The コラム 50歳以上に、今読んでもらいたいコラム4選

国産旧車絶対主義とクラシック

文・伊丹孝裕 写真・神谷朋公

 以前、出版社に勤めていた。そこは4輪誌の創刊をきっかけに成長した会社で、職場の環境柄、希少なヒストリックカーと、そのオーナーに接する機会も多かった。イタリアのスーパーカー、イギリスのオープンスポーツ、フランスのホモロゲーションモデル……と、趣味の対象は様々ながら、彼らの多くがこう口にするのを聞いた。「時代をくぐり抜けてきたクルマをほんの一時所有しているに過ぎません。自分の役割は、次の世代にこれを継承していくことではないでしょうか」という主旨の言葉だ。クルマが紡いできた文化遺産を守るための管理人。そういうスタンスである。

 初めてそれを聞いた時、ごく素直に感銘を受けた。「意識が高い」と言えば、今でこそ気取った様を揶揄する表現になってしまうが、彼らは皆、一定以上の階層にいる人たちだ。その物腰や言葉に装いはないように感じられた。

 同じ空気感は、2輪の世界にもある。ただし、対象はもう少し限定的で、イタリアやイギリスのレーシングマシンか、それに限りなく近いロードゴーイングレーサーであることが多い。4輪界よりもシリアスさの度合いが少し強く、並行してロータスやブラバムのヒストリックフォーミュラカーを所有している、という強者も珍しくない。子どもの頃に憧れたマシンを念願叶って手に入れ、スピードとスポーツを謳歌している様は傍目にも清々しい。

 4輪にしろ、2輪にしろ、それを文化遺産と捉えているオーナーと、自身の分身のように捉えているオーナーとでは、発散する雰囲気が異なる。前者は開放的で、後者は閉鎖的。前者はその世界観(たとえば70年代のレースシーン)を周囲にも疑似体験させてくれる一方、後者は後者だけのコミュニティを作り上げ、そこから出ようとしない。周囲を拒絶し、時に攻撃することで自身の世界を守ろうとする。

 かつて、ホンダ・CB750フォアは、日本車の地位を飛躍的に向上させた。カワサキ・900スーパー4は、そのスペックと速さで世界の頂点に立った。スズキ・GSX1100Sは、唯一無二のカタチによって新たな可能性を提供した。いずれも日本が誇るべき歴史的な名車であることに疑いの余地はない。だからそのオーナーは、もっと誇るべきなのだ。現代のマシンが失った素晴らしいサウンドを聞かせ、その巨体が軽やかにコーナーを駆け抜ける様を見せてほしい。なのに、そこから聞こえてくるのは、「俺たちの時代は」、「昔だったら」、「今のやつらは」、「そんなことも」といった愚痴やマウントばかり。見えてくるのは、バトルスーツまがいの格好で威圧感を放つ時代錯誤のスタイルだ。

 集団で悦に入り、勘違いしたヒロイックさに浸り、公道暴走漫画の世界からいつまでも抜け出せない人たち。そこにしか自身の居場所を見つけられず、日本の旧車とそれ以外という価値観でしか周りを見渡せない人たち。バイクという乗り物は、もっと軽やかでもっと自由だったことをすっかり忘れ、思考停止に陥ってしまっている人が多い。自分の正義をネットに書き込まずにはいられない人や、酔っぱらって見境がつかなくなっている人と、属性としては変わらない。せめて、黙っていてほしい。

 そう、黙っていてほしいのだ。欧州のヒストリックマシンとそれを愛でる人たちがジェントルで、日本の旧車以外は認めようとしない人たちがならず者だと言いたいわけではない。たかが、バイクやクルマの世界の話であり、どんなものに乗っていても、どんな風にカスタムしても、どんなファッションをまとっていても構わない。ただ、どちらかといえば多数から同調は得られないタイプゆえ、それをわきまえておいた方がいいのでは、と思っている。バイクの世界に軸足を置く者として、この心地よさが子どもや孫、またその子どもや孫に引き継がれるような趣味になれば、それはとても素晴らしいことだとも思っている。ただしその前に、一端リセットしておくべき事柄があまりにも多い。

 まずは徒党を組まず、独りで走り出してみてはどうだろう。カスタムを自慢する相手はおらず、速さもスキルも見せつける必要はない。ただ黙々と走ってみる。そして、然るべき場所では口を慎み、大人しくしていること。それを大人という。バイクの世界には、なにか言わずにはいられない人が多過ぎる。説教や否定がはびこる中で、継承すべき文化なんて作られるわけもない。

Takahiro Itami

二輪専門誌『Clubman』の編集長を務めた後、憧れていたマン島TTに出場するため’07年にフリーライターとして独立。地方選手権を経て国際A級ライセンスを取得後、2010年にマン島TTを完走。2012年~2015年の鈴鹿8耐や、2013、’14、’16年のアメリカのパイクスピークにも参戦した。本誌では「50代にススメるバイク」を連載中。1971年生まれ51歳。

道を走る権利とは何か~日本の二輪の未来

文・山下 剛

 国内メーカーがようやく電動バイクの狼煙を上げた。先だってイタリアで開催されたミラノショーで、カワサキがHEVを1車種、EVを2車種を発表したのだ。HEVは’24年、EVは’23年中に市販するという。HEVは今年の鈴鹿8耐でデモ走行があり、すでにその存在を明らかにしていたが、どちらも意外と早い発売時期だ。

 何もせず手をこまねいているはずはないから、カワサキに限らずホンダもヤマハもスズキも電動を主としたゼロエミッションの研究開発していることはわかっていた。しかしこの10年余り、国内メーカーが発売する電動バイクは航続距離も短く実用性に欠ける原付一種ばかりだったり、法人向けリースのみの販売形態だったりで、私はそれを非常にじれったく眺めていた。唯一、望みを感じられたのはホンダのPCXハイブリッドだけだ。

 ここに来て日本メーカーの電動バイク発表、発売が相次いだのは、’20年に政府が「’35年までにすべての新車を電動にする」とし、さらに東京都がそこにバイクも含めることを宣言したからだろう。これまでヨーロッパ各国でのゼロエミッション推進、脱ガソリン宣言はクルマへの言及のみだった。明確にバイクもゼロエミッション100%とすると明言したのは、00年代はじめに主要都市でのガソリンエンジン搭載スクーターの販売を禁止した中国を除けば、東京都が初めてではないだろうか。

 ともかく、ようやく行政による指針が発表され、日本メーカーとしても目指すマイルストーンが見えたことで動き出せたわけである。法、つまり道を作るのは行政で、そこを走る乗り物を作って売るのがバイクメーカーである。だからこの順序は正しい。

 しかし本当にこの先もそれでいいのか。まだ霧の中で見えない未来のひとつにすぎないとはいえ、ゼロエミッション以外にも自動運転化が進めば公道から排除されかねない乗り物がバイクである。これまでのように行政の動きを待ってからでは間に合わない。

 ゼロエミッションに向けた動きのひとつとして、日本の交通事情を大きく変えようとしているものに電動キックボードがある。道交法や道路運送車両法の緩和を頑なに拒絶してきた警察庁と国交省がこのために車両区分を新設してまでこれを認可した。現在は有識者会議で改正の具体案を検討中で、’24年4月に施行予定だ。暫定期間である現在は、原付以上の運転免許のほかにヘルメット着用も義務づけられているが、施行後にそれらは不要となるという予測もある。

 モビリティの多様化で都市部の交通事情がさらに混沌とすることは避けられないが、それよりも私が懸念するのは、電動キックボードは構造的に安全性が低いことだ。小径ホイールかつ緩衝機構を持たないため、法律とスピードリミッターで制限時速を20㎞程度にしても、荒れた路面でフロントブレーキを使えばあっさりと前転する危険がある。

 そうした乗り物が蔓延する前に、知恵と技術を存分に蓄積している国内4メーカーが安全性に優れた乗り物を発売し、普及させてほしい。それこそが世界に冠たる日本4メーカーの責務ではないかとさえ思うのだ。

カワサキ ノスリス

AT普通自動車免許で公道を走行することができる電動三輪ビークル。2023年の春に発売予定だが、価格や販売方法は決定していない。

ヤマハ トリタウン

「NIKEN」と同様にヤマハ の「LMW」(バンクする三輪車)として登場したシティコミューター。

 カワサキがクラウドファンディングで先行販売した『ノスリス』には、フル電動走行可能なモペッドもあるがミニカー区分だ。ヤマハが公道実証実験を済ませた『トリタウン』は電動キックボード同様のパーソナルモビリティだが、そうした危険を防ぐための大径ホイールと前2輪機構を持つ。どちらも’24年4月発売を計画しているが、トリタウンは公道走行不可で、道交法改正の決定を待ってから公道仕様を販売するという。

 しかしすでに電動キックボードは公道を走り、小径ホイールの弱点を知らないまま乗っている人が増えているのだ。

 企画から開発、販売までのスピードがベンチャー企業の強みだが、それだけでなく彼らは日本の国交省、経産省、総務省、警察庁を動かして法律を変えた。そこには表沙汰にならない事情もからんでいると思うが、あくまで邪推だから触れない。
 とはいえ、彼らは乗り物だけでなく、それを走らせるための道路さえ作った。それがベンチャー企業ならではの強みとは考えにくい。国内4メーカーにもできるはずだ。政治にコミットしないのがこれまでの姿勢だったかもしれないが、もう尻に火はついている。バイクを作るだけでなく、バイクを走らせるための道路を作ることへ積極的に取り組んでほしい。

昨年のミラノショーでカワサキは、フルカウルスポーツの「Ninja」と、ネイキッドの「Z」のEVを2023年に発売することを発表した。250ccフルサイズでありながら欧州では出力規制のあるA1ライセンス(125cc15馬力以下)で乗ることができる模様。右は同じミラノショーで発表されたカワサキH2用をベースにした水素エンジン。

 そんなところへひとつ期待できるニュースを目にした。ウェビックプラスが’22年11月29日に配信した記事によれば、全国オートバイ協同組合連合会(AJ)のロビイングにより原付一種の排ガス規制適用が3年延長されたというのだ。この規制問題を解決するため自民党オートバイ議連に提言した3案に、『125㏄クラスの最高出力を4kW以下に制御』することが盛り込まれたそうだ。

 排ガス規制対応を主軸としてグローバル展開できず国内専用となっている50㏄は、生産メーカーの負担になっているのが現状だ。ヤマハはホンダが作った車体に自社の外装パーツを装着して販売しているほどである。

 この提言はそうした現状を打破するだけでなく、バイクの運転免許区分を排気量ではなく最高出力に変更することも意味する。これはヨーロッパをはじめとする世界基準に合致させることでもあり、実現すれば50㏄だけでなく400㏄を境界とする免許区分のほか、車検制度も変更になる可能性を含む。排気量が存在しないEVはすでに出力による区分がされているから、将来を見据えれば現実的な提言だ。

 この提言が通るかどうかはわからないが、大きな可能性と未来をもたらす改革となる。AJという販売店の団体に音頭を取らせるばかりではなく、自工会をはじめ車両メーカーが先頭となって実現に向けて積極的に、能動的に動いてほしい。

 これは私たちユーザーの問題でもある。元来、道とはそこを歩いた者たちの足跡であり、私たちが作るものだ。人間一人ひとりの生きる術であり、生きた証でもある。そんなことを霞が関と永田町だけにやらせていてはつまらないではないか。

Takeshi Yamashita

二輪専門誌『Clubman』『BMW BIKES』編集部を経て2011年にマン島TTを取材するためフリーランスライター&カメラマンとして独立。本誌では『山下 剛の旅』『マン島のメモリアルベンチ』『スマホとバイクの親和性』『老ライダーは死なず、ロックに生きるのみ』など、唯一無二のバイク記事を執筆。熱心なファンが多い。社会的な視点からの二輪関連記事も得意分野である。1970年生まれ52歳。

「The コラム 50歳以上に、今読んでもらいたいコラム4選」の続きは本誌で

『トップガン マーヴェリック』でリセットされた50代の人生観 中兼雅之
大人とは子供っぽさを認めること 山田弘樹
国産旧車絶対主義とクラシック 伊丹孝裕
道を走る権利とは何か~日本の二輪の未来 山下 剛


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