽がない方が運転に集中できるし、エンジン音を聞きながら走るのが好き」主な理由はそんなところだったと思うけれど、そこまでして聴きたい音楽が無かったのだ。しかし富山に戻ってからの約1年半、私はドライブミュージックの楽しさに目覚めた。

 ドライブミュージックを聴き出した理由は、“ハマショー”の歌にもういちどハマったからだ。私は10代の後半にハマショーこと浜田省吾を知り『J・BOY』や『愛の世代の前に』など好きな曲がいくつかあった。でも高校を卒業するのと同時に東京に出て行き、色々なカルチャーに触れるうちにハマショーは聴かなくなった。だけど50代も半ばになり、恋愛や仕事、人生においてさまざまな経験をしたせいか共感できる部分が多く、自分自身やこれまで出会った人たちと重ね合わせて、彼の音楽にしみじみしてしまうことが増えたのだ。加えてハマショーの歌の世界にはクルマやバイクがたびたび登場するので、それもまた私の人生と近しく感じて、再び聴くようになった理由のひとつでもある。

 前述した「音楽がない方が運転に集中できる、エンジン音を聞きながら走るのが好き」については、こだわりの愛車でドライブを楽しんでいるときの話だ。普段から仕事で乗っている軽自動車では「運転=単なる移動」でしかなく、クルマそのものを楽しむことができなかった。仕事で片道50キロほどの離れた町に行くときは、いつも遠くて退屈だなあと感じていた。その往復100キロの道のりが週に2、3日続くようになった頃、車内で音楽でも聴いてみるかと、思い立ってハマショーをかけてみたのだ。そうすると、退屈だった車内が自分だけのカラオケルームになった。ハマショーのおかげでつまらないと感じていた長時間の移動も楽しい時間になっていったのである。

 そうなってくると、もっとハマショーを聴きたい! 生でライブを見たい! と思い始め、昨年は伝説の野外ライブを映像化した『A PLACE IN THE SUN at 渚園 Summer of 1988』を観に映画館へ。今年の年明け早々には、さいたまスーパーアリーナでのライブにも足を運んだ。ライブのMCではハマショー自身も年齢のことを話題に取り上げていたけど、いやいやその歌声とパフォーマンスはとても71歳とは思えないほどカッコよくてセクシーだった。

 さて、私よりハマショーの熱心なファンである本誌編集長の神尾さんから、今回の特集のテーマは『もういちど、リターン』だと伝えられた。確かにハマショーを再び聴き始めたのもそのひとつだけど、最近の私自身の大きなリターンは、冒頭でも書いたが生まれ育った富山へのUターンだ。そのことは前々号でも取り上げていただいたのだけど、長らく務めた編集ライターという仕事に区切りを付け、今は富山県朝日町の地域おこし協力隊として農業に従事している。ただライター業から離れたとはいえ、ありがたいことに今回のように原稿の依頼をいただくこともあって、こうしていまPCのキーボードを叩いている。部屋の窓からは真っ白な雪に覆われた雄大な立山連峰が見える。若い頃には気づけなかったけれど、今はこの景色が大好きだ。

 ちなみに、ハマショーの曲の歌詞の中で「もういちど」という言葉が多用されていて、それに続く意味合いは、切なかったり情けなかったりする男性の心情を表すものが多いのだけど、そういう歌詞も今は決して嫌いじゃない。これもまた50代という年齢になったからこそ思えることなのかもしれない。

松崎祐子/Yuko Matsuzaki

1968年生まれ。バイク雑誌「MOTO NAVI」や自動車雑誌「NAVI CARS」の編集部に約10年間在籍。その後、国内外の二輪四輪アパレルをセレクトする「Motorimoda」でPRを担当。現在は富山を拠点に農業に従事しつつ、バイク好きの女性のためのfacebookグループを運営。年に数回バイクで集うイベントを開催している。

「もういちど、リターン」続きは本誌で

“もういちど”の言葉を胸に、僕はまた歩き出す。 河西啓介
もういちど、ハマショー 松崎祐子
夕暮れに落とし前をつける 夢野忠則
ミッドライフ・クライシス 伊丹孝裕


編集前記 Vol.14 ON THE ROAD OVER50

文・神尾 成

@SAITAMA SUPER ARENA

 今月号の特集で松崎祐子さんに、ハマショーこと浜田省吾さんの音楽について執筆してもらった。その文中で、「私よりハマショーの熱心なファンである本誌編集長の神尾さん」(P9)と、はっきり書かれてしまったので、そのことについて触れておこうと思う。好きな音楽というのはクルマやバイクの好みの傾向よりも、ひとの心の内を表してしまうだけに今回は少し開き直ってみたい。

 僕が浜田省吾さんの音楽に出会ったのは、高校2年の秋のことだった。軽音楽部の部室で「これは神尾が絶対に気に入るはずだ」とカセットテープに録音された『Home Bound』と発売されたばかりの『愛の世代の前に』というアルバムを友人に聴かせてもらったのだ。その時のことはいまもはっきりと覚えていて、まさに全身に電流が走った感覚があった。歌詞と同じように楽器店に飾ってあったギターに憧れを抱き、退屈で死にそうな授業中は窓の外ばかり見ていたからだ。まるで自分のために作られた曲のように思えて心が救われた。その日から何度も繰り返し再生したせいで、カセットテープがすぐに伸びてしまった記憶がある。怒りと矛盾と情熱が空回りしていた17歳になる直前の高校生にとって、それは衝撃的な出来事だった。

 その後も20代の半ばまでは足繁くコンサートに通い、バイクに乗る時もウォークマンで“浜田省吾”を聴いていたのだが、30代になる頃からはルーティンとしてCDを買うだけで、いつの間にか歌詞の付いた音楽を聴かなくなっていた。しかし僕が50歳になった翌年に発表された10年ぶりのオリジナルアルバムが、その頃の心境にヒットしたことをきっかけに、1年で3回もコンサートに参加した。そうなると堰を切ったように若い頃の情熱が再燃して、現在はプレイリストのほとんどが浜田省吾さんの曲になっている。

 ちょうど10年前の大鶴義丹との対談(クルマやバイクに文学はあるのか ー 後編)で、10代の頃に受けた影響は生涯に渡って続くという話をしたが、バイクやクルマと同じように、若い頃に聴いた音楽からも生涯に渡って影響を受け続けるのだろう。

神尾 成/Sei Kamio

2008年からaheadの、ほぼ全ての記事を企画している。2017年に編集長を退いたが、昨年より編集長に復帰。朝日新聞社のプレスライダー(IEC所属)、バイク用品店ライコランドの開発室主任、神戸ユニコーンのカスタムバイクの企画開発などに携わってきた二輪派。1964年生まれ59歳。

ahead archives Vol.184 2018年3月号
「バイク乗りはなぜハマショーを聴くのか」
(特集:「クルマとバイクの世代論」より)

文・山下 剛/写真・長谷川徹

 「バイク乗りには2種類いる。浜田省吾を聴くやつと、聴かないやつだ」
 軽いジョークでジャブを飛ばしてみたところで、いきなり本題に入る。

 この文章のテーマは「浜田省吾とバイク」だ。偶然にも私はバイクに乗るし、浜田省吾を聴く。どちらも16歳からだから、30年以上飽きずにバイクに乗り、ハマショーを聴いている。我ながらしつこいとも思うし、これだけ長く楽しめる乗り物と音楽に出会えたことは幸福のひとつだとも思う。

 これまで、ハマショーを聴いてきたことはあまり公言してこなかった。誰かのスマホの待ち受けがハマショーのアルバムジャケットだったり、ハマショーの曲を記事のタイトルにつけていたり、ハマショーのコンサートに行ってきた話をブログに書いてあったりと、バイク業界のあちこちでチラチラとハマショーを見つけるにつけ、両者には意外と共通項があるのかもしれない、と思うことはあった。しかしそれをこれまで真剣に考えたことはなかったし、「実は俺も好きなんですよ、ハマショー」というような返答をすることもなかった。

 自分は、趣味嗜好を堂々と公言するのをどことなく恥ずかしいと思う部類の人間で、パンツを脱ぐとまではいわないが、シャツを脱いで素肌を晒すくらいの恥ずかしさがある。世の中にはそうしたことを何の躊躇もなくできる人もいて、むしろそのほうが主流なのだろうが、ともかく私はそういうことなので家の外では隠れハマショー・ファンとして生きてきた。

 バイクも同じようなもので、とはいっても隠れてバイクに乗ってきたわけではないが、バイクに興味のない人にバイクの話はしないし、話を向けられても愛想だけで終わらせてしまう。

 「浜田省吾とバイクが好きだ!」

 そう公言しないのは、これによってこちらのキャラクターを限定されてしまいそうだからだ。もっともそれが間違ってるわけでもないのだが、つまらない固定観念は持たれないに越したことはない。おそらくこの文章を読んでいる、浜田省吾にもバイクにも興味のない人は「山下 剛という書き手はそういう人間だ」とある種のカテゴライズをしていることだろう。ひと言でいうと「面倒くさい人物」というカテゴライズだ。実際のところ合っているし、そう思われてもかまわないのだが、レッテルは少ないほうがいい。そういうわけだから、この文章を書いている今、私は誌面上でパンツまで脱いでいる気分である。

 一昨年のことだった。本誌の特集のタイトルにピンときて、編集長の神尾さんに「ひょっとしてハマショー好きですか?」と話を振ったのが運の尽き。それからこういう事態になっているのだから、やはり沈黙はナントヤラである。

 パンツを脱いだ以上、恥ずかしがっていても格好悪いから、局部を手で隠すのはやめよう。

 さて。

 バイクを走らせるにはガソリンが必要だ。ガス欠したバイクはくず鉄の塊だ。しかしガソリンが満タンだったとしても、走らせたいと思う人がそこにいなければ、バイクはやはり鉄くず同然だ。

 だが、誰もがバイクを走らせられるわけではない。世の中の大半の人はバイクに乗らず、走らせようとも走りたいとも思っていない。

 ならば、人がバイクを走らせるものは何か。何が人をバイクに向かわせるのか。何があればバイクはバイクとして存在できるのか。

 バイクにキーを入れてイグニッションを回し、セルスターターを押すなりキックするなりでエンジンに火を入れ、クラッチを切ってギアを落とし、スロットルを捻って駆け出す。己の脚では決して到達できないスピードの世界に身を委ねる―。そこへ至るために、人には何が必要なのか。

 私を動かすガソリンは、怒りや悔しさ、苛立ちや焦り、虚しさといった感情だった。自分が社会との距離感をつかめないもどかしさが、それらを増幅させた。失意や絶望という添加剤も混ざっていただろう。ときにはそこに希望もあったが、バイクを走らせて燃えてしまえば何も残らなかった。

 私は浜田省吾のロックにも同じような構造を感じる。彼が旋律を作り、そこへ詞を乗せた動機は、やはり怒りや虚しさ、その他もろもろをもてあましていたからではないだろうか。彼はデビューしてから数年は、レコードが売れなくて事務所の方針に従わざるを得ず、歌いたい音楽をやれなかったという。彼自身が「本当のデビューアルバム」ともいう6枚目から、それが叶うようになり、以降はオリジナルアルバムの1曲目と、アルバムタイトルと同名の曲は過去の感情を燃やし切るために作り、歌われてきたように思えてならない。

 もうひとつ、ハマショーもバイクも好きという人に共通するのは、誰かと群れるよりも単独行動を選びがちなことだ。それが多少苦労を伴うとしても、ひとりでいたい。たとえ誰かと行動を共にするにしても、増えるのはひとりだけ。バイクのバックシートはひとつしかないのだ。

 ところで、アルバムなどのポートレートでバイクにまたがっていたり、ナナハンでマッポに追われたり、午前4時にバイクを走らせたり、と歌っていても、浜田省吾本人はバイクには乗らないらしい。

山下 剛/Takeshi Yamashita

二輪専門誌『Clubman』『BMW BIKES』編集部を経て2011年にマン島TTを取材するためフリーランスライター&カメラマンとして独立。本誌では『マン島のメモリアルベンチ』『老ライダーは死なず、ロックに生きるのみ』『SNSが生み出した“弁当レーサー”』など、唯一無二のバイク記事を執筆。熱心なファンが多い。また『スマホとバイクの親和性』など、社会的な視点の二輪関連記事も得意分野である。1970年生まれ53歳。

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