Sense of Wonder センス・オブ・ワンダー~人生を生き直す

著書『沈黙の春』で有名な生物学者のレイチェル・カーソンは、誰もが幼少期に備えている自然のなかにある神秘や不思議に驚く感性を“センス・オブ・ワンダー”と表現した。

誰もが大人になると、いつの間にかそれを忘れてしまうが、年齢を重ねると、自然に惹かれるようになり、自然に憧れる気持ちが湧いてくる。それは幼い頃の感性の記憶が自然を求めているからかもしれない。

子供の頃のセンス・オブ・ワンダーを思い出してみると、バイクやクルマは今よりももっとおもしろくなってくる。


50代からの自分らしさ
~松崎祐子のセンス・オブ・ワンダー

文・若林葉子 写真・松崎祐子

田んぼの中で跨っているのは「田面ライダー」という溝切り機(排水をスムーズにできるよう田んぼに溝を切る機械)

 2019年に発生した新型コロナウイルスのその後のパンデミックは、多かれ少なかれ、多くの人の人生の計画を狂わせた。松崎祐子さんもコロナ禍に大きな影響を受けたうちの1人だ。

 『MOTO NAVI』、『NAVI CARS』の編集部に約10年間在籍し、その後、いくつかの職を経て、松崎さんは2019年にロンドンに語学留学へと旅立つ。12週間のロンドンでの生活についてはahead(2020年4月号)でもご本人に書いていただいたので記憶にある方もいるだろう。その原稿の最後を彼女は「自分にとって大きな存在となったロンドンに、近いうちにもう一度行くつもりだ」と結んでいる。実際、松崎さんは1度目よりもっと長い滞在を想定していた。しかし、長引くコロナ禍によって、その夢は阻まれ、叶うことはなかった。

 そして、松崎さんが出身地である富山に帰ったと風の噂に聞いたのは2022年のことだ。

 松崎さんは何を思い、富山に越したのだろう。

朝日町には「春の四重奏」というイベントがあるので、それを観に行こうとバイク女子部の仲間(関東や北陸の仲間)が遊びに来てくれた。1泊2日のツーリングだったが、当日は雨のため、ほとんどがクルマでの参加となった。
・「春の四重奏」雪山、桜、チューリップ、菜の花が一度に見られるイベント。
https://www.asahi-tabi.com/sijuusou/

 「私、実は家を買ったの」 会って早々、松崎さんはそう話を切り出し、私をびっくりさせた。「昭和に建てられた古い家なんだけど、広い土地と母屋の他に納屋があって…」、と楽しそうに話す松崎さんだが、しかしここに至るまでには出口の見えない長いトンネルを手探りで進む日々があったという。

 雑誌編集の仕事を離れてからの日々は松崎さんにとって紆余曲折の時間だった。ライターの仕事をしたり、バイク用品のショップで働いたり。もちろんどの仕事もそれなりに楽しく取り組めてもいた。でもつい不安が頭をもたげる。「ここ数年はこれでいいかも知れないけど、5年後10年後、同じことができているのかと。私は独り身で、東京に家があるわけでもない。このまま歳を取っていったら、孤独死しちゃうんじゃないか、とか(笑)」

東京の友人たちと長野県伊那市で集合して林道を走った。長野は関東からも富山からもアクセスしやすいので、現地集合のツーリングもできる。

 そんなとき、松崎さんは知り合いから、自分の仕事を持ちながら、ブルーベリーの観光農園を開いている人がいるという話を聞く。「そんなことができるんだ~って。私、お菓子作るの好きだし、ブルーベリーも大好きだし、買うと高いから自分で育てる方がいいんじゃないかって」 最初はそんなノリだった。でもきっと何かピンときたのだろう。そこからいろいろと調べ始めた。あるとき農業系のイベントが開かれるのを知って、何か手がかりがあるんじゃないかと出かけてみたら、そこではいろんな県がブースを出していて、就農相談会が開催されていた。でも見習いで農家に入るとその間の生活費は賄えない。農業を希望する人向けの公的な援助も若い人向けのものがほとんど。ところが富山県の朝日町が地域おこし協力隊として農業をできる人を探していた。そこでなら仕事として農業を学びつつ、その間お給料ももらえて、住む場所も用意してもらえる。富山は自分の生まれ育った場所でもある。ほとんど即決だった。イベントを見にいったのが2022年の1月末。体験で朝日町にいったのが3月末。朝日町に引っ越したのが4月末のこと。決断が早いのはいかにも松崎さんらしい。

朝日町に来てからフォークリフトの資格と大型特殊免許を取った。稲刈りの時期にコンバインの操作も少しだけ体験。

 「農業はすごく自分に合ってる感じがする。暑い日も寒い日もあるけど、いい季節の時にさらっとした風が吹いていて、青空で。そんな日に剪定をしたり、好きな音楽を聴いたりしながら単純作業をして、そして妄想するの。今日のご飯どうしようかなとか、雪山きれいだなとか。編集の仕事は確かに刺激的で面白かったけど、思う存分やれたし、今は発信したいことがあれば東京にいなくてもできるようになったしね」

研修先でのブルーベリー収穫。初めての収穫が嬉しい。

 東京で立ち上げた「バイク女子部」の活動も仲間に支えられ、富山に引っ越してからも、イベントは続行、日本各地でバイク乗りのメンバーと会っている。

 これから先の暮らしを思い、東京でひとり悶々と悩んでいる時も、松崎さんはバイクもクルマも諦めたくないと踏ん張っていた。そしてテレビ番組の『ポツンと一軒家』で、すごい山奥でおばあちゃんがひとり、野菜を育てながら暮らしているのを見て、家と畑と健康な身体があれば何とかなるかなと思っていたというから、縁というのは不思議なものだ。松崎さん自身、こんなに早く家を買うことになるとは思ってもみなかったと言う。でも納屋をみたときピンときた。ここにバイクを置いて、真ん中に螺旋階段を作ったら楽しいだろうな。いずれはカフェとまでは行かないまでも、育てたブルーベリーで焼いたお菓子をここで食べられるようにして…と夢が広がり、DIYのYouTubeを見る毎日だ。

ツーリングの行き先は田んぼ!をテーマに、
「ライダー米」という田植えイベントを企画。『バイク女子部通信』でリポートを読むことができる。
https://bikejoshibu.com/rider_rice_taue/

 「大きく進路を変える直前はすごく悩んでいて、あー沈みそうって思ったときに次の波がやってきて、それに乗ってる感じ。サーフィンに例えるとかっこいいんだけど、私の場合は川渡りをしていて、落ちそうになると次の石が流れてきて、それに乗って、その石がぐらついたらまた落ちそうになったり…」 計画性はないけれど、面白いと思ったときにはすぐに行動に移す。その行動力がいつも松崎さんの未来を切り拓いてきた。

 人は自分にとって本当に大事なものを見失わなければ、どこにいても何をしても「らしく」いられるのだ。そしてまた、人はいくつになっても生き直すことができるのだと、松崎さんに勇気をもらった気がしている。

とうもろこし、いんげん、かぼちゃなど、自分自身でいろいろな野菜を作ってみた。写真は落花生を収穫したところ。たくさん収穫できたので無人販売にも挑戦した。

松崎祐子/Yuko Matsuzaki

1968年生まれ。バイク雑誌「MOTO NAVI」や自動車雑誌「NAVI CARS」の編集部に約10年間在籍。その後、国内外の二輪四輪アパレルをセレクトする「Motorimoda」でPRを担当。現在は富山を拠点に農業に従事しつつ、バイク好きの女性のためのfacebookグループを運営。年に数回バイクで集うイベントを開催している。

50代からの自分らしさ
~松崎祐子のセンス・オブ・ワンダー
文・若林葉子 写真・松崎祐子