なりゆきの旅~8回目のマン島TT

文/写真・山下 剛
晴れた日のマン島はどこを走っても気分がいい。しかしマン島も含めてイングランドはバイクを止めると生垣や石垣のせいで見通しが悪くて写真を撮りにくいし、そもそも停める場所がほぼない。

旅のはじまりは突然やってきた。

 前号でパタゴニアかイスタンブールを旅したいと書いたのだが、気づいてみたら私はまたマン島に来ていた。きっかけは5月初旬、今年もマン島TTに参戦する山中正之に誘われたからだ。

 行くかどうか、しばし悩んだ。とはいえプレス申請の締切が数日後だったから時間はなかったし、誰かが私を頼ってくれているのだから、断る理由はない。

 なのに迷ったのは、パタゴニアはともかくマン島へ行くにしてもTTではなくマンクスGP、あるいはバイクレースがまったくない、平常どおりの静かなマン島へ行きたいと思っていたからだ。

 もうひとつ理由がある。’21年秋にバイカーズステーション誌で2号にわたって前後編で40ページ以上、TTとマン島のことを記事にする幸運に恵まれた。7回におよんだマン島TT取材で見たこと、感じたこと、撮った写真のほとんどを吐き出すことができ、私のなかでマン島はひと区切りついていたのだった。

 しかし、写真だけ、文章だけなら私より優れた適任者はいるが、どっちもできて経験もあるのは、おそらく私しかいないという自負もある。

 さらにいうなら、これはもうなりゆきなのだ。マン島は私の人生のおおきな一部になっている。運命なのだ。でなければ7回も訪れ、8回目の機会が巡ってくるはずもない。

snap

マン島TTのグランドスタンド正面からは伝統の手書きスコアボードがなくなり、大型液晶モニターが設置されていた。

snap

ヘイシャムを深夜1時に出港したフェリーは、午前6時にマン島へ着いた。

snap

カークマイケルの市街地で初めて撮った。夕方からの走行だったのだが、すぐに日陰だらけになった。どうりでほかのカメラマンがいないわけだ。

 結局、私は締切前にプレス申請をし、広報車を確保し、フェリーと航空機を予約して旅の準備を済ませた。プレス申請では加入必須の保険の補償額が足りないため却下されるところだったが(日本の保険商品では取り扱いがなく、イギリスの保険は外国人が加入できずどうにもならない)、これまで7回もマン島TTを取材し、日本の雑誌で60ページ以上も記事にしてきた、残念だがルールは尊重する、と未練がましいメールを送ったら特別措置として申請が許可された。

 TT開始まで2週間あまりと直前になってからあれこれを手配したわりには、フェリーも航空機もほぼ希望どおりの日程で予約を取れたのは奇跡的だった。しかしすべてがうまくいくはずもなく、寝場所を確保できなかった。さすがに初めての経験だが、行ってしまえばなんとかなるだろう。なにはともあれ、そこに行くことがもっとも重要なのだ。レット・イット・ビー。

 私はいつもの荷物にテントを加え(宿があろうとも寝袋は常に携行している)、成田からワルシャワ経由でロンドンへ飛んだ。

 ヒースロー空港からはバスでウォーキング駅まで行き、そこから3駅目のフリートがBMW UKの最寄駅だ。しかし大荷物を担いで歩く小一時間はつらいから駅でタクシーを拾い、2歳児レベルの英語でなんとか広報車のR18Bを借り受けた。

 すぐにマン島へ向かってもいいのだが、またイギリスに来ることがあったらぜひ訪れたいと思っていたリンディスファーン修道院とハドリアヌスの長城に寄ったあと、ヘイシャムから深夜発のフェリーに乗ってマン島へ入った。

 寄り道をしたからとはいえ、やはりマン島は遠い。自宅から成田空港までは自分のクルマ。ヒースロー空港まで飛行機。BMW UKまでバス・鉄道・タクシー。マン島までバイクとフェリー。ほぼすべての交通機関を使い、3日間もかけてマン島へやってくるバカも私以外にいないのではないか。

 飛行機でマン島入りせず、なぜこんなことをするのかといえば、ただの移動ではなく旅をしたいからだ。できるかぎり地べたを這っていきたいのである。帰途、BMW UKで広報車の返却後にタクシーを呼んでもらうとき、ヒースロー空港ではなく最寄駅まで行きたいと伝えると受付の女性は不思議な顔をした。ヒースローまでタクシーに乗ると2万円もかかって高いという理由もあるが、鉄道とバスを使いたいという理由を説明しても理解されないだろうから何も言わなかった。

 マン島に着くと、ひさしぶりに会う人たちから口々に「どこに泊まるのか」と聞かれた。そのつど「決まってない。どこかいいキャンプ場知ってる?」と答えていたら、パドックの草地にテントを張れることになった。ここにはトイレもシャワーもランドリーもあるし、プレスルームで機材の充電もできる。朝8時になれば屋台が開いて朝食もとれた。ケ・セラ・セラ。

snap

ラムジーの町にあるホワイトゲートという名のポイント。手持ちの望遠レンズでは届かなかった。ここでもカメラマンは私だけだった。

snap

グースネックの立ち上がりはチームスタッフがサインボードを出すポイントでもある。ここで撮っているとバイクが1mも離れていないところを全開で駆け抜けていくから、その圧がすごい。写真はサインボード越しに撮った。

 イギリスらしくなく1カ月以上も晴天が続いたこともあり、バイクを毎日走らせるのは実に楽しかった。日本では仕事と雑用でしかバイクを走らせなくなった私ですら、乗りはじめたころと同じような気分でバイクを楽しめたし、BMWが北米を意識して作ったクルーザーをイングランドやマン島で走らせるのは、そのミスマッチぶりがおもしろかった。事実、パドックに停めておけばたいてい誰かがじっと眺めていて、私はそのたびR18Bにまたがらせたり、リバースギアを実演したり、「エンジンはどうだ」とか「乗り心地はどうなんだ」などの質問に「車体は重いが、エンジンフィールは最高だ」と答えた。

 しかしリバースギアがあるとはいえ取り回しにはそこそこ苦労した。グース350の名の由来にもなったグースネックの駐車場は斜面のきつい草地で、駐車するときに前後タイヤがロックしたまま坂を下ってしまいかなり焦った。

 バイクでやってくる観戦客たちも、きっと同じ気分でマン島を楽しんでいるのではないか。イギリス国内からでもフェリーに乗らなければならないことを考えると、日本人にとっての北海道のような場所かもしれない。フランスやドイツからなら、ドーバー海峡も越えるのだからなおのことだろう。旅情を感じたいからとロンドンからバイクを走らせるだけでは、やはり足りないのだ。次にまたBMWに広報車を借りられるなら出発地をミュンヘンかベルリンにしたい。

snap

ジャンプで有名なバラフブリッジ。一時停止の交通標識とのコントラストが気に入った。

snap

ブロンズレプリカを獲得した山中正之に、チーム監督のイアン・ロッカーは思わず涙ぐんだ。

snap

松下ヨシナリがクラッシュした場所には、祈念プレートがある。10年の歳月で蔦草が覆い隠してしまったが、毎年誰かが草を折ってプレートが見えるようにしている。そもそも誰が設置したのかも不明のままだ。

 今年の観戦客には、中国系とおぼしきアジア人がいままでよりも目立った気がした。そのなかに、中国の内蒙古からVストローム250を走らせてきた青年がいた。60日間かけて2万5,000㎞を走ってきたという。おそらく苦労もあったはずだがそんなことはまったく口にせず、バイクが好きだから、レースが好きだから、マン島TTを見たかったから、とあっさり語った。TTが終わったら、また2万5,000㎞を帰っていくのだという。

 私も日本からバイクを走らせてマン島まで、と考えたことはある。しかしかかる日数と費用を考えるとむずかしく、考えただけにとどまっている。だがきっとそれは時間や経済的問題のせいではなく、私の本気度の問題なのだろう。夢物語の範疇に押し込めてカネ不足のせいにし、弱気な自分から逃げているだけなのだ。

snap

内蒙古からマン島まで60日かけて25,000㎞を走ってきたという中国人青年、張赫さん。彼の行動力には目を覚まさせられた。

snap

マン島は牧場のなかにあるといってもいいほどで、島の中央部に行くと羊だらけだ。やつらはバイクを走らせているかぎり逃げないが、停めたとたんに逃げていく。

snap

ユニオンミルズという集落の教会で、観戦客たち相手にケーキや紅茶を1~2ポンドのボランティア価格で提供しているユニオンミルズ婦人会の面々。私はいつからか彼らの写真を撮ることをマン島TT取材の必須項目にしている。

 山中は今年、出走した4レースをすべてフルラップで完走し、最終レースでは初のブロンズレプリカを獲得した。これは1位のタイムの110%以内の完走者が手にできるトロフィーだ。マンクスGPを2年、マン島TTを5年走ってきた山中の努力の集大成であり、最高の結果だ。そんな山中に「いつまでTTに出るのか」と訊くと、彼はこう答えた。

 「いつまでTTを走るかは決めてません。決めたらそこが限界ですから。出られるかぎり、走りたいと思ってます」

 「そうですよね。いつまで生きるつもりなんですかってのと同じ愚問でしたね」

 一年のすべてを懸けてここに来ている山中にとって、マン島TTは彼の人生そのものなのだろう。私にとってマン島はそこまでおおきなものではないと思っているが(山中のそれと比べるのも無礼である)、避けては生きられないものになっている。だとしたら非現実的な方法に閉じ込めておくのではなく、ウラジオストックからユーラシア大陸を横断してドーバー海峡とアイリッシュ海を渡ってバイクでマン島へ行くことを真剣に計画したほうがいいのだろう。

 すべてのレースが終わった翌日、ほぼ2週間張りっぱなしだったテントを裏返して乾かし、荷物をまとめてR18Bに積んだあと、キャンセル待ちでフェリーに乗ろうとしてみたがそれすらできないほど混雑していた。

 しかたなく北の海岸までバイクを走らせ、誰もいない浜辺をぼんやりと散策してみたりしたが、帰国前に片づけておかなければならない仕事を思い出し、町へ戻るとスターバックスでマックブックを開いてアイスコーヒー(欧米にはなかったのだが、どうやら近年メニューに追加されたらしい)3杯でねばって仕上げ、日本へメールで送った。

snap

R18Bはマン島とのミスマッチぶりからか、かなりめずらしい存在感を放っていて、停めておくといつも誰かがじっくりと眺めていた。

snap

TTコースから少し外れたところにあるガレージには、いつも4台のダグラスが停めてある。今年、ついにそのオーナーと知り合う機会を得た。彼の名はエイドリアン。私が乗ってきたR18Bを見て、自分のダグラスと並べた写真を撮りたいと申し出てくれた。BMWのボクサーエンジンは、このダグラスを規範として設計されたものだ。

snap

TT最終日の前夜に打ち上げられる花火。日本のものと比べるとささやかな規模だが、それゆえ、ことさらはかなさを感じられる。昨今の日本の花火は派手すぎてどうにも好きになれない。

 深夜便のフェリーは午前4時すぎにリバプールに着いた。仲間と落ち合うためか道を知らないからか、ほとんどが埠頭道路の端にバイクを停めているなか、私はR18Bを止めることなく走らせてリバプールの市街を抜けて高速道路に乗った。

 しばらくすると空が茜に染まり、地平線から太陽が昇りはじめた。そう、地平線からだ。イングランドの空は広いのだ。やがてうっすらと朝靄が漂いはじめ、青い草の丘陵をみかん色の乳白が覆った。高速道路を下りて写真を撮ろうとしたが、丘の上に出られる道を見つけられないまま日が高くなってしまった。すべての瞬間を写真にできるはずもないのだ。こんなふうに心に残すにとどめておくしかできない光景ばかりが世界に満ちているから、人はまた旅に出るのだろう。

 そんな言い訳をひとりごちてから高速道路へ戻り、早朝のわりに混雑したなかをロンドンへ向けてR18Bを走らせた。

snap

リバプール行きフェリーの車両甲板。バイクは互い違いに積み込んでいく。私は比較的早く乗船できたので甲板には隙間があるが、出港時にはもちろんびっしりとバイクが並ぶ。ちなみに固定作業は船員がやってくれる。

snap

マン島TTが終わった翌日。ようやくR18Bとマン島TTの写真を撮れた。今年は全日程が晴天だったこともあり(つまり休みがない)、こうした写真を撮る余裕がまったくなかった。

Takeshi Yamashita

二輪専門誌『Clubman』『BMW BIKES』編集部を経て2011年にマン島TTを取材するためフリーランスライター&カメラマンとして独立。本誌では『マン島のメモリアルベンチ』『老ライダーは死なず、ロックに生きるのみ』『SNSが生み出した“弁当レーサー”』など、唯一無二のバイク記事を執筆。熱心なファンが多い。また『スマホとバイクの親和性』など、社会的な視点の二輪関連記事も得意分野である。1970年生まれ52歳。

定期購読はFujisanで